第6話 森を荒らしているのは誰だ!
リュカは、森の奥へ歩いていた。
どこへ向かっているのか、自分でも分からない。
街へは戻れない。
ギルドへも戻れない。
故郷のベルフォーレ村へ帰る勇気もない。
ただ、人のいない場所へ行きたかった。
誰にも見られたくなかった。
誰にも声をかけられたくなかった。
泣いている顔を、誰にも見せたくなかった。
「……っ」
涙が頬を伝う。
拭っても、また溢れてくる。
胸の奥で、行き場のない感情が暴れていた。
怒り。
悲しみ。
悔しさ。
惨めさ。
それだけではなかった。
憎悪もあった。
執着もあった。
それでも捨てきれない愛情もあった。
全部がぐちゃぐちゃに混ざって、息をするだけで苦しかった。
穀潰し。
無能。
不味い飯。
恥ずかしくて生きていけない。
わざと聞こえるように投げつけられた言葉が、何度も頭の中で響く。
忘れたいのに、消えてくれない。
「……分かってるよ」
リュカは掠れた声で呟いた。
「僕が無能なことくらい……」
分かっている。
誰よりも。
三年間、ずっと思い知らされてきた。
それでも。
あんなふうに笑われたくはなかった。
仲間だと思っていた人たちに。
かつて自分を褒めてくれた人たちに。
あんなふうに。
「う……っ」
喉の奥から、声が漏れた。
ずっと我慢していた。
怒られても。
馬鹿にされても。
雑用を押しつけられても。
笑っていた。
謝っていた。
自分が悪いのだと思い続けた。
そう思えば、まだ耐えられたから。
でも、もう耐える場所もない。
耐えた先に残る居場所もない。
捨てられた。
追い出された。
いらないと言われた。
「うわああああああああっ!」
リュカは、森の中で号泣した。
子どものように声を上げて。
みっともなく。
情けなく。
抑え込んできたものを、全部吐き出すように。
「僕だって……!」
拳を握りしめる。
「僕だって、頑張ったのに……!」
荷物を持った。
料理を作った。
洗濯をした。
装備を磨いた。
肩を揉んだ。
魔物を解体した。
素材を回収した。
何でもした。
嫌われたくなかったから。
捨てられたくなかったから。
また昔みたいに、四人で笑いたかったから。
「僕だって……役に立ちたかったんだよ……!」
魔法の勉強だって続けた。
火。
水。
風。
土。
何度も試した。
何度も失敗した。
それでも諦めなかった。
次こそは。
明日こそは。
いつかきっと。
そう信じ続けた。
けれど、何も変わらなかった。
使えるのは、ただ一つ。
仲間を巻き込むだけの危険な魔法。
狭いダンジョンでは役に立たない魔法。
褒められたはずなのに、いつしか邪魔だと言われるようになった魔法。
爆裂魔法だけだった。
「くそ……!」
リュカは足を止めた。
森は静かだった。
木々の隙間から光が差し込み、葉が風に揺れている。
その静けさすら、今のリュカには苦しかった。
何もかもが、自分だけを置いて穏やかに存在しているように思えた。
リュカは震える手を前へ向ける。
杖はない。
名門ルーデル=カルテの杖は、もう手元にない。
それでも。
あの魔法だけは使える。
唯一、自分に残された魔法。
爆裂魔法。
「こんな魔法しか使えないから……!」
魔力が溢れる。
空気が震える。
「無能だから!!」
次の瞬間。
轟音。
ドオオオオオンッ!
木々の間で爆発が起こり、土と葉が舞い上がった。
リュカは荒い息を吐く。
涙は止まらない。
「くそ!」
再び魔力を放つ。
ドオオオオンッ!
爆発。
衝撃が森を揺らす。
枝が折れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「くそっ!」
また放つ。
ドオオオオオオンッ!
爆風が木々の間を駆け抜ける。
「なんでだよ!」
リュカは叫ぶ。
「なんで僕には、これしかないんだよ!」
爆発。
「こんなの魔法じゃない!」
爆発。
「仲間も守れない!」
爆発。
「ダンジョンじゃ使えない!」
爆発。
「何の役にも立たない!」
爆裂魔法を放つたび、森に轟音が響いた。
それは敵に向けた魔法ではなかった。
誰かを守るための魔法でもなかった。
自分の魔法に。
自分自身に。
三年間信じ続けたものに。
リュカは憎しみをぶつけていた。
レインの顔が浮かぶ。
初めて出会った日の笑顔。
『ちょうど魔法使いを探してたんだ。なかなか見つからなくてさ』
初めて爆裂魔法を使った日の声。
『さすがリュカだ!』
ガルドの笑顔。
『すごい威力だ! 莫大な魔力は伊達じゃない!』
ヴィオラの微笑み。
『やっぱり、あなたには才能があったのよ』
嬉しかった。
本当に。
心の底から。
嬉しかった。
だから、嫌いになれなかった。
どれだけ酷いことを言われても。
どれだけ馬鹿にされても。
どれだけ雑に扱われても。
昔の三人を覚えていたから。
好きだったから。
仲間だと思っていたから。
だからこそ、苦しかった。
憎かった。
悲しかった。
悔しかった。
「こんな魔法なんて……!」
リュカは両手を前へ突き出す。
膨大な魔力が集まる。
涙で視界が滲む。
喉が裂けそうだった。
「消えてしまええええええええええっ!!」
ドオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
それまでで最大の爆発が起きた。
大地が震えた。
爆風が駆け抜ける。
木々が大きく揺れ、無数の葉が宙を舞う。
リュカは肩で息をする。
「はぁ……はぁ……」
どれだけ爆発させても、心は少しも軽くならなかった。
むしろ、空っぽになっていく。
怒りも。
悲しみも。
悔しさも。
全部吐き出したはずなのに、胸の奥には惨めさだけが残っていた。
「……僕は」
リュカは膝をつきそうになった。
「何をしてるんだろう……」
その時だった。
「森を荒らしているのは誰だ!」
凛とした声が、木々の向こうから響いた。
リュカはびくりと肩を震わせる。
「え……?」
顔を上げる。
木漏れ日の中。
一人の女性が立っていた。
長い髪が、風に揺れている。
人間離れした美しい顔立ち。
すらりとした体躯。
そして、髪の間から覗く、尖った耳。
エルフだった。
リュカは息を呑む。
エルフ。
人と友好的な精霊が長い年月を経て受肉した存在。
有身精霊。
本で読んだことはあった。
けれど、実際に見るのは初めてだった。
彼女は眉を吊り上げ、破壊された森を見渡す。
そして、リュカを見た。
「あなた?」
「……え?」
「この森で爆発を起こしていたのは、あなた?」
リュカは慌てて立ち上がろうとして、足がもつれた。
「す、すみません!」
頭を下げる。
「ごめんなさい! その、僕……!」
言葉が続かない。
泣いていたことも。
怒りに任せて魔法を放ったことも。
すべてが恥ずかしかった。
エルフの女性は、しばらくリュカを見つめていた。
怒っている。
当然だ。
森を荒らしたのだから。
何を言われても仕方ない。
リュカはそう思って、さらに頭を下げた。
「本当にすみませんでした……」
だが。
彼女は、少し違うところを見ていた。
爆発の跡。
散った土。
揺れる魔素。
そして、リュカの周囲。
彼女は目を細める。
「……というか」
「はい?」
「今の魔法、何?」
リュカは顔を上げた。
「……分かりません」
「分からない?」
「はい」
リュカは自嘲するように笑った。
「僕は無能だから。これしか使えないんです」
エルフの女性は首を傾げる。
「無能?」
「はい」
「あなたが?」
「そうです」
リュカは視線を落とす。
「火も、水も、風も、土も使えません。三年間、何も覚えられませんでした。使えるのは、今みたいな爆裂魔法だけで……それも仲間を巻き込むから、ほとんど使えなくて」
言っていて、胸が痛くなった。
自分で自分を説明するたび、自分の価値のなさを確認しているようだった。
「だから、パーティを追い出されました」
「……ふうん」
彼女はリュカの周囲をじっと見ている。
まるで、リュカ本人ではなく、そこに漂う何かを観察しているようだった。
「少なくとも、火属性じゃないね」
「え?」
「今の爆発。火魔法ではないと思う」
リュカは目を瞬かせた。
「でも、爆発したんですよ?」
「爆発したから火魔法、ってわけじゃないよ」
彼女は歩み寄る。
リュカは少し身構えた。
しかし彼女は、攻撃するわけでも、叱りつけるわけでもなかった。
ただ、リュカの周りを見る。
「変だね」
「変……ですか?」
「うん。あなたの周囲だけ、魔粒子の動きがおかしい」
「魔粒子……?」
聞き慣れない言葉に、リュカは首を傾げる。
「魔法の勉強はしたことある?」
「あります。使えないけど、勉強だけはずっと」
「なら、魔素は知ってるね」
「はい。世界に満ちる根源エネルギーで、魔法の源になるものですよね」
「そう」
彼女は頷く。
「その魔素は、さらに小さな四種類の魔粒子でできている。火、水、風、土。人間の魔法使いは普通、魔素の中から自分の適性に合った魔粒子を取り出して魔法を使う」
「それは、本で読みました」
「でも、あなたは違う」
エルフの女性は、まっすぐにリュカを見た。
「火、水、風、土。四つ全部が、あなたの魔力に反応してる」
「……え?」
「そして、さっきの爆発は、その四つが無理やり衝突して、融合した時に起きていた」
リュカは言葉を失った。
そんなこと、今まで誰にも言われたことがなかった。
爆裂魔法。
危険な魔法。
使えない魔法。
それだけだった。
「僕は……火属性じゃないんですか?」
「少なくとも、私にはそう見えない」
「でも、僕は四大属性の適性が全部なかったんです」
「うん。だからかもね」
「だから?」
「特定の属性に適性があるんじゃなくて、魔粒子そのものに干渉しているのかもしれない」
リュカは理解が追いつかなかった。
魔粒子。
干渉。
四属性すべて。
どれも、今まで自分には無縁だと思っていた言葉だった。
エルフの女性は少し考え込む。
そして、ぽつりと言った。
「君、もしかしたら……失われた魔法の才能を持っているのかもしれないよ」
「僕が?」
「うん」
「そんなはずありません」
リュカは即座に首を振った。
「僕は無能です」
「さっきからそればっかりだね」
「事実ですから」
「本当に?」
彼女の声は、不思議と穏やかだった。
怒っていたはずなのに。
今はもう、リュカを責めているようには聞こえなかった。
リュカは答えられない。
代わりに、涙がまたこぼれそうになる。
慌てて顔を背けた。
だが、遅かった。
彼女はそれを見ていた。
「……泣いてる」
「泣いてません」
「泣いてるよ」
「泣いてません」
「じゃあ、目から出てるそれは?」
「……汗です」
「目から?」
彼女は少し呆れたように言う。
リュカは黙り込んだ。
それから、彼女は肩の力を抜いた。
「私はフィオナ」
「え?」
「フィオナ・エルヴェシア」
彼女はそう名乗った。
「旅の途中だったんだけど、森の中から爆発音が聞こえてきたから来てみたの」
「……すみません」
「謝るのは後でいいよ。森を荒らしたことは、あとでちゃんと反省してもらうから」
「はい……」
「でも、その前に」
フィオナはリュカを見つめた。
「あなた、名前は?」
「リュカです。リュカ・ヴァレリー」
「リュカ」
フィオナはその名を一度、確かめるように呼んだ。
「行くところはある?」
リュカは黙る。
街には戻れない。
ギルドにも戻れない。
故郷にも帰れない。
行くところなど、どこにもない。
「……ありません」
「そう」
フィオナは少しだけ考えた。
それから、まるで散歩に誘うような軽さで言った。
「じゃあ、とりあえず一緒に来る?」
「……え?」
「私、旅の途中なんだ。大した目的はないけどね。世界を見たくて、あちこち歩いてる」
リュカは呆然とする。
「どうして……」
「どうして?」
「僕なんかを」
そう言うと、フィオナは少し困ったように笑った。
「だって、あなた泣いてるじゃん」
その一言に。
リュカの胸の奥が、少しだけ揺れた。
無能だから。
使えないから。
お荷物だから。
誰かにそう見られることには慣れていた。
けれど。
泣いているから。
そう言って手を伸ばされたことは、一度もなかった。
リュカは、何も言えなかった。
フィオナは木々の向こうを指差す。
「とりあえず、森の外れに私の野営地があるから。そこで話を聞かせて」
「僕の?」
「うん。あなたの魔法のこと。それから、何があったのかも」
リュカは迷った。
けれど、行く場所はない。
戻る場所もない。
そしてなぜか、このエルフの女性の声は、不思議と怖くなかった。
「……分かりました」
リュカは小さく頷いた。
フィオナは満足そうに笑う。
「よし。じゃあ行こう、リュカ」
そう言って歩き出すフィオナの背中を、リュカは見つめた。
ほんの少し前まで、何もかも終わったと思っていた。
仲間を失った。
杖を失った。
居場所を失った。
自分には何も残っていないと思っていた。
けれど。
森の奥で、リュカは出会った。
フィオナ・エルヴェシア。
世界を見たくて旅をしていた、一人のエルフ。
この出会いが、二つの魂を遥かな未来まで結ぶ、長い恋の始まりになることを。
リュカはまだ、知らなかった。




