第35話 祭りの夜
その町へ立ち寄ったのは。
本当に、ただの偶然だった。
「今日はここに泊まろうか」
「うん」
夕暮れ。
リュカとフィオナは、その日の宿を探すために町へ入った。
けれど。
町の門をくぐった瞬間。
二人は足を止めた。
「……何これ?」
リュカが呟く。
町中が。
無数の灯りで彩られていた。
通りには色鮮やかな飾りが並び。
家々の軒先には、小さな灯籠が吊るされている。
広場からは、陽気な音楽が聞こえてくる。
太鼓。
笛。
弦楽器。
その音に合わせて、人々が踊っていた。
子どもたちが笑いながら走り回る。
大人たちは酒を飲み。
恋人たちは肩を寄せ合い。
そして。
通りの両側には。
ずらりと。
屋台が並んでいた。
「……」
フィオナが無言になる。
「フィオナ?」
「……」
「どうしたの?」
返事がない。
リュカが隣を見る。
フィオナは。
目を輝かせていた。
「リュカ!」
「な、何?」
「あれ食べよう!」
「え?」
フィオナが指差した先。
大きな串に刺さった肉が、炭火で豪快に焼かれている。
「さっき食べたばっかりだろ!」
「祭りは別腹!」
「そんな言葉あるの!?」
「今作った!」
「作ったんだ!?」
フィオナは笑いながら屋台へ向かう。
「二つください!」
「待って! 僕も食べることになってる!?」
「食べないの?」
「……食べるけど」
「ほら」
「なんか悔しいな……」
二人は焼きたての串焼きを受け取った。
熱い。
けれど。
香ばしい匂いがたまらない。
「いただきます!」
フィオナが豪快に齧りつく。
そして。
「おいしい!」
「本当?」
「食べてみて!」
リュカも一口。
「……本当だ」
「でしょ?」
「うん。おいしい」
二人は笑った。
そして。
それからも。
屋台を巡った。
「あれ何?」
「知らない」
「食べよう!」
「また!?」
「あっちも!」
「まだ食べるの!?」
「リュカ!」
「今度は何!?」
「甘い匂いがする!」
「だから何でそんなに元気なの!?」
焼いた肉。
魚。
野菜。
甘い菓子。
見たことのない果物。
その土地でしか食べられない料理。
フィオナは。
見つけるたびに目を輝かせた。
リュカも。
最初こそ呆れていたが。
いつの間にか。
彼女と一緒になって、祭りを楽しんでいた。
「これ、おいしいよ」
「本当?」
「食べてみる?」
「うん」
リュカが持っていた料理を、フィオナが一口食べる。
「おいしい!」
「でしょ?」
「もう一口」
「自分のあるでしょ!?」
「あっちは違う味だから」
「じゃあ交換しようよ!」
「嫌」
「なんで!?」
「あははは!」
フィオナが笑う。
リュカも笑った。
少し前まで。
食事とは。
ただ空腹を満たすためのものだった。
味など。
ほとんど感じなかった。
けれど今は。
同じものを食べ。
おいしいと言い。
時には不味いと言って。
一緒に笑う人がいる。
それだけで。
どんな料理も。
少しだけ特別なものになるような気がした。
「あっ」
フィオナが足を止める。
「今度は何?」
「お酒」
「……また飲むの?」
「祭りだから」
「便利だなあ、その言葉」
二人は地酒を売る屋台へ立ち寄った。
この地方でしか造られていないという。
珍しい酒。
「飲んでみようよ」
「いいけど」
二人は小さな杯を受け取る。
「乾杯」
「乾杯」
杯を軽く合わせる。
そして。
二人同時に飲んだ。
「……」
「……」
沈黙。
リュカはフィオナを見る。
フィオナもリュカを見る。
「……どう?」
リュカが尋ねる。
フィオナは。
ものすごく嫌そうな顔をした。
「うわ、何これ」
「……」
「このお酒、まずい」
リュカは吹き出した。
「ははっ!」
「何笑ってるの!?」
「いや、だって……」
「リュカはどうなの?」
「……」
もう一口。
飲んでみる。
「……本当だ」
「でしょ?」
「すごく不味い」
「だよね!」
「はははは!」
「あはははは!」
二人は笑った。
美味しいものを食べて笑う。
不味いものを飲んで笑う。
どちらでも。
一緒なら楽しかった。
「もう一杯飲む?」
「嫌だよ!」
「祭りだよ?」
「それで何でも許されると思わないで!」
「あははは!」
祭りは続く。
音楽を聴いた。
踊りを見た。
知らない人たちと笑った。
通りを歩いた。
灯りを眺めた。
そして。
夜が深くなるにつれて。
人の数は、ますます増えていった。
「すごい人だね」
「うん」
「フィオナ、はぐれないでよ」
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「子どもじゃないんだから」
「さっきまで子どもみたいにはしゃいでたけど」
「何か言った?」
「何でもない」
人の波が押し寄せる。
右から。
左から。
前から。
後ろから。
「うわっ」
誰かにぶつかり。
リュカが少し前へ押し出された。
「フィオナ?」
振り返る。
彼女は少し後ろにいた。
けれど。
また人が間に入る。
「ちょっと待って!」
リュカが声を上げる。
その時だった。
ぎゅっ。
「……」
手に。
温かな感触があった。
リュカは見る。
自分の手を。
フィオナが握っていた。
「……」
「……」
リュカは固まった。
「どうしたの?」
「いや……」
「何?」
「……何でもない」
「変なの」
フィオナは何でもないことのように言った。
「はぐれたら困るでしょ?」
「……うん」
「だから」
「……うん」
それだけだった。
ただ。
はぐれないため。
それだけ。
なのに。
なぜだろう。
心臓が少しだけ速くなった。
フィオナの手。
小さい。
柔らかい。
温かい。
そんなことを意識した瞬間。
さらに心臓が速くなる。
「……リュカ?」
「何?」
「手、汗かいてない?」
「気のせい!」
「そう?」
「祭りが暑いから!」
「ふーん」
フィオナが笑う。
「何?」
「別に」
「絶対何かあるでしょ」
「ないよ」
「あやしい」
「フィオナに言われたくないよ!」
「あははは!」
フィオナは笑った。
そして。
手を離さなかった。
リュカも。
離せなかった。
やがて。
人混みを抜けた。
もう。
はぐれる心配はない。
広い場所へ出た。
それでも。
二人は手を繋いだままだった。
「……」
「……」
リュカは思う。
もう離してもいい。
いや。
離すべきなのかもしれない。
けれど。
なぜか。
自分から離すことができなかった。
そして。
フィオナも。
何も言わなかった。
ただ。
隣を歩いている。
手を繋いだまま。
祭りの灯りの中を。
二人で。
「ねえ、リュカ」
「何?」
「あれ食べよう」
「まだ食べるの!?」
「祭りは別腹!」
「さっきも聞いたよ!」
「あははは!」
フィオナが笑う。
リュカも笑った。
そして。
その手は。
まだ繋がれたままだった。
ただ。
はぐれないため。
最初は。
それだけだった。
けれど。
人混みを抜けても。
もう、はぐれる心配がなくなっても。
どちらからともなく。
手を離そうとはしなかった。
まだ。
二人は。
その気持ちを恋とは呼ばない。
ただ。
祭りの夜。
二人の距離は。
ほんの少しだけ。
近くなった。




