第33話 名物料理を食べよう
それから数日後。
リュカとフィオナは、とある地方都市へ辿り着いた。
決して大きな街ではない。
王都のような巨大な城壁があるわけでも。
多くの冒険者が行き交うわけでもない。
けれど。
街へ足を踏み入れた瞬間。
「……いい匂い」
フィオナの足が止まった。
「え?」
「リュカ」
「何?」
「いい匂いがする」
「そう?」
「する」
フィオナは真剣な顔で辺りを見回す。
まるで獲物を探すように。
「こっち」
「分かるの?」
「うん」
「すごいね……」
フィオナは迷いなく歩き始めた。
リュカも、その後を追いかける。
そして。
二人が辿り着いたのは、一軒の食堂だった。
店の前には、大きな看板が掲げられている。
そこに描かれていたのは。
巨大な肉の塊。
「……これ?」
「これ!」
フィオナの目が輝いた。
この地方の名物料理。
巨大な肉を豪快に焼き上げ。
香辛料と特製のソースをたっぷりとかけた料理らしい。
「食べよう!」
「即決だね」
「だって、これを食べに来たんでしょ?」
「いや、美味しいものを食べに来たんだけど」
「同じだよ」
「そうかなあ……」
二人は店へ入った。
中は多くの客で賑わっている。
そして。
ほとんどのテーブルに。
巨大な肉料理が置かれていた。
「すごい……」
リュカが思わず呟く。
一人前とは思えないほど大きい。
いや。
よく見れば。
何人かで取り分けて食べている。
「二人なら、これくらいかな」
リュカは二人用と書かれた料理を注文した。
そして。
しばらく待つ。
「まだかな」
「今注文したばっかりだよ」
「お腹空いた」
「朝ご飯食べたよね?」
「食べたよ」
「いっぱい食べたよね?」
「食べたよ」
「じゃあ、なんでお腹空いてるの?」
「歩いたから」
「そんなに歩いてないよ」
「美味しそうな匂いを嗅いだから」
「それでお腹空くの?」
「空くよ?」
フィオナは不思議そうに首を傾げた。
どうやら。
本気で言っているらしい。
リュカは苦笑する。
そして。
しばらくして。
「お待たせしました!」
大きな皿が運ばれてきた。
「わあ……!」
フィオナが身を乗り出す。
皿の上には。
大きな肉の塊。
表面は香ばしく焼かれ。
肉汁が溢れている。
その上から。
たっぷりの特製ソースがかけられていた。
「これ全部食べていいの!?」
「二人分だからね?」
「分かってるよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「今、たぶんって言ったよね?」
「いただきます!」
「誤魔化した!」
フィオナは早速、肉を切り分ける。
そして。
一口。
「……!」
目を見開いた。
「おいしい!」
「本当?」
「うん! すごくおいしい!」
もう一口。
さらに一口。
「ちょっと待って」
「何?」
「食べるの早くない?」
「そう?」
「そうだよ」
「冷めちゃうよ?」
「そんなにすぐ冷めないよ!」
リュカも慌てて肉を切り分ける。
そして。
一口。
口へ運んだ。
「……あ」
思わず。
声が漏れた。
美味しい。
香ばしく焼かれた表面。
噛めば溢れる肉汁。
香辛料の刺激。
少し甘みのある濃厚なソース。
温かい。
柔らかい。
美味しい。
「おいしいね」
「でしょ?」
「なんでフィオナが得意そうなの?」
「私が見つけたから」
「匂いでね」
「それも才能だよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
フィオナは笑った。
そして。
また食べる。
「ちょっと」
「何?」
「僕の分も残してね?」
「分かってるよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「また言った!」
フィオナが笑う。
リュカも笑った。
その時だった。
ふと。
リュカの手が止まった。
「……」
目の前では。
フィオナが美味しそうに料理を食べている。
頬を緩ませ。
楽しそうに笑い。
次はどこを食べようかと、巨大な肉を真剣に見つめている。
周囲には。
家族連れがいる。
友人同士で食事をする者たちがいる。
酒を飲みながら笑う冒険者たちがいる。
誰もが。
食事を楽しんでいた。
そして。
自分も。
今。
笑っている。
誰かと同じ料理を食べて。
美味しいと言って。
くだらないことで言い合って。
笑っている。
そのことに気づいた瞬間。
リュカは。
勇者パーティにいた頃のことを思い出した。
朝。
昼。
夜。
料理を作るのは、いつもリュカだった。
皆が休んでいる間に。
薪を集め。
火を起こし。
食材を切り。
鍋を煮込む。
少しでも美味しくなるように工夫した。
けれど。
返ってくるのは。
いつも文句だった。
『不味い』
『遅い』
『こんなものしか作れないのか?』
『犬の飯以下だわ』
笑われた。
馬鹿にされた。
料理が気に入らなければ。
食材を無駄にしたと責められた。
それでも。
リュカは何も言えなかった。
皆が食べ終わるのを待って。
後片付けをして。
最後に。
残ったものを食べた。
一人で。
冷めた料理を。
最初の頃は。
辛かった。
悔しかった。
悲しかった。
どうして、そんなことを言われなければならないのだろうと思った。
少しでも美味しく作ろうとした。
少しでも皆に喜んでもらおうとした。
けれど。
何をしても。
返ってくるのは。
文句と。
嘲笑と。
罵声だけだった。
そんな生活を続けているうちに。
いつしか。
料理の味を感じなくなっていた。
何を食べても。
美味しいとも。
不味いとも。
思わなくなった。
ただ。
空腹を満たすために。
口へ運ぶ。
噛む。
飲み込む。
それだけ。
そして。
それが当たり前になるまでに。
そう時間はかからなかった。
食事とは。
そういうものだと思っていた。
腹を満たすための時間。
皆の機嫌を損ねないための仕事。
失敗すれば怒られる。
遅ければ責められる。
何を言われるか分からない。
だから。
食事の時間が近づくたびに。
少しだけ怖かった。
けれど。
今は。
「……おいしい」
リュカは小さく呟いた。
「うん?」
フィオナが顔を上げる。
リュカは、もう一口。
肉を食べた。
美味しい。
本当に。
美味しい。
温かい。
柔らかい。
噛めば肉汁が溢れる。
香辛料の香りが広がる。
隣では。
フィオナが笑っている。
「……楽しい」
「リュカ?」
「楽しい」
もう一度。
呟いた。
食事をしている。
ただ。
誰かと一緒に。
同じ料理を食べている。
それだけなのに。
楽しい。
「食事って……」
リュカは自分でも驚いたように呟いた。
「こんなに美味しかったんだ」
その瞬間。
ぽたり。
何かが。
皿の横へ落ちた。
「……あれ?」
リュカは目元へ触れる。
濡れていた。
ぽたり。
また一粒。
そして。
もう一粒。
気づけば。
涙が。
ぼろぼろと溢れていた。
「……え?」
リュカは慌てる。
「ちょ、ちょっと待って」
目元を拭う。
けれど。
止まらない。
「なんで……」
「リュカ」
「いや、その……」
リュカは周囲を見る。
人がいる。
大勢いる。
家族連れも。
冒険者も。
店員もいる。
「人前だよ……」
リュカは慌てて俯いた。
「さすがに恥ずかしいよ……」
フィオナは。
そんなリュカを見つめる。
そして。
少しだけ笑った。
「泣き虫だなあ」
「……仕方ないだろ」
「うん」
「自分でも、なんで泣いてるのか分からないんだから」
「そっか」
「……笑わないでよ」
「笑ってないよ」
「ちょっと笑ってる」
「ちょっとだけ」
「もう……」
リュカは涙を拭った。
けれど。
不思議と。
嫌な涙ではなかった。
悲しいわけではない。
辛いわけでもない。
悔しいわけでもない。
ただ。
嬉しかった。
美味しいものを。
美味しいと思えることが。
誰かと一緒に。
食事を楽しめることが。
こんなにも。
嬉しかった。
「……リュカ」
「何?」
「冷めるよ?」
「……」
リュカは目を瞬かせる。
そして。
笑った。
「フィオナが食べちゃうからでしょ」
「早い者勝ちだよ」
「二人分だからね!?」
「分かってるよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「また言った!」
フィオナが笑う。
リュカも。
涙を拭いながら笑った。
そして。
また一口。
料理を食べる。
美味しかった。
今度は。
ちゃんと。
その味が分かった。
勇者パーティにいた頃。
食事とは。
苦痛だった。
料理を作り。
文句を言われ。
馬鹿にされ。
皆が食べ終わった後に。
一人で冷めた残り物を食べた。
そんな日々の中で。
いつしか。
料理の味さえ感じなくなっていた。
けれど。
今は違う。
同じ料理を食べる。
同じ食卓を囲む。
美味しいと言う。
笑う。
時々。
食べすぎるフィオナに文句を言う。
それだけ。
特別なことなど。
何もしていない。
けれど。
リュカは思った。
食事とは。
本当は。
こんなにも楽しいものだったのだと。
こんなにも。
美味しいものだったのだと。
「ねえ、リュカ」
「何?」
「もう一皿頼んでいい?」
「……」
「駄目?」
「まだ食べるの!?」
「だって美味しかったから」
「二人分だったんだよ!?」
「でも、ほとんど私が食べたから」
「自覚あったんじゃん!」
「あははは!」
フィオナが笑う。
リュカも笑った。
そして。
結局。
もう一皿。
注文することになった。
今度は。
リュカの分も。
ちゃんと残してもらう約束をして。




