第32話 美味しいものを食べに行こう
翌朝。
朝日が昇り始めた頃。
リュカは野営地の片付けをしていた。
焚き火の跡を消し。
荷物をまとめ。
忘れ物がないかを確認する。
すっかり旅にも慣れたものだった。
少し離れた場所では、フィオナが大きく背伸びをしている。
「んーっ!」
朝の澄んだ空気をいっぱいに吸い込み。
フィオナは満足そうに息を吐いた。
そして。
「ねえ、リュカ」
「何?」
「美味しいものを食べに行こう」
「……」
リュカの手が止まった。
「昨日も、そんな話してなかった?」
「したよ?」
「……それが目的地?」
「うん!」
あまりにも当然のように答えられた。
リュカは少し考える。
「どこの?」
「分かんない」
「何を食べるの?」
「それも分かんない」
「じゃあ、どこに行くの?」
「それを今から決めるの!」
「何も決まってないじゃん!」
「あははは!」
フィオナが楽しそうに笑う。
リュカは呆れながらも。
いつの間にか、自分も笑っていた。
「でも、美味しいものって言ってもなあ……」
リュカは荷物から地図を取り出す。
地面へ広げ。
二人で覗き込む。
「この近くだと……」
「どこ?」
「ここ」
リュカが一つの街を指差した。
「歩いて何日かかかると思う」
「何があるの?」
「知らない」
「じゃあ駄目」
「なんで!?」
「美味しいものがあるか分からないから」
「それを言ったら、どこにも行けないだろ!」
「じゃあ、こっちは?」
「遠いよ」
「でも大きな街だよ?」
「大きな街だからって、美味しいとは限らないだろ」
「美味しいものくらいあるよ」
「たぶんね」
「じゃあ、決まり!」
「まだ何も決めてないよ!」
フィオナは地図の上へ指を置く。
「ここ!」
「だから遠いって」
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ行こう!」
「そんな決め方でいいの?」
「いいんじゃない?」
フィオナは笑った。
「だって、急いでないでしょ?」
「……」
リュカは答えなかった。
急いでいない。
その言葉が。
不思議なくらい胸に残った。
勇者パーティにいた頃。
いつも急いでいた。
次の依頼。
次の街。
次の魔物。
次の討伐。
決められた時間までに食事を作り。
誰よりも早く起きて朝食を用意し。
皆が休んでいる間に荷物を整理し。
魔物を倒せば、その死体を解体する。
素材を回収する。
夜になれば料理を作る。
洗濯をする。
肩を揉む。
そして。
翌日には、また次の場所へ向かう。
どこへ行くのか。
なぜ行くのか。
リュカが決めることはなかった。
ただ。
言われた場所へ行く。
命令されたことをする。
置いていかれないように。
怒られないように。
迷惑をかけないように。
必死についていく。
それが。
リュカにとっての旅だった。
「……急いでないね」
「でしょ?」
「うん」
「だったら、遠くてもいいじゃん」
フィオナは地図を見ながら言う。
「途中で面白そうな場所を見つけたら、寄ればいいし」
「うん」
「美味しそうなものがあったら食べればいいし」
「うん」
「疲れたら休めばいい」
「うん」
「気が変わったら、違うところに行ってもいい」
「……それもありなの?」
「駄目なの?」
フィオナは不思議そうに首を傾げた。
リュカは少し考える。
そして。
「いや」
小さく笑った。
「いいと思う」
「でしょ?」
どこへ行ってもいい。
途中で寄り道してもいい。
疲れたら休んでもいい。
気が変わったら。
目的地を変えてもいい。
そんな当たり前のことを。
リュカは、これまで知らなかった。
「じゃあ、決まり!」
フィオナが勢いよく立ち上がる。
「美味しいものを探しに行こう!」
「結局、それしか決まってないけどね」
「十分でしょ?」
「まあ……そうかも」
リュカも立ち上がった。
荷物を背負う。
フィオナが先に歩き出す。
その後を追いかけようとして。
リュカは、ふと足を止めた。
目の前には。
一本の道が続いている。
その先に何があるのか。
まだ分からない。
どんな街があるのか。
誰と出会うのか。
何を食べるのか。
何が起こるのか。
何一つ決まっていない。
けれど。
それが。
少しだけ楽しみだった。
「リュカ?」
先を歩いていたフィオナが振り返る。
「どうしたの?」
「何でもない」
「早く行こうよ!」
「うん!」
リュカは駆け出した。
これまでの旅には。
いつも理由があった。
依頼を受けたから。
魔物を倒すため。
誰かに命令されたから。
必要だったから。
けれど。
今回は違う。
美味しいものを食べたい。
ただ、それだけ。
誰かのためではない。
何かを証明するためでもない。
自分たちが行きたいから。
行く。
それだけでよかった。
「ねえ、リュカ!」
「何?」
「もし美味しくなかったらどうする?」
「別の街に行けばいいんじゃない?」
「それいいね!」
「次はもっと美味しいものを探そう」
「うん!」
二人の笑い声が。
朝の街道へ響いていく。
目的地は。
まだ、はっきりとは決まっていない。
けれど。
行きたい場所は。
これから二人で決めればいい。
何を食べるのかも。
どこで眠るのかも。
いつ休むのかも。
どんな道を歩くのかも。
全部。
二人で決めればいい。
こうして。
リュカとフィオナは歩き始めた。
世界のどこかにある。
まだ知らない。
美味しいものを探して。




