第24話 妖精誘導法
掌に小さな炎を灯すことに成功してから。
リュカの魔法修行は、少しずつ次の段階へ進んでいった。
火だけではない。
水。
風。
土。
世界を構成する、四種類の魔粒子。
リュカは毎日のように妖精眼鏡をかけ、妖精たちと向き合った。
最初に挑戦したのは、水だった。
「今日は水の魔法をやってみようか」
「うん」
フィオナに連れられ、リュカは小川のほとりへやって来た。
妖精眼鏡をかける。
その瞬間。
透明だった世界に、無数の光が浮かび上がった。
小川の周囲には、青い魔粒子が満ちている。
水の流れに合わせるように。
ゆったりと。
絶え間なく。
大地の上を巡っていた。
その青い光の中では、水の妖精――ウンディーネたちが楽しそうに飛び回っている。
リュカは川辺へ腰を下ろした。
そして、ウンディーネたちへ恐る恐る声をかける。
「……少しだけ、力を貸してくれる?」
ウンディーネたちは、互いの顔を見合わせた。
「どうしよっかなあ」
「この前まで、私たちのことを無理やり引っ張ってたもんね」
「うっ……」
「しかも三年間」
「……申し訳ございませんでした」
「よろしい」
ウンディーネたちは楽しそうに笑った。
以前なら。
リュカの姿を見ただけで逃げていく妖精もいた。
怒り出す者もいた。
絶対に協力しないと、頬を膨らませる者もいた。
当然だった。
三年間。
リュカは妖精たちの姿を見ることも。
声を聞くこともできないまま。
自らの莫大な魔力で、周囲の魔粒子を無理やり引き寄せ続けていたのだから。
けれど。
リュカは諦めなかった。
何度も謝った。
話しかけた。
妖精たちの声を聞いた。
失敗すれば、また謝った。
力を貸してもらえれば、必ず感謝した。
そんな日々を繰り返すうちに。
本当に少しずつ。
リュカと妖精たちの距離は縮まっていた。
「じゃあ、ちょっとだけね」
「ありがとう」
「ちゃんと優しくしてよ?」
「うん」
「絶対に引っ張らないでね?」
「分かってる」
「爆発させたら怒るからね?」
「もうしないよ!」
「本当に?」
「……たぶん」
「たぶん!?」
「冗談だよ!」
ウンディーネたちが笑う。
リュカも、少しだけ笑った。
そして。
小川を流れる青い魔粒子へ意識を向ける。
魔力で捕まえようとはしない。
命令もしない。
無理やり、自分のもとへ引き寄せることもしない。
ただ。
流れを見る。
山から湧き。
大地を潤し。
川となり。
やがて海へ至る。
決して止まることのない、水の流れ。
その中へ。
ほんの少しだけ。
自分の願いを重ねる。
「少しだけ、こっちへ来てくれる?」
リュカが手を差し出す。
すると。
青い魔粒子が、ゆっくりと流れを変え始めた。
一つ。
また一つ。
リュカの掌へ集まっていく。
やがて。
ぽたり。
小さな水滴が生まれた。
「……できた」
「できたね」
隣で見守っていたフィオナが笑う。
最初に灯した炎よりも。
さらに小さな一滴。
けれど。
それでよかった。
今のリュカにとって大切なのは、威力ではない。
どれほど大きな魔法を使えるかでもない。
世界の流れを知ること。
妖精たちの声を聞くこと。
そして。
自分一人の力で、何もかもを動かそうとしないことだった。
「ありがとう、ウンディーネ」
「どういたしまして」
「ちゃんとお礼を言えたね」
「偉い偉い」
「……子ども扱いされてない?」
「気づいた?」
「気づくよ!」
ウンディーネたちの笑い声が、小川のせせらぎへ溶けていった。
◇
次に挑戦したのは、風だった。
風は目に見えない。
けれど。
草木を揺らし。
雲を運び。
種を遠くへ届け。
世界中を巡り続けている。
妖精眼鏡を通せば。
緑色の魔粒子が、複雑な軌道を描きながら空を流れているのが見えた。
その中を。
風の妖精――シルフたちが、自由に飛び回っている。
「少しだけ、風を吹かせてくれる?」
リュカが頼む。
「いいよ」
「どっちへ?」
「……あっち?」
「適当だなあ」
「ご、ごめん」
「また謝った!」
「あっ」
「どっちへ吹かせたいのか、ちゃんと言わなきゃ分からないよ」
「じゃあ……あの木の方へ、優しく吹かせてほしい」
「はーい」
シルフたちが楽しそうに笑う。
次の瞬間。
そよ風が吹いた。
草が揺れる。
リュカの髪がなびく。
隣に立つフィオナの長い髪も、風に乗って柔らかく広がった。
「できた!」
「うん」
「今の、僕がやったんだよね?」
「正確には、シルフたちに力を貸してもらったんだけどね」
「あっ」
リュカは慌てて周囲を見る。
「ありがとう、シルフ!」
「どういたしましてー!」
「今度はすぐに言えたね」
「成長した!」
「だから子ども扱いしないでよ!」
リュカの抗議する声が、風に乗って遠くへ流れていった。
◇
そして。
最後は土だった。
土の魔粒子は、火や水、風とは違っていた。
大地の中へ深く根を張るように存在し。
どっしりと。
ほとんど動くことなく、その場に留まっている。
黄色い魔粒子の近くでは、土の妖精――ノームたちが、地面の上でのんびりと寝転がっていた。
「少しだけ、動いてくれる?」
リュカが頼む。
「嫌」
「……どうして?」
「重いから」
「そういう問題なの?」
「そういう問題」
ノームは寝転がったまま答えた。
隣で見ていたフィオナが、堪えきれずに吹き出す。
「ふふっ」
「笑わないでよ」
「ごめんごめん」
「フィオナからも頼んでよ」
「リュカの修行でしょ?」
「そうだけど……」
それでも。
リュカは諦めなかった。
何度も頼んだ。
何度も流れを見ようとした。
土の魔粒子は、ほとんど動かない。
少し焦れば、つい魔力を込めそうになる。
けれど。
そのたびに手を止めた。
無理やり動かさない。
支配しない。
大地には、大地の流れがある。
人間には感じられないほど。
ゆっくりと。
長い時間をかけて巡る流れがある。
リュカは、その小さな動きを探し続けた。
「……少しだけでいいんだ」
大地へ向かって、静かに語りかける。
「力を貸してくれる?」
しばらく。
何も起こらなかった。
けれど。
やがて。
「少しだけだからね」
一体のノームが、面倒そうに身体を起こした。
黄色い魔粒子が、僅かに揺れる。
地面が震えた。
そして。
ころり。
指先ほどの小さな土の塊が、地面から浮かび上がった。
「……できた!」
リュカは目を輝かせた。
「ありがとう、ノーム!」
「どういたしまして」
ノームは再び地面へ寝転がった。
「もう寝るから、静かにしてね」
「う、うん」
炎。
水。
風。
土。
どれも。
まだ小さい。
戦闘で使えるようなものではない。
けれど。
かつて四大属性の魔法を一つも使えなかったリュカが。
今では。
四種類すべての魔粒子へ働きかけられるようになっていた。
サラマンダー。
ウンディーネ。
シルフ。
ノーム。
四種の妖精たちの声を聞き。
力を借りることで。
火。
水。
風。
土。
すべての属性へ干渉することができる。
そして。
その姿を見つめながら。
フィオナは、あることに気づき始めていた。
「……やっぱり、おかしい」
「え?」
「リュカの魔法」
「また?」
「またって何?」
「だって僕、普通じゃないって何回も言われてるから……」
「まあ、普通じゃないね」
「即答しないでよ」
フィオナは笑った。
しかし。
すぐに、真剣な表情へ戻る。
「そういう意味じゃないよ」
フィオナは、リュカの周囲を漂う魔粒子を見る。
「あなたは、普通の魔法使いとは根本的に魔法の使い方が違う」
「根本的に?」
「うん」
普通の魔法使いは。
魔素の中から、自らの適性に合った魔粒子を取り出す。
火の適性を持つ者なら、火。
水なら、水。
風なら、風。
土なら、土。
そして。
取り出した魔粒子へ自らの魔力を与え、望む現象へ変換する。
それが。
人間の国で広く知られている魔法だった。
しかし。
リュカは違う。
リュカには、四大属性のどれにも適性がない。
だから。
魔素の中から、特定の魔粒子を取り出すことができない。
その代わり。
すでに世界に存在している魔粒子そのものへ、直接働きかけることができた。
流れを見る。
声を聞く。
願いを伝える。
妖精たちの力を借りる。
そして。
本来あるべき自然の流れを大きく乱すことなく。
望む現象へ、ほんの少しだけ導いていく。
「……これって」
フィオナが小さく呟いた。
「どうしたの?」
「もしかしたら……」
何か。
ずっと昔に聞いた覚えがあった。
幼い頃。
故郷の古い書物で読んだのかもしれない。
あるいは。
誰かから聞いた昔話だったのかもしれない。
魔粒子を直接見る。
世界の流れを読み取る。
妖精たちの声を聞き。
力を借りながら。
望む現象へと導いていく。
かつて。
そんな魔法技術が存在した。
けれど。
長い歴史の中で失われ。
今では名前すら、ほとんど知られていない技術。
「妖精誘導法……」
「え?」
「たぶん、あなたがやっていること」
フィオナはリュカを見る。
「昔、妖精誘導法と呼ばれていた魔法技術に、すごく似てる」
「妖精……誘導法」
リュカは初めて聞く言葉を、ゆっくりと繰り返した。
「それって、すごい魔法なの?」
「さあ?」
「知らないの!?」
「だって、昔の魔法だもん」
「じゃあ、どうして名前を知ってるの?」
「聞いたことがあるから」
「誰に?」
「忘れた」
「忘れたの!?」
フィオナは楽しそうに笑う。
「エルフは長生きだからね。いろいろ忘れるんだよ」
「便利な言い訳だなあ……」
リュカは苦笑する。
そして。
もう一度、自分の周囲を見渡した。
妖精眼鏡の向こう側。
そこには。
火がある。
水がある。
風がある。
土がある。
そして。
たくさんの妖精たちがいる。
「妖精誘導法か……」
リュカは、その名前をもう一度口にした。
不思議な響きだった。
けれど。
嫌いではなかった。
支配するのではない。
従わせるのでもない。
世界の流れを見つめ。
そこに生きる者たちの声を聞き。
必要な時に、ほんの少しだけ力を借りる。
それが。
リュカが歩み始めた、新しい魔法の道だった。
ただ。
この時のリュカは、まだ知らなかった。
かつて。
自分と同じ技術へ辿り着きながら。
まったく異なる道を選んだ者がいたことを。
妖精たちの声を聞き。
魔粒子へ直接干渉し。
その原理を極限まで追究した男。
やがて彼は。
妖精たちへ願うことをやめた。
世界の流れに寄り添うことをやめた。
そして。
魔粒子を己の意思によって支配し。
無理やり従わせ。
強制的に衝突・融合させる禁忌の技術へ到達した。
生命の理を拒絶し。
自らの死を認めず。
千年もの時を生き続けた男。
その名は――。
魔王ニコラス。
同じ妖精誘導法へ辿り着いた二人。
けれど。
二人が選んだ道は、まったく違った。
ニコラスは。
世界を、自らのために従わせようとした。
リュカは。
自分もまた、世界の一部なのだと知った。
ニコラスは、魔粒子を支配した。
リュカは、魔粒子と共に歩むことを選んだ。
その小さな違いが。
やがて。
二人の生き方を。
そして。
二人が辿り着く結末を、大きく分けることになる。




