第23話 初めて魔法を使えた日
当然。
最初から、うまくいくはずなどなかった。
「違う!」
「えっ!?」
「また力を入れたでしょ!」
「ちょっとだけ!」
「ちょっとじゃない!」
「ご、ごめんなさい!」
「ごめんなさいじゃないでしょ!」
「申し訳ございませんでした!」
「よろしい!」
そんなやり取りを、何度繰り返しただろう。
リュカは毎日、妖精眼鏡をかけて魔粒子と向き合った。
見る。
流れを読む。
声を聞く。
そして、お願いする。
頭では分かっている。
魔粒子を無理やり動かしてはいけない。
自分の魔力で引き寄せてはいけない。
力ずくで従わせようとしてはいけない。
けれど。
三年間、身体に染みついた癖は、そう簡単には消えてくれなかった。
魔粒子を動かそうとすると、どうしても魔力を込めすぎてしまう。
すると。
「痛い!」
「引っ張らないで!」
「またやった!」
「ごめんなさい!」
「申し訳ございませんでした!」
「先に言われた!」
「もう覚えたから!」
妖精たちに怒られる。
謝る。
そして、もう一度挑戦する。
失敗。
また失敗。
何度やってもうまくいかない。
お願いしても、魔粒子は動かない。
少し動いたと思えば、無意識に力を込めてしまい、妖精たちに怒られる。
「……難しい」
ある日。
リュカは地面へ座り込み、深く肩を落とした。
「そう?」
隣に腰を下ろしたフィオナが、不思議そうに首を傾げる。
「そうだよ」
「でも、昨日より上手くなってるよ」
「どこが?」
「謝るのが」
「そこ!?」
「あははは!」
フィオナが楽しそうに笑う。
「笑い事じゃないよ……」
「でも、本当に少しずつ上手くなってるよ」
「全然、魔法を使えてないけど」
「まだ始めたばかりじゃん」
「……」
「三年間できなかったことが、数日でできたら苦労しないでしょ?」
「それはそうだけど……」
「だったら、もう一回やろうよ」
「……うん」
リュカは立ち上がった。
失敗しても。
怒鳴られない。
無能と呼ばれない。
役立たずと笑われない。
フィオナは、ただ言う。
もう一回やろう。
それだけだった。
だから。
リュカも、もう一度挑戦することができた。
そして。
何日もの時が過ぎた。
その日も。
リュカは妖精眼鏡をかけ、世界を見つめていた。
赤。
青。
緑。
黄。
四種類の魔粒子が、それぞれの流れに従って世界を巡っている。
リュカは、その流れをじっと見つめた。
以前のように、力を込めない。
引っ張らない。
捕まえない。
自分の思い通りに動かそうとしない。
ただ。
見る。
声を聞く。
その時だった。
「ねえ」
「……え?」
一体の妖精が、リュカの前へ飛んできた。
その小さな身体の周囲には、赤い魔粒子が漂っている。
火の妖精。
サラマンダーだった。
「今日は少しだけ、力を貸してあげる」
「……本当に?」
「少しだけだからね!」
「ありがとう!」
「あと」
サラマンダーは、小さな腕を組んだ。
「勘違いしないでよね」
「何を?」
「私たち妖精は、気まぐれなんだから」
「……うん」
「別に、あなたを完全に許したわけじゃないの」
「そうなの?」
「でも……」
サラマンダーは、少しだけ顔を背ける。
「まあ、毎日ちゃんと謝ってるし」
「うん」
「前みたいに、無理やり引っ張らなくなったし」
「うん」
「だから、少しくらいなら許してあげてもいいかなって思っただけ」
「……ありがとう」
「だから!」
サラマンダーは、リュカへ小さな指を突きつけた。
「ちゃんと感謝しなさいよね!」
「してるよ!」
「もっと!」
「本当にありがとうございます!」
「よろしい!」
サラマンダーは、満足そうに胸を張った。
リュカは思わず笑う。
そして。
サラマンダーの周囲を見る。
赤い魔粒子。
火を構成する、小さな光。
今までなら。
魔力を込めていた。
自分のもとへ、強引に引き寄せようとしていた。
けれど。
今日は違う。
「リュカ」
隣から、フィオナの声が聞こえる。
「無理やり動かさない」
「……うん」
「流れを見て」
リュカは、赤い魔粒子を見つめる。
ゆっくりと。
穏やかに。
世界の中を巡っている。
捕まえない。
逆らわない。
ただ、その行く先を見つめる。
「お願いするの」
「……うん」
リュカは、そっと手を差し出した。
そして。
小さく呟く。
「少しだけ、力を貸してくれる?」
赤い魔粒子が揺れた。
「……!」
リュカは息を呑む。
魔力で引っ張ってはいない。
無理やり動かしてもいない。
それなのに。
一つ。
また一つ。
赤い光が、ゆっくりと動き始める。
リュカの差し出した掌へ。
少しずつ。
少しずつ。
集まっていく。
「慌てないで」
フィオナが言う。
「……うん」
「力を入れない」
「分かってる」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「今は話しかけないで!」
「あははは!」
リュカは必死だった。
赤い魔粒子が集まる。
ほんの僅かに。
決して多くはない。
けれど。
確かに。
リュカの願いへ応えるように。
掌の上へ集まっている。
そして。
次の瞬間。
ぽっ。
小さな火が灯った。
「……」
リュカは動かなかった。
掌の上。
小さな炎が揺れている。
本当に小さかった。
蝋燭の火ほどしかない。
料理に使うには弱すぎる。
魔物を倒すことなどできない。
誰かを守れるような力でもない。
魔法使いならば、誰でも扱えるような。
小さな。
本当に小さな火。
けれど。
「……できた」
リュカの声が震えた。
フィオナが笑う。
「できたね」
「……僕が?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「僕が、魔法を使ったの?」
「そうだよ」
リュカは、自分の掌を見つめる。
火がある。
間違いなく。
自分の掌の上に、小さな炎が灯っている。
三年間。
何度挑戦しても、一度も使えなかった。
火。
水。
風。
土。
何一つ。
使うことができなかった。
どれだけ魔導書を読んでも。
どれだけ理論を学んでも。
どれだけ練習を繰り返しても。
何も起こらなかった。
無能。
役立たず。
お荷物。
そう呼ばれ続けた。
自分でも、そう思っていた。
けれど。
今。
掌の上に、小さな火が灯っている。
「……できた」
もう一度。
リュカは呟いた。
「僕……魔法を使えた」
「うん」
「初めて……」
ぽたり。
涙が落ちた。
「……あれ」
リュカは慌てて目元を拭う。
「また泣いてる」
フィオナが、優しく笑った。
「……仕方ないだろ」
「うん」
「三年間……ずっと……」
声が震える。
「ずっと、できなかったんだ」
「うん」
「何回やっても……何も起きなくて……」
「うん」
「僕には才能がないって……ずっと……」
それ以上。
言葉にならなかった。
リュカは泣いた。
掌に小さな火を灯したまま。
子どものように泣いた。
フィオナは何も言わなかった。
慰めることも。
励ますこともなく。
ただ。
リュカの隣にいた。
やがて。
サラマンダーが、リュカの顔の前まで飛んでくる。
「ちょっと!」
「……何?」
「泣いてないで!」
「ごめん……」
「だから謝らない!」
「……はい」
サラマンダーは腰に手を当てる。
「その火、あなた一人で出したんじゃないんだからね!」
「……うん」
「私たちが、力を貸してあげたんだから!」
「うん」
「だから!」
サラマンダーは胸を張った。
「ちゃんと感謝しなさいよね!」
リュカは涙を拭った。
そして。
笑った。
「ありがとう、サラマンダー」
「……よろしい!」
小さな火の妖精が、満足そうに頷く。
フィオナも笑った。
リュカは、もう一度自分の掌を見る。
小さな炎。
蝋燭ほどの火。
世界の誰かが見れば。
きっと。
何でもない魔法だと言うだろう。
けれど。
リュカにとっては違った。
三年間。
何度挑戦しても届かなかったもの。
どれだけ手を伸ばしても、掴むことのできなかったもの。
初めて。
生まれて初めて。
自分の意思で使うことのできた魔法。
それは。
世界を支配して生まれた火ではなかった。
無理やり奪った力でもなかった。
声を聞いて。
お願いして。
そして。
少しだけ力を貸してもらって生まれた。
小さな火だった。
この日。
リュカは、生まれて初めて魔法を使った。
誰かを倒すには、小さすぎる火。
何かを壊すには、弱すぎる炎。
けれど。
かつて無能と呼ばれた青年にとって。
その小さな火は。
どんな大魔法よりも。
眩しく輝いていた。




