第19話 もう一度、魔法を教えてほしい
フィオナと旅を始めてから、しばらく経った。
薬草を採った。
魔物を討伐した。
商人を護衛した。
稼いだ金で、美味しいものを食べた。
安宿に泊まった。
時には野宿もした。
失敗した。
笑った。
そして。
リュカは、生まれて初めて自由を知った。
誰かの機嫌を窺わなくていい。
怒鳴られることを恐れなくていい。
何かあるたびに謝らなくていい。
できることを精いっぱいすれば。
「ありがとう」
そう言ってくれる人がいる。
料理を作れば。
「おいしい!」
笑ってくれる人がいる。
それだけで。
世界は、以前よりもずっと温かく見えた。
そんなある日のことだった。
リュカとフィオナは、街から次の街へ向かう途中、小さな川のほとりで休憩していた。
木漏れ日が水面に揺れている。
澄んだ水が、さらさらと音を立てて流れていた。
フィオナは川辺の石に腰を下ろし、買ったばかりの果実を美味しそうに食べている。
「甘い」
「昨日も食べてなかった?」
「昨日のは昨日の分。これは今日の分」
「そういうものなの?」
「そういうものだよ」
フィオナは当然のように答えた。
リュカは苦笑する。
いつもの。
何でもない時間だった。
けれど。
リュカは、ずっと考えていた。
あの日。
森の中で初めて妖精眼鏡をかけた時。
世界は一変した。
空気の中を流れる、無数の魔粒子。
火。
水。
風。
土。
四種類すべての光が、自分の周囲へ集まっていた。
三年間。
自分には、四大属性の適性がないと言われ続けた。
何度挑戦しても。
火は灯らなかった。
水は生まれなかった。
風は吹かなかった。
大地は動かなかった。
だから。
自分には才能がないのだと思っていた。
無能なのだと。
けれど。
フィオナは言った。
『君の周りだけ、魔粒子の動きがおかしい』
そして。
『君の魔法は、普通の魔法とは違う』
その言葉が。
ずっと、胸の中に残っていた。
「……フィオナ」
「ん?」
果実を食べながら、フィオナが顔を上げる。
「どうしたの?」
「その……」
リュカは言葉に詰まった。
頼んでもいいのだろうか。
迷惑ではないだろうか。
フィオナにはフィオナの旅がある。
自分のために時間を使わせてもいいのだろうか。
そんな考えが、次々と浮かぶ。
「何?」
「いや……」
「言いたいことがあるんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、言えばいいじゃん」
簡単に言う。
フィオナはいつもそうだった。
できないことがあるなら、できる方法を探せばいい。
してもらって嬉しかったら、ありがとうと言えばいい。
美味しいものは、美味しいと言えばいい。
言いたいことがあるなら、言えばいい。
リュカは小さく息を吸った。
「僕に」
一度。
言葉が止まる。
それでも。
今度は逃げなかった。
「僕に、もう一度魔法を教えてほしい」
フィオナが目を瞬かせた。
「魔法?」
「うん」
リュカは頷く。
「三年間、ずっと勉強した」
魔導書を読んだ。
魔法理論を学んだ。
何度も練習した。
火を出そうとした。
水を生み出そうとした。
風を起こそうとした。
大地を動かそうとした。
何度も。
何度も。
けれど。
一度も成功しなかった。
「僕はずっと、自分には才能がないんだと思ってた」
「うん」
「何をやっても駄目で」
「うん」
「唯一使えるのは、あの爆発だけで」
「うん」
「だから……諦めた」
リュカは自分の手を見る。
何度も魔法を使おうとした手。
何も生み出せなかった手。
けれど。
今は知っている。
この手の周囲に。
火がいる。
水がいる。
風がいる。
土がいる。
四種類すべての魔粒子が、自分の魔力に反応している。
「でも」
リュカは顔を上げた。
「妖精眼鏡をかけて、初めて見えたんだ」
自分の周囲へ集まる光を。
誰かに言われたからではない。
自分自身の目で見た。
「フィオナも言ってくれたよね」
「何を?」
「僕の魔法は、普通の魔法とは違うって」
「ああ。言ったね」
「だから」
リュカは少しだけ迷って。
それでも、はっきりと告げた。
「もう一度だけ、自分の可能性を信じてみたい」
フィオナは何も言わなかった。
ただ。
リュカを見ていた。
三年間。
何度失敗しても、魔法の勉強を続けた青年。
無能と呼ばれても。
役立たずと笑われても。
それでも。
完全には捨てられなかった夢。
そして今。
ようやく自分の意思で。
もう一度、手を伸ばそうとしている。
フィオナは笑った。
「いいよ」
「……本当に?」
「うん」
フィオナは残っていた果実を口に放り込むと、石から立ち上がった。
「やってみよっか」
「……うん!」
リュカは笑った。
この時。
彼はまだ知らなかった。
自分が無能ではなかったことを。
四大属性すべてに適性がない。
だからこそ。
四種類すべての魔粒子へ、直接触れることができることを。
かつて。
世界の歴史から失われた魔法技術。
妖精誘導法。
そして。
その技術を極限まで追究した者が。
過去に、ただ一人だけ存在したことを。
けれど、それはまだ。
ずっと先の話。
今はただ。
一度は魔法を諦めた青年が。
もう一度。
自分の可能性を信じて。
最初の一歩を踏み出した。
リュカの。
本当の魔法修行が始まった。




