第17話 ありがとう
フィオナと共に旅を始めて、しばらく経った頃。
リュカは、あることに気づいた。
フィオナは、よく「ありがとう」と言う。
本当に。
何でもないようなことに。
料理を作れば。
「ありがとう」
荷物を持てば。
「ありがとう」
薬草を見つければ。
「ありがとう」
夜番を代われば。
「ありがとう」
最初のうち、リュカは気にしていなかった。
フィオナはそういう人なのだろう。
ただ、それだけだと思っていた。
けれど。
あまりにも毎回言うものだから、次第に気になり始めた。
ある日のこと。
二人は森の中で野営をしていた。
夕食を終え、焚き火の前で休んでいた時だった。
「今日は僕が先に夜番をするよ」
「いいの?」
「うん。フィオナは先に寝てて」
「ありがとう」
まただ。
リュカは、思わずフィオナを見る。
「……ねえ」
「何?」
「なんで毎回、お礼を言うの?」
「え?」
フィオナは不思議そうに首を傾げた。
「だから、その……」
リュカは少し言葉を探す。
「料理を作った時も」
「うん」
「荷物を持った時も」
「うん」
「薬草を見つけた時も」
「うん」
「今だって」
「うん」
「毎回、ありがとうって言うから」
「駄目なの?」
「駄目じゃないけど……」
リュカは困ったように頭を掻いた。
「なんで?」
「してもらったから」
あまりにも簡単な答えだった。
リュカは目を瞬かせる。
「でも、これくらい普通だよ」
「普通?」
「うん」
料理を作る。
荷物を持つ。
素材を回収する。
夜番を代わる。
そんなこと。
リュカにとっては、ずっと当たり前だった。
やって当然。
できて当然。
少しでも失敗すれば怒られる。
遅ければ文句を言われる。
上手くできても、何も言われない。
だって。
それくらいしかできないのだから。
それくらいやって当然なのだから。
けれど。
フィオナは首を傾げた。
本当に不思議そうに。
「普通だったら、感謝しなくていいの?」
「……え?」
「だって、普通なんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、普通のことをしてもらったら、ありがとうって言っちゃ駄目なの?」
「いや……駄目じゃないけど」
「だったら、いいじゃん」
フィオナは笑った。
「してもらって嬉しかったから、ありがとうって言っただけだよ」
「……」
まただ。
リュカは思った。
おいしいものを、おいしいと言う。
してもらって嬉しかったから、ありがとうと言う。
フィオナにとっては、それだけなのだ。
何か特別なことをしているつもりはない。
リュカを励まそうとしているわけでもない。
慰めようとしているわけでもない。
ただ。
嬉しかったから。
ありがとうと言う。
それだけ。
「……そっか」
「うん」
リュカは焚き火を見る。
赤い炎が、ぱちぱちと音を立てて揺れていた。
三年間。
勇者パーティで過ごした。
料理を作った。
洗濯をした。
荷物を持った。
魔物を解体した。
素材を回収した。
夜番をした。
肩を揉んだ。
できることを。
精いっぱいやった。
けれど。
一度でも。
ありがとうと言ってもらったことがあっただろうか。
リュカは思い出そうとした。
けれど。
何も思い出せなかった。
「……フィオナ」
「何?」
「ありがとう」
「え?」
今度は、フィオナが目を瞬かせた。
リュカは少しだけ笑う。
「なんでもない」
「何それ」
「言いたくなっただけ」
「変なの」
フィオナは笑った。
リュカも笑った。
できることを精いっぱい行えば。
それを当たり前だと思わず。
感謝してくれる人がいる。
自分がしてきたことは。
本当は。
誰かに「ありがとう」と言ってもらってもいいことだったのかもしれない。
そんな当たり前のことを。
リュカは十九歳になって。
初めて知った。
そして。
フィオナと旅をする中で。
リュカの中に染みついていた何かが。
少しずつ。
本当に少しずつ。
変わり始めていた。




