第27話 身代わりの代償
ウラノス学園、校長室。
高い天井まで届く書棚には古い魔導書や年代物の記録が隙間なく並び、窓から差し込む午後の光が、宙を舞う微細な埃を淡く照らしていた。
室内には焚かれた香の匂いがわずかに漂い、静けさの中に重厚な威厳が満ちている。
「どうしたのかね、セリーナ」
重厚な机の向こうから、ウラノス校長が穏やかな声で問いかけた。
その声とは裏腹に、彼の眼差しは鋭く、少女の表情の揺らぎを逃さず捉えている。
セリーナは胸の前で手を握りしめ、小さく息を吸った。
普段は冷静な彼女にしては珍しく、瞳に不安の色が宿っていた。
「……何か、嫌な予感がするんです」
言葉にした途端、その感覚がよりはっきりと輪郭を持つ。
理由はない。ただ胸の奥がざわつき、落ち着かない。
「ほう。どんな夢を見たのかね」
校長は椅子に深く腰を預け、顎に手を当てた。
それは興味本位ではなく、経験に裏打ちされた真剣な問いだった。
「……先生の肩に、ナタみたいなものが刺さって……それで、そのまま奈落に落ちていくんです」
思い出すだけで、背筋に冷たいものが走る。
夢の中で聞いた風切り音、暗闇に呑み込まれていく感覚が、今も脳裏に残っていた。
ウラノス校長は一瞬だけ目を伏せ、それからふっと口元を緩めた。
「そうか」
そして、どこか投げやりで、それでいて妙に信頼のこもった口調で続ける。
「あのバカならな。多分、それぐらいでは死なんよ」
あまりにもあっさりした言い方に、セリーナは思わず瞬きをした。
緊張していた心が、わずかにほどけていくのを感じる。
「……大丈夫、なんですか?」
「うむ。心配しすぎるでない」
校長は静かに頷き、重い机を指で軽く叩いた。
「見守っていけばよい。あやつは、そう簡単に終わる男ではない」
その言葉には、長年の付き合いと確かな確信が込められていた。
「……はい」
セリーナは小さく返事をし、胸の奥に残っていた不安を、そっと押し込めた。
それでも完全には消えない違和感が、静かに燻り続けていることに、彼女自身が気づいていた。
◆◆◆
濃い煙が視界を覆い、焼けた金属の匂いと火花が空間を支配していた。
崩れた天井からは赤熱した破片が雨のように降り注ぎ、床一面には瓦礫と砕けたコンクリートが散乱している。
その中心で、二つの戦いが同時に激しく交錯していた。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、ソフィアはサブマシンガンを強く握りしめていた。
煙幕弾が弾け、白い煙がさらに視界をかき乱す。
彼女は宙を舞うように跳び、瓦礫の山を足場にして体勢を変えながら、即座に銃口を敵へと向けた。
その先に立つアルテラは、肩をすくめるようにして不敵な笑みを浮かべる。
「いいね。君、いい動きだ。まるでバッタだな」
「こんな可愛い美少女にバッタは失礼じゃないかしら?」
軽口を叩きながらも、ソフィアの指は引き金から離れない。
冗談めかした声とは裏腹に、内心では心拍数が異様なほど跳ね上がっていた。
同時に、前線ではウェントリヒーが剣を構え、アルテラと激しい近接戦を続けていた。
剣とナタがぶつかるたび、甲高い金属音が空間を切り裂き、火花が弾け飛ぶ。
「君、せいぜいもって三分だろ?」
アルテラの声が嘲るように響く。
「……よそ見だ」
ウェントリヒーの一閃が迫るが、アルテラは紙一重でかわす。
「隙がないね」
「あら、こっちは無視かしら?」
その瞬間だった。
煙の隙間から放たれた一発の弾丸が、アルテラの腹部をかすめる。
「チッ……本当にすごいよ、君」
アルテラは舌打ちしつつも、なお余裕を失わない。
「それはどうも」
ソフィアはそう返しながらも、胸の奥で別の声が響いていた。
(私じゃ……せいぜいウェントリヒー分隊長を後方支援するので精一杯。今の私じゃ、足手まとい……?)
その迷いを振り払うように、彼女は再び照準を定める。
そのとき、ウェントリヒーがふっと口元を緩めた。
戦場の只中にありながら、その表情には確かな安堵が滲んでいる。
「……思ったより早かったな、リボル」
彼の視線の先、煙の向こうから、新たな気配が戦場に入り込もうとしていが、突如として、戦場の奥から耳をつんざく轟音が響き渡った。
通常の銃声とは明らかに異なる、空気そのものを引き裂くような一撃。
――ドォンッ!
直後、
ギュウウウイイイン――
と、金属が悲鳴を上げるような異音が余韻として広がり、煙と瓦礫に満ちた戦場を一気に混乱へと叩き込む。
その音の正体を悟ったのか、アルテラが目を見開いた。
「おいおい……マジかよ。もう来たのかよ」
煙の向こうから、聞き慣れた声が飛んでくる。
「生きてるか、ソフィア」
「はい……なんとか」
息を整えながら答えるソフィアに、声は間髪入れず続いた。
「敵は?」
「双剣使いで、カース持ちです」
「了解。ウェントリヒー、下がれ。俺が前に出る」
「了解しました」
ウェントリヒーは一切の迷いなく、床を蹴ってスライディング。
瓦礫の影へと一瞬で退避する。
「行けるか、ソフィア」
「……私はカースをかけられています。せいぜい二分が限界です」
「マジか。なら後方支援に回れ。俺が近接を仕掛ける」
「……わかりました」
短い返答の裏で、ソフィアの胸は重く沈んでいた。
(やっぱり……私は足手まとい……?)
その間にも、アルテラは肩をすくめ、不敵な笑みを浮かべる。
「おしゃべりは済んだか?」
「ああ。今、君をズタズタにするビジョンが浮かんだところだ」
「舐めるなよ」
アルテラはナタを握り込み、魔力を一気に解放する。
「――双天二極」
次の瞬間、
空間そのものが裂けた。
斬撃が十字に走り、地面が悲鳴を上げて割れる。
衝撃波で瓦礫が跳ね上がり、火花と粉塵が暴風のように舞った。
「ふぅ……危ないな。もう少しエレガントにできないのか?」
「うるせぇ!」
リボルは魔改造されたシングルピストルを構え、弾を込める。
重みのある感触が、腕を通して骨に響いた。
(大丈夫だ……この弾なら、一発は返せる)
引き金が引かれ、銃声が再び戦場を支配する。
アルテラは反射的に弾こうとするが――
「……っ!?」
想定以上の質量。
弾いた瞬間、耐性が崩れ、体勢がわずかに乱れる。
その隙を、リボルは逃さない。
腰のホルスターから即座に別の銃を引き抜き、照準を合わせる。
「まさか……さっきのはダミーか?」
次の一発が、アルテラの肩を撃ち抜いた。
「ぐっ……!」
傷口から、赤い棘のようなものが瞬時に広がる。
「なんだ、これは……動きにくい……」
「どうだ? 動きにくいだろ。特注品なんだ。大事にしろよ」
「こんなもの――」
アルテラが吐き捨てた、その瞬間。
ソフィアが援護に出ようと、銃口を上げた。
だが――
「――呪十解」
黒い呪力が鞭のように放たれ、ソフィアの身体を貫く。
「――っ!」
「ソフィア!!」
彼女は膝をつきながらも、必死に顔を上げた。
「構わないでください……私は、大丈夫です……」
そう言いながら、胸の奥で同じ思いが繰り返される。
(やっぱり……私じゃ……)
「チッ……やってくれるなお前」
「それは光栄だな。大目にかかれて」
「褒めてねぇよ」
リボルは舌打ちしつつ、銃を握り直す。
残弾数が、嫌というほど頭に浮かぶ。
(弾は無限じゃない……このシングルピストルで撃てるのは最大十二発。それ以上は、腕が壊れる)
ジリ貧は避けねばならない。
だが、決定打が見えない。
(……どうする?)
戦場の喧騒の中、リボルは次の一手を必死に探っていた。




