第26話 ウェントリヒー
薄暗い通路を、チェルシーは息を切らしながら駆けていた。
破壊された照明が不規則に明滅し、壁に伸びる影が不安を煽る。通信機からは断続的なノイズだけが流れ、味方の気配は遠い。
「――第5班……!」
足を止めることなく走り抜け、開けた区画へ飛び込んだ瞬間。
「ウェントリヒー分隊長!」
鋭い声が、空間に響いた。
「分かっている」
低く落ち着いた声で応じたのは、剣を肩に担いだ男――ウェントリヒー。
すでに戦闘態勢だった。
「さっき本部から命令が入った。規格外の足止めだろう」
その言葉が終わるより早く。
――キン、と空気を裂く金属音。
二本の斬撃が交差するように飛来し、ウェントリヒーの服の端をかすめて床を抉った。
「っ……!」
「分隊長!!」
チェルシーが悲鳴に近い声を上げる。
斬撃が通った跡は、まるで世界そのものを切断されたかのように、深く、一直線に刻まれていた。
その先――。
ナタを二振り構え、歪んだ笑みを浮かべる男が立っていた。
年の頃は五十前後。だが、その眼には年齢にそぐわぬ狂気が宿っている。
そして足元には、先ほどまで指揮を執っていた準隊長の装備と首が転がっていた。
「……準隊長……」
一瞬、チェルシーの視界が揺らぐ。
「落ち着け、チェルシー隊員」
ウェントリヒーの声が、鋼のように強く響いた。
「感情を切り離せ。今は戦場だ」
彼は剣を正眼に構え、一歩前に出る。
「――来るぞ」
男が、笑みを深めた。
「双天二極」
次の瞬間。
二本のナタが唸りを上げ、交差する斬撃が放たれる。
衝撃波のような刃が地を裂き、壁を砕き、空間そのものを引き千切る。
「くっ……!」
ウェントリヒーは剣を振るい、辛うじて軌道を逸らす。
だが完全には防ぎきれない。
その隙を見逃さず、男は呟いた。
「――四肢拘束」
耳障りな言葉と同時に、空気が粘つく。
「……っ!」
ウェントリヒーの身体を、見えない重圧が包み込んだ。
呼吸が一瞬、詰まる。
「呪いの類か……!」
歯を食いしばり、剣を握り直す。
「これは――不味いな」
敵はただの剣士ではない。
斬撃と呪術を併用する、完全な異常戦力。
チェルシーは拳を強く握りしめた。
(ここで、踏ん張らなきゃ皆が危ない!)
通路に再び、殺気が満ちる。
次の一撃が、すぐそこまで迫っていた。
ウェントリヒーは、反射的に剣を構え直した。
呼吸一つで分かる――明らかに、身体がおかしい。
(……重い)
筋肉に鉛を流し込まれたかのような感覚。
踏み出そうとする足が、意志に反して僅かに遅れる。
「あれれ?」
間の抜けた声が、殺気を孕んだ空間に滑り込んだ。
「なんで四肢拘束を喰らって生きてるのさ、君」
ナタを肩に乗せた男が、楽しげに首を傾げる。
「先に名乗ったらどうだ」
ウェントリヒーは剣先を下げないまま、静かに問い返した。
「おっと、こりゃ失礼」
男は芝居がかった仕草で胸に手を当てる。
「私の名は――アルテラ・ケイサス」
歪んだ笑み。
その名を告げる声には、殺しを娯楽とする者特有の軽さがあった。
「……なぜ、あの連中に味方をする」
「決まってるだろ」
アルテラは即答した。
「金だよ。理由なんて、それで十分だろ?」
「……そうか」
それ以上、問う必要はなかった。
ウェントリヒーは一気に踏み込み、剣を振るう。
鋭く、無駄のない一閃――しかし。
カン、と乾いた音。
「おっと」
アルテラは軽く身を捻り、紙一重で躱す。
まるで相手の動きを先読みしているかのようだった。
(――遅い)
自覚した瞬間、背筋に冷たい汗が伝う。
(呪いの影響が、想定以上に深い……!)
「どうしたどうした?」
アルテラが囃し立てる。
「さっきまでのキレはどこ行った?」
「……っ」
呼吸が荒くなる。
剣を握る指先が、僅かに震えた。
「はぁ~……」
ウェントリヒーは、深く息を吐く。
(このままじゃ、削り負ける)
次の瞬間、彼は低く、短く言葉を紡いだ。
「――短文詠唱」
剣を逆手に持ち替え、足元へと魔力を叩きつける。
「《ウィンド・ブラスト》」
爆ぜる風。
圧縮された風塊が両足に固定され、無理矢理に筋肉を駆動させる。
「ぐっ……!」
鈍くなった足と腕が、軋みを上げながらも再び動き出した。
「ほう?」
アルテラが目を細める。
「力技で四肢拘束を誤魔化すか」
ウェントリヒーは剣を構え直し、睨み据える。
「……もう一度聞く」
「?」
「なぜ、麻薬組織の味方をする」
アルテラは肩をすくめた。
「そんなの、知ったことか」
次の瞬間、二人は同時に踏み込む。
剣とナタが激突し、火花が散った。
呪い、風、殺意――
全てがぶつかり合い、戦場の空気が悲鳴を上げる。
ウェントリヒーはアルテラに正面から向き合い、必死に応戦している。
剣と剣が交錯するたび、甲高い金属音が崩れかけた建物の内部に反響する。砕けた床石が跳ね、粉塵が宙に舞い、視界は最悪だった。
「チェルシー、結果!」
ウェントリヒーは一瞬も視線を逸らさぬまま叫ぶ。
「ここから、こいつを出さないようにする」
「はい!」
背後で、隊員の一人が無線機を耳に当てた。
「報告。もうすぐソフィア・アスペインが到着するそうです」
「わかった。フィールドを整える」
アルテラが楽しげに肩をすくめる。
「こらこら、よそ見はいけないよ?」
次の瞬間――。
「《ジェネシス・ウィンド》」
暴風が室内を蹂躙し、天井が轟音とともに崩落した。巨大な瓦礫が降り注ぎ、床も壁も一瞬で破壊される。粉塵が煙幕のように広がり、誰の姿も見えなくなった。
「……どこ行った、あいつ」
ウェントリヒーが低く呟いた、その刹那。
瓦礫の陰から、乾いた銃声が連続して響く。
ソフィアはサブマシンガンを構え、着地と同時にアルテラへと弾幕を叩き込んでいた。反動を殺しながら、正確無比な連射。狙いは一切ぶれていない。
「ソフィア、上だ!」
ウェントリヒーの叫びと同時に、アルテラの姿が空中に跳ねる。
「《双天・二極》」
空間を裂くような衝撃が走る。
ソフィアは直感的に跳び、転がり、瓦礫を蹴って距離を取る。弾道を読み、致命点を避けながら、それでも攻撃の手は止めなかった。
(まずい……一発一発が、即死級)
弾丸が掠めるだけで終わりだ。そう理解しているからこそ、彼女の集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。
「ウェントリヒー分隊長!!」
「俺に構うな! 前を見ろ!」
空を裂く斬撃が舞い、衝撃波が瓦礫を吹き飛ばす。
「くっ……」
「ふふ、かすったな」
アルテラが嗤う。
「《カース》」
その瞬間、ソフィアの体に重圧がのしかかった。
まるで全身を鉛で包まれたかのように、動きが鈍る。
(これは……呪い!?)
「おら、よそ見」
死角からの一撃。
だがソフィアは無言のまま、紙一重でそれを躱し、即座に体勢を立て直した。
(……効いてない? 違う。膨大な魔力で、自分自身を補強してる……!)
「ウェントリヒー分隊長、まだいけますか!」
「俺は……せいぜい七分だ。それ以上は動けねぇ」
荒い息の合間に、彼は続ける。
「そこからはリボルかクライドが来る。それまで、足止めをする。いいな」
「はい、わかりました」
短く、しかし迷いのない返事。
「よし……行くぞ」
崩壊した戦場で、再び三者が動き出す。
時間との戦いが、静かに、そして確実に始まっていた。




