EXep2 ガンメモリアル②
■■■は、大男に乱暴に腕を引かれ、そのまま薄暗い船へと押し込まれた。
鉄と油の匂いが鼻を刺し、足元の甲板は冷たく、湿っている。
「いいか、坊主。決して騒ぐんじゃねぇぞ」
低く、逆らう余地のない声。
「……うん」
それだけ答えると、大男はそれ以上何も言わず、背を向けて闇の中へと消えた。
残された■■■は、ただ船の隅で膝を抱え、揺れに身を任せるしかなかった。
行き先も、理由も、何も分からないまま――。
数日後、船は乾いた大地に辿り着いた。
灼けつくような日差し。
ひび割れた地面。
遠くで断続的に鳴り響く、重たい音。
■■■は、アフリカのとある紛争地帯へと送り込まれていた。
「……ここは、どこ?」
問いは誰にも届かない。
周囲では、知らない言葉が飛び交っていた。
怒鳴り声、笑い声、命令――そのすべてが意味を成さず、ただの音として耳を通り過ぎていく。
当時、まだ子供だった彼には、何を言われているのかさっぱり分からなかった。
ただ、連れて行かれるまま、立たされ、座らされ、指示されるまま動くだけ。
言葉を理解するまでに、一ヶ月。
その一ヶ月は、長く、そして過酷だった。
夜明け前に叩き起こされ、理由も告げられぬまま走らされる。
砂の上を何時間も行進し、転べば叱責が飛ぶ。
食事は最低限。
水は貴重品。
それでも彼は、歯を食いしばって耐えた。
(泣いても、帰れない)
それだけは、本能的に分かっていた。
体力をつける訓練は容赦がなかった。
腕立て伏せ、腹筋、背負った荷物を下ろすことを許されない行軍。
夜には基礎的な銃の扱いを叩き込まれ、失敗すれば何度でもやり直しだ。
だが――■■■は飲み込みが早かった。
命令の口調。
指差しの意味。
怒鳴り声のニュアンス。
言葉が分からなくても、意図は少しずつ理解できるようになっていった。
(こうすればいいんだ)
生き延びるために、覚えるしかなかった。
やがて、彼は簡単な会話を理解できるようになり、ある日、上官に呼び出された。
「よし、■■■」
無表情な男が、彼を見下ろす。
「お前は今日から軍人だ。
子供兵として、精進したまえ」
その言葉の意味を、彼は完全には理解していなかった。
だが、それが拒否できない宣告であることだけは分かった。
■■■は背筋を伸ばし、覚えたばかりの動作で敬礼する。
「……はい。上官殿」
その声は、小さく、震えていた。
そして彼は、銃を渡され、戦地へと向かわされた。
――それが、
彼が引き金に手をかける人生の始まりだった。
◆◆◆
彼は軍人となり、
――いや、人を殺すためだけに最適化された存在へと、完全に成り果てていた。
「……今日は、三人か」
指を折って数えようとして、やめた。
もう、何人目なのか分からない。
引き金を引く感覚。
相手が倒れる瞬間。
それらはすべて、彼の日常の一部になっていた。
ある日の夕暮れ。
簡易テントの影で、■■■は古びた本を読んでいた。
「■■■、また敵兵から本を奪ってきたのか?」
気の抜けた声で話しかけてきたのは、同期の兵士――ジョォンだった。
「うん。知識は、あったほうがいいからね」
「相変わらず勤勉だなぁ」
ジョォンは苦笑しながら、砂の上に腰を下ろした。
「なぁ……■■■」
少し声を落として、彼は続ける。
「俺さ。明日、上官を殺して、ここから逃げようと思ってる」
空気が一瞬、凍りついた。
「■■■も一緒にどうだ?」
「……いや。僕はいい」
■■■は本から目を離さず、淡々と答えた。
「やるなら、勝手にしろ」
そのとき彼は、本気だとは思わなかった。
若さゆえの、くだらない冗談だと――そう思い込んでいた。
翌朝。
ジョォンの姿は、どこにもなかった。
「……まさか」
嫌な予感が胸をよぎる。
点呼の号令が響き、兵士たちは砂地に整列した。
焼けつく太陽の下、重苦しい沈黙が漂う。
「諸君に、残念な知らせがある」
上官の声が、冷たく響いた。
「昨夜、ナバラ上官が襲撃された」
ざわり、と隊列が揺れる。
「そして、残念ながらその犯人は――ジョォンだった」
兵士たちの間に、どよめきが走った。
「さらに言えば、そいつは■■■を共犯者だと証言した」
視線が、一斉に■■■へと向けられる。
次の瞬間、上官の部下が何かを引きずるようにして前へ出した。
そこにあったのは、原形をとどめないほど痛めつけられたジョォンだった。
「……助けてくれ」
かすれた声。
「俺が悪かった……まだ、母さんにも会ってない……
こんなところで、死にたくない……頼む……」
涙と恐怖に歪んだ顔が、■■■を見上げる。
上官は静かに言った。
「我々もな。お前のような優秀な兵を、失いたくはない」
その言葉と同時に、
足元へ、冷たい音を立てて刃物が投げ落とされた。
「やれ、■■■」
一瞬、世界が止まったように感じた。
(……選択肢は、最初から一つしかない)
■■■は無表情のまま、刃を拾い上げる。
ジョォンが、必死に首を振る。
「お願いだ……お願いだよ……!」
だが、その声は、彼の心に届かなかった。
瞬き一つ分の時間ジョォンの首宙に舞い血飛沫を出した。
それで、すべては終わった。
「よくやった、■■■一等兵」
上官の声が、やけに遠く聞こえる。
「今後も期待しているぞ」
「……はい」
そう答えた彼の胸には、
何の感情も残っていなかった。
そこに残ったのは、
命が断ち切られた痕跡と、
鼻につく鉄の匂い、
そして――人として何かが完全に壊れたという確信だけだった。




