第20話 特務任務
そこは、まるで御伽噺の中に迷い込んだかのような部屋だった。
壁一面を埋め尽くす古書の棚。背表紙は年代も言語もばらばらで、革装丁のものもあれば、魔術式のような紋様が刻まれた書物もある。
柔らかなランプの光が室内を包み込み、外界とは切り離された静寂が漂っていた。
「――その子が、セリーナちゃんじゃな」
ウェルター校長は、穏やかな視線で少女を見つめる。
「はい」
リボルが短く答える。
校長は机に置かれた書類に目を落とし、ふむ、と低く唸った。
「う〜む゙〜経歴を見るに……一年前、『ファミリー』という孤児院に預けられ、その一週間後に全焼。
生存者は、この子一人……か」
言葉の端々は柔らかいが、その内容は重い。
セリナは思わず肩をすくめ、胸の前で小さく手を握りしめた。
「それに、いくつか気になる点も見受けられるのぉ。
普通なら……正直に言えば、引き取りは断っておる案件じゃ」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「……そこを、なんとか」
リボルの声は低く、しかし確かだった。
校長は書類から視線を上げ、彼を見据える。
「そうじゃな。お前さんが任務に集中したいのも、よう分かる」
一拍置き、ゆっくりと言葉を続けた。
「しかし幸いなことに――お前さんはシリアルナンバーという特許を持っておる」
にやりと、老獪な笑み。
「これを断ったら、何が起きるか……儂にも想像がつかん」
それは冗談めかしていたが、同時に事実でもあった。
「……それでは」
リボルが言葉を継ごうとした、その前に。
「わかった。引き受けよう」
校長はあっさりと言い切った。
その瞬間、空気がふっと緩む。
「よかったな、セリナ」
リボルがそう声をかける。
「……はい」
返事はしたものの、セリナの表情には、まだ不安が残っていた。
「どうした。何が不安なんだ」
問いかけると、少女は少しだけ俯き、小さな声で答える。
「……私がいたら、みんなを危険にしてしまいそうで」
その言葉に、ウェルター校長が静かに口を挟んだ。
「そこは心配いらんぞい」
優しく、しかし自信に満ちた声。
「ここは世界でも有数の安全地帯じゃ。
設備、警備、結界……どれを取っても一級品。
よほどの規格外でもない限り、問題は起きん」
そう言って、にこりと微笑む。
「しかも寮制じゃ。生活の面でも、困ることはそうない」
その言葉に、セリナの表情がほんの少しだけ明るくなる。
「……本当、ですか?」
「本当じゃとも」
少女は小さく頷き、胸の奥に溜まっていた不安が、少しずつほどけていくのを感じていた。
「それじゃ、俺はこれから任務がある」
リボルが踵を返す。
「先に戻るぞ。行くぞ、ソフィア」
「はい」
「気をつけてな」
校長の声を背に受け、
「はいよ」
と軽く返し、リボルは扉へ向かう。
廊下に出てから、ソフィアが小走りで近づいてきた。
「それで……セリナちゃんは?」
「ああ。校長に預けてもらった」
リボルは歩きながら淡々と答える。
「これから大仕事だ。しばらく帰れない」
「……時々、連絡は入れたいですね」
「そうだな」
短い返答だったが、その声にはわずかな温度があった。
やがてリボルは、コートを翻しながら歩み去っていく。
その背中を、ソフィアは少しだけ安心した表情で見送った。
朝の光が、長い廊下の先を静かに照らしていた。
◆◆◆
そこは、足を踏み入れただけで背筋が自然と伸びるような、張り詰めた気迫に満ちた部屋だった。
無機質なコンクリートの壁。天井から吊り下げられた白色灯が、必要最低限の光だけを落としている。その中央の簡素な机を挟み、二人の人物が腰掛けていた。
ひとりは腕を組み、椅子にもたれかかるように座る大柄な男――スラン。
もうひとりは背筋を正し、静かに状況を観察している女性――ミア。
「よぉ、隊長。久しぶりだな」
軽口を叩くスランに、部屋へ入ってきたリボルは眉をひそめた。
「スラン……お前、今まで何をしていた」
「いやぁ、彼女いないと何もできなくてさ」
冗談めかしたその言葉に、場の空気が一瞬だけ緩む。しかしリボルはため息をつき、短く謝罪した。
「……すまない」
そのやり取りを制するように、部屋の奥に立つ“ボス”が静かに手を上げた。
「とりあえず、そこに座れ。話を始める」
全員が促されるまま席に着く。
重苦しい沈黙の中、ソフィアは無意識に背筋を正し、息を整えていた。
「ボス、今回はどうして直々に呼び出したんですか?」
ミアが疑問を口にする。「いつもみたいに無線で済ませられたはずでしょう?」
「それができん内容だからだ」
ボスの低い声が部屋に響く。
「今回の作戦は、EUに展開している特務機関の隊員を総動員する。全面的な掃討作戦になる」
「……っ」
空気が一気に張り詰める。
リボルは即座に口を開いた。
「それは、どういうことですか」
「四年前から追っていた超大型麻薬組織。その重鎮が、フランスの腐敗都市――リベリオンに潜伏していることが判明した」
「リベリオン……」
スランが吐き捨てるように言う。「あの、どうしようもない街ですか」
「そうだ。ようやく突入の準備が整った。リボル、お前の働きのおかげだ」
「……そうですか」
リボルは淡々と答えながらも、脳裏には過去の血と炎の記憶がよぎっていた。
「なら、あの大虐殺も……無意味ではなかった、ということですね」
「そういうことだ」
ボスは短く肯定する。
スランは顔をしかめ、ミアとソフィアはまだ状況を完全に飲み込めず、言葉を失っていた。
「本題に入る」
ボスは机に手を置き、宣言する。
「明日の午前十一時半。フランス腐敗都市リベリオン全域に、大規模奇襲を仕掛ける」
「……民間人は、どうするんですか」
ソフィアではなく、ミアが静かに問いかけた。
「現地に出入りする者の大半は、犯罪に深く関わっている。作戦の妨げになるなら、構うな」
「……了解しました」
リボルが短く応じる。
「それともう一つだ」
ボスは視線をリボルに向けた。
「先日、偵察に入れた第七部隊Gチーム、そして第七十八位が行方不明になっている。警戒しろ」
「第七十八位……?」
ミアが小さく息を呑む。
「ああ。荒滝インナだ。かなりの実力者だが……やられた可能性は高い」
「……厄介ですね」
リボルはそう呟き、スランを伴って部屋を出ようとする。
その背に、ミアが声をかけた。
「私も、行くんですよね?」
「当然だ」
「えぇ……嫌なんだけど」
ぼやくミアに、リボルは肩をすくめる。
「大規模任務には、キメラが出る可能性が高い。悪いが、強制同行だ」
「報酬は?」
「ボスに交渉しておく。期待しておけ」
「やった」
即座に笑顔になるミアを見て、スランが不満げに手を挙げる。
「俺は?」
「好きにしろ」
「ええ」
最後に、リボルはソフィアへ振り返った。
「ソフィア、ついてこい。本物の対人戦を見せてやる」
「……はい」
緊張と不安を胸に抱きながらも、ソフィアは強く頷いた。
「それでは解散だ」
ボスの声が締めくくる。
「次に会うのは――フランス腐敗都市リベリオンだ」
それぞれが無言で立ち上がり、迫り来る戦場を胸に刻みながら、部屋を後にした。




