第3話 増えていく不思議な災難
最近、神殿では少し変なことが続いている。
朝の祈祷へ向かうと、誰かが必ずと言っていいほど怪我をしていたり、服を汚していたりするのだ。
最初は偶然だと思っていた。
神官だって人間だ。
転ぶこともあるし、水をこぼすこともある。
長く神殿で働いていれば、そんな日が続くことだってあるのかもしれない。
……そう思っていたのだけれど。
「またですか?」
今日も祈祷場へ向かう途中、先輩神官の姿を見て思わず声が出た。
その神官は、髪の毛の先から水滴を落としていた。
「何かあったんですか?」
「……少し、水をかぶっただけだ」
「少し?」
どう見ても少しではない。
まるで川にでも落ちたような状態だ。
「廊下を歩いていただけなんだがな」
「廊下で水を?」
「……私にも分からん」
先輩は遠い目をしていた。
最近、神殿ではこういうことが多い。
誰かが掃除中の床で滑る。
誰かが突然閉まった扉にぶつかる。
誰かが荷物の下敷きになる。
幸い大きな怪我をする人はいないけれど、皆どこか疲れ切っているように見える。
「最近、皆さん大変ですね」
私がそう言うと、近くにいた神官たちが一瞬だけ黙った。
その反応が少し気になった。
けれど、すぐに誰かが話題を変える。
「君は……相変わらず何もないようだな」
「え?」
「いや、何でもない」
不思議な言葉だった。
確かに私は何も起きていない。
朝の仕事も、神様へのお供えも、祈祷も、いつも通りだ。
たまに失敗してしまこともあるけれど、大きな問題になったことは一度もない。
皆が忙しそうにしている中、自分だけ変わらない毎日を過ごしていることに、少し申し訳なさを感じるくらいだ。
だから今日も、いつも通り厨房へ向かった。
神様へのお供え物を作るために。
私は料理が好きだ。
神官になった理由は、人を助けたいと思ったからだけれど、料理をする時間も同じくらい好きだった。
誰かが美味しいと思ってくれるものを作る。
それは、小さなことだけれど、人を幸せにできる行いだと思っている。
今日のお供えは、果実を混ぜ込んだスコーンにしてみた。
少し前に市場で珍しい果物を見つけたので、それを混ぜてみたのだ。
「気に入っていただけるかな」
誰もいない厨房で呟く。
もちろん、神様が本当に味を感じているかなんて分からない。
それでも、私は毎日考える。
昨日より美味しくできただろうか。
飽きないように違うものを作った方がいいだろうか。
神様だって、長い間ずっと同じ場所にいるのなら、少しくらい楽しみがあってもいいと思う。
お供え物を置いて、手を合わせる。
「今日も一日、神殿を見守ってください」
静かな時間が流れる。
返事はない。
それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、誰かがちゃんと聞いてくれているような気がする。
祈りを終えて立ち上がる。
その時、背後から小さな音がした。
振り返ると、置いていたはずの皿が少しだけ動いていた。
「あれ?」
風でも吹いたのだろうか。
窓は閉まっている。
少し首を傾げたが、私は気にせず片付けを始めた。
そして、いつもより少しだけ時間がかかった。
棚の奥に入っていた布巾を取り出したり、置き場所を間違えていた道具を戻したり。
全部、小さなことだった。
けれど、そのせいで私はいつもより遅れて祈祷場へ向かうことになった。
祈祷場に着くと、すでに何人かの神官が集まっていた。
「遅かったな」
「すみません。片付けに少し手間取ってしまって」
そう言うと、皆がこちらを見る。
なぜか驚いたような顔をしている。
「……君、本当に何もなかったのか?」
「何がですか?」
問い返すと、神官たちは互いに顔を見合わせた。
結局、誰も答えてくれなかった。
その日の祈祷が終わった後も、私は首を傾げ続けていた。
最近、みんなの様子がおかしい。
何か困っていることがあるなら相談してほしい。
私はそう思っているだけなのに。
なぜか皆は、私を見ると少し複雑そうな顔をするのだった。
――もちろん、私は知らない。
今日、本来なら私の身に起きるはずだった「不運」が、また一つ消えていたことを。
そして神殿のどこかで、誰にも見えない存在が、ほっと胸を撫で下ろしていたことを。




