小さな嫉妬とすれ違い
「おはようございます! 本日よりハナ様付きとなりました、ハイデンでございます!」
小さなチワワが胸を張って緊張気味にそう言う。
すると、ハナの部屋の前で待機していた近衛は苦笑しながら腰に手をあてた。
「よう、新人。ずいぶんな出世じゃないか」
「はっ」
「期待されてンだ。頑張れよ」
「命に代えても」
「おいおい、それは王に言え」
呆れたように笑う近衛。
しかし、ハイデンの真剣な眼差しは少しも揺るがなかった。そして、代わりに扉の奥を睨みつけるようにしている。
その様子に異常なものを感じ取った近衛は、上から命令があってハイデンを配置したもののやはり不味かったのではないかと思い始めた。
「……まあ、基本的にはここに立ってるだけでいい」
「はっ」
「緊急時以外、中には絶対に入るなよ。覗くのも駄目だ」
「はっ」
ハイデンは配置について大人しくしている。
それを横目で見ながら、近衛はバレないように小さくため息をついた。
しばらくそうやって周囲の他にハイデンを警戒していると、廊下の置くから食事をカートに乗せた犬のメイドがやってくる。
そして犬のメイドはハイデンを見つけると微笑みながら声をかけた。
「あなたが新人さんね」
「はっ」
「よろしく、チワワの新人さん。我らが主、ハナ様は優しいからお世話が楽よ。まあ、今は臥せっておられるけど……」
「臥せって……?」
ハイデンの鼻っ面にしわが寄る。
「ご病気ですか」
「いいえ、心がね……嫌なことを思い出してしまったの」
「……心」
この会話を見ながら、近衛は薄ら寒いものを感じていた。
ハイデンがあまりにも感情移入しすぎている。
会ったこともないのになぜ……と思っていると、犬のメイドが突拍子もないことを言い出した。
「そうだ、ハナ様にご挨拶したら? 今丁度、ご飯のために起きていらっしゃるし」
「え……?」
「ハナ様だって誰が自分を守ってくれるのかわからないと、いざと言うときに困るでしょう」
最もな意見であったが、近衛はハイデンとハナを会わせたくないと思い始めていた。しかし、それを止める前に、もう部屋のドアは開かれている。
「ハナ様! 今日は近衛の方に新しい動物が入りましたよ。ご挨拶をさせて頂けますか?」
「あー、メイド殿、悪いがコイツは――」
慌てて近衛がメイドに声をかけるも、室内からパタパタと音がして、黒い頭が出てくる。
「まあ、ハナ様。そうやってすぐ顔を出しては駄目だと言ったではないですか! 敵だったらどうするのです?」
「あ、そうか……ごめんなさい……」
たった一言――
しかし、ハイデンは全身の毛が逆立ち、息が乱れ、クラクラとする頭をなんとか振る。
― 目の前にハナキがいる ―
そう思うだけで、涙があふれそうだった。
「……ハナ……キ……」
かすれた声でそう言うも、幸いにしてそのつぶやきを聞いたのは誰もいない。
扉の隙間から漂ってくる濃厚な主の香りに、ハイデンは大きく息をついた。ハイデンの視界が揺れる。
その異変に気づいた近衛は、驚いたように目を見開いてハイデンの肩をつかむ。
「おい、どうした。大丈夫か?」
「は……い……っ!」
辛うじてそう答えるも、今にも倒れそうなほど興奮状態にあるハイデンはとても大丈夫そうには見えない。
そして、そんなハイデンをハナが視界に入れた。
「わあ、チワワさんだ」
嬉しそうにそう笑う。
「ハナキ……!」
気がついたら、ハイデンは堪えきれず、泣きそうな声でそう叫んでいた。
時が止まる。
一体どれほど沈黙が続くのだろうと思われたとき、目を見開いて硬直していたハナの顔がぐしゃりと歪んだ。
「……まさか……ハイデン、なの……?」
「ハナキ……! ハナキ……!! 会いたかった……!! 俺のハナキ……!」
涙を、鼻水を垂らしながら、尻尾を千切れんばかりに振りながら、ハイデンが飛びかかろうとして必死に自分を抑える。
喉の奥から唸り声を発しながら、必死に自分を自制して唇を噛むハイデンを見て、ハナはとうとう堪えきれずにハイデンへ飛びついた。
「なんで……!! なんでここに……!? もう、会えないと……おもっ……どうして生きてるの……!?」
「ハナキ……ああ、ハナキ……! 生きていて良かった……! 会えて、良かった……!!」
そこからはもう大騒ぎであった。
とりあえず中に入れと近衛が促すも、わんわん泣き出したハナは一向に動く様子がない。
仕方なく抱きかかえて中に入れようと手を伸ばせば、一瞬ハイデンに唸られた。すぐ気まずそうな顔をしてそらしたものの、呆れたようにため息をついた近衛はハイデンにハナを抱かせたのだった。
* * * * *
「それで……お前は主であるハナ様に会うため、冷凍睡眠を利用して生きながらえていたと」
壮絶な、そして途方もない過去を聞かされ、近衛もメイドたちも若干疲れきった顔になっている。
そして何より、ハナがずっとハイデンを離さないのだ。
恐らくはハイデンが飼い犬だった頃にやっていたのであろうと思うも、今ここにレノが入ってきたらどうやって言い訳をすればいいのだろうと近衛は思っていた。
ただ抱いているだけならまだいい。
「ハイデン……好き……本当に会えてよかった。記憶がなくなった時はただただ不安だったんだけど、記憶が蘇ってからは寂しくて……」
「お、俺だって好きだ……! 会いたかった! だから冷凍睡眠でずっと……! ハナキが陛下の物になってると知って、俺がどれほど絶望したか……!! こうして近衛の試験を受けるまでに俺は――一般入隊試験を受けた俺が近衛になれたのも奇跡に近い、なにより近衛になったからといって会えるかもわからなかった」
「わかってる、わかってるよハイデン。そこまでしてくれて本当にありがとう。私、もう一人ぼっちなんだと思ってたから、本当に嬉しいの……」
じわりと涙が浮かぶハナ。それでもハイデンの鼻に自分のをこすりつけたり、口吻にキスをしたりとベタベタだ。そしてそのたびにハイデンの尻尾が揺れる。
メイドもハナの目に涙が浮かんだときは思わずつられて涙が浮かんだが、この状態は非常にまずい。まるで蜜月のような空間に、近衛の緊張は高まっていくばかりであった。
しかし、国王陛下にはこのことを報告しなければいけない。
もし報告の前にレノがここに来でもしたら――
「ハナ」
そう、思ったのに。全てが遅かった。
当然のことながらノックもなしに部屋へ入ってきたレノは、ハナが抱きついているチワワを見て笑顔のまま固まった。
「あ! レノ! ねぇ、見てください! 私が飼っていたチワワが、私に会うために近衛になって来てくれたんです!! しかも冷凍睡眠っていう方法で百年以上も眠り続けていたとかで」
満面の笑みで抱えたハイデンをレノに差し出す。
お腹が丸見えになったハイデンはわずかに尻尾を内側に丸めたが、間近で見る王を前に緊張しつつもしっかりとした表情で礼をとった。
「ハイデンと申します」
レノはなんとか「そうか」と言ったような気がする。
実際音になったか分からなかったが、今は何も考えることができなかった。
久々に、頭の中が真っ白になったような気持ちを味わい、相当に動揺しながら立ち尽くしている。
「それで、お前は――……」
レノはハイデンに何かを言いかけ、やめた。
「…………」
妙な空気に、さすがのハナも気づいた。
しかし一体何が駄目だったのか分からず、戸惑いながらハイデンをさらにきつく抱いた。
「ハナ、その者は――」
そう言ったきり、再びレノの口が閉ざされる。
ハナも続きを促すことができず、どんどん深くなっていくレノの眉間と鼻っ面のしわに動揺した。
「……レノ」
名を呼んではみたものの、レノと同じで言葉が続かない。
この微妙な状況がいつまで続くのかと誰もが胃をキリキリさせていたとき、ようやく時が動いた。
「……とりあえず、事情はわかった」
「……はい」
「だがハナ」
「はい」
「お前は、この国の王の愛玩人間だ」
「……? はい……」
それがどうした、と本気で困惑しているハナに、レノは初めてハナに対して怒りに似た感情がわいてくる。
「この者は近衛だ。近衛とは国を、国王を守る者だ。つまり、王族に仕える者」
「はい」
「お前は、王の愛玩人間。この者とお前の立場は違う」
ハナはレノが何を言いたいのかおぼろげに理解した。
それから、この国の身分制度は思ったよりも厳しいらしいとも理解した。
要は、自分がハイデンにべたべたしすぎたのだと。
「…………」
それでも、ハイデンのことを思うと、もう二度と会えないはずだった家族に会えたことを考えると、この“仕打ち”は酷いのではないかとも思った。
この国にはこの国のやり方がある。郷に入っては郷に従えという言葉があるのも知っているが、それでも、ハナはレノが「家族に会えたのか、良かったな」と笑顔で言ってくれるのを心のどこかで期待していたのだった。
しかし――表情が強張るハナの気持ちなど、レノには全く伝わっていなかった。
「……すまない、こんなことを言っても理解できないだろうな……」
困ったような、激情を押し隠しているような、そんな顔をしながらレノがうつむく。
そしてレノは一言二言メイド達に声をかけると、再び部屋から出て行ってしまった。“こんなことを言っても理解できないだろう”という言葉がハナを傷つけているなど夢にも思わず。




