夢じゃなかった
「……っ」
ハナは目を覚まし、そして自分が意識を失ったか眠っていたのだと気づく。
しかし、目を開けて辺りを見回し、酷く落ち込んだ。それと同時に安堵する気持ちもわいてきた。
「帰ってきたんだ……」
寝ていたのは、レノがハナに与えた部屋のベッドであった。
「帰って……きた……夢じゃなかった……あれは、夢じゃ……なかった……?」
涙がボロボロと溢れ出し、嗚咽が漏れる。しかし思い出そうとしてももう何も思い出せなかった。そのうち夢の内容もおぼろげになり、それが非常に怖かったものの、このまま忘れてしまいたいと強く思った。
やがてハナの嗚咽を聞きつけたのは、隣室に控えていた犬のメイドであった。
「まあ、お目覚めに……! すぐレノ様にお伝えします!」
そこからはしばらく慌しかった。
メイドが入れ替わり立ち代り入ってきては面倒を見るが、ハナはそれに答えることができない。医者の問診を受け、健康上の害はないようだと言われても動けず、医者は「心の問題だろう」と悲しげにそう言った。
そしてまた布団に押し込まれる。手には点滴がつけられ、何かの薬品が投与されていた。
それに気づいたのも、腕を動かしたときに軽く痛みが走ってようやく、だ。一体いつつけられたんだろうと思うも、それを考えるのも億劫になって考えるのをやめた。
「ハナ」
心配そうなレノの声。
ゆっくりと声の方に顔をやり、そして堪えていた涙が再び溢れ出す。
レノは黙ってハナに近寄ると、力いっぱいハナを抱きしめた。
「ハナ……良かった……目を覚ましてくれて……」
その日はそれ以上何も言わず、ハナはレノに抱かれたまま泥のように眠り続けた。それでもレノが寝かせようとハナを降ろしかけると、ハナは顔をしかめて涙を流すのだ。
レノはその日の仕事をハナを抱えたまま行い、そして切りが良いところまで行くと早々に切り上げて部屋へと戻った。
* * * * *
「よく来てくれたな。感謝する」
王の私室に、メリーと近衛、それからメイドたちが数名集められている。
呼ばれた理由は言われておらず、腕にハナを抱えるレノを見ながら、一体何を言われるのかとそわそわしていた。
そしてそこにはもう一匹動物がいた。白衣を着た王室お抱えの医者だ。せわしなくハナの様子を見ており、少し難しそうな表情になっている。
集められたものは、なぜ自分達がハナの診断を見せられているのか分からなかったが、きっと何かあるのだろうと思った。どれもハナに関わる任務をしている動物たちなので、知っておいた方が良いとレノが判断したのだろうと。
「どうだ……?」
「しばらくはお傍についていてあげた方がよろしいでしょうな。人間はまだ未知なる部分が多い。始祖人間ともなれば、その心の傷は大きいでしょう」
「どういうことだ」
医者の言葉に、レノが噛みつくようにしてそう言う。
「あの忌まわしい事件を経験してきたお方だからです。生きてここにいると言うことは、辛い経験をしてすぐに、あるいはしばらく経ってから冷凍睡眠に入ったということになるかと。そうなれば精神的に……」
「……なるほど……確かに……文献では、“生物兵器”が使われた直後、人類は滅亡したとあったな……であれば――」
「そうです。辛い記憶が癒えないまま、記憶に蓋をする形でハナ様は百年以上の時を超えた――……それが今、記憶を取り戻したとしたらどうでしょうか? 今、ハナ様はあの日のことを昨日のことのように思い出しているのでしょう」
「なぜそんなことに……」
「……はっきりとは言えませんが、恐らくは人間と接したからかと思われます」
そう喉から搾り出すようにして言う医者に、レノは胸が潰れそうなほどであった。顔をしかめて歯を食いしばるが、本人はもっと辛いのだと思うと何も言えなくなった。
そしてそれは部屋の中にいた近衛やメイドも同じであった。みな暗い表情になる。
「誰があの荷物を送った」
低い声でレノがそう言えば、近くにいた近衛が口を開く。
「わかりかねます。小梅という者だと聞いておりますが、ヨークによれば小梅は柴犬のメスだそうですね。しかし、郵便課に現れたのはトムソンガゼルだったそうです」
「代理の可能性は」
「ないとは言えません」
そのセリフを聞きながら、王は人類歴史の本をベッド横から取った。
何度も読んで付箋を貼った本は、角の部分がすれている。その中から迷いなくページを開いた。
「巨大な軍事力を持った大国が化学兵器を使用。しかし兵器は思わぬ効力を発し、有知無知の生物に知能の逆転症状が起こり始める。それは世界規模で発生。人類は衰退していった――……これは、人類の知らぬことだったな」
「左様にございます。知能を失った人間は自分達に何が起こったのかもわからず、あるいは死に、あるいは動物に捕獲されました」
レノの鼻っ面にはしわが寄り、目の下はピクピクと痙攣している。
「あの栄華を誇った人間が、なぜ戦争というような愚かな真似をと思ったが……いざ自分たちが知能を有してみると、その気持ちが良く分かる。知能を得ると、善悪を知ると、そこにはどうしても傲慢や怠惰、強欲が出てくるのだな」
かすれた声でそう言うレノに、誰も声をあげることはできなかった。
当初、知能を有した動物達は人間の愚かな行為に首をかしげたものだった。しかし、しばらくすると「我こそが」と上へ上へ行こうとする動物たちが現れ、ただでさえ生物が生き辛い環境であった地球がさらにボロボロになっていったのだ。
そこでようやく動物たちは気づいた。
このままでは、人類と同じ道をたどると。
あわやと言うところでなんとか持ち直したのは、レノの先祖である百獣の王であった。
初代ホワイトライオンはその勇気と知恵と鬼神のような戦いぶりで地を治め、生物が住めるように環境を整えていった。
「知恵を得ると言うのは、幸せになれる一方で不幸にもなる。得るのがいいか得ぬのがいいか――使い手によっては、知識とは毒にしかならないようだ」
「恐れながら陛下」
口を開いたのは、メリーであった。
「私は知能の逆転は起こるべくして起こったものと考えております」
「ほう」
「地球は疲労していました。それを一心するために、地球自身が環境をデトックスしたのではないでしょうか」
「お前がそんなことを考えていたとはな。そういう眉唾モノは信じない性質だと思っていたが」
からかうようにして口角を上げるレノに、メリーもにやりと笑う。
「さらに言いますと」
「なんだ」
「私の愛すべき愛玩人間は、私に飼われたくて仕方がないので知能を失ったものと思われます」
突拍子もないセリフに、その場にいた全員が「またか……」と思った。
実はこのメリー、非常に有能であるが困った癖があるのだ。いつもは頑張って抑えているが、どうにも抑えが利かないとき、彼は自分の愛玩人間の自慢を始める。
例えばそれが今だった。レノの想いを聞きながら、自らの愛玩人間のことを考えて気持ちが抑えられなくなったメリーは、常々考えていた持論を展開し始めたと言うわけだ。
「陛下、地球は疲労していましたが、人間も長きに渡る戦いで疲労していた。その想いが合致したので、化学兵器とやらが思わぬ効果を発揮するように地球の英知が働きかけたのです」
「……な、なるほどな」
なにやら雲行きが怪しくなってきたと思ったのは、レノだけではない。
近衛たちは半目になりながら窓の外を見ているし、メイドも準備していたティーカップを意味も無く並べなおしたりしている。
「そして全てがリセットされた時、人間は本能的に愛すべき者の元へ行きたがった。それが、我らです」
「メリー殿、そうしますと普通、伴侶や家族の元に行くのでは……」
胸を張り、フンと鼻を鳴らすメリー。ボソッとつぶやかれた近衛の言葉は無視された。
レノはどう返答したものかと迷いながらも、なんとか口を開いた。
「メリー、お前はその……この手の話になるといつもの理知的な考えが消えるというか……突拍子もない上に随分と自分に都合がいい話になるな」
もはや何を言いたいのかも分からなくなってきたし、さらに言えばこの手の話題は研究者が何年も研究しているにも関わらず、あの忌まわしき事件の真相は分からずじまいなのだ。
しかし、レノはメリーの偏った意見からなんとか意図を汲み取った。
「まあ……お前の言いたいことはわかった。我々は人間を愛する者だ。弱くなった人間を守り、慈しみ、その昔人間が動物にしたように、共存関係にある。人間を人間とも思わない、あの反社会的な人類撲滅団体とは違う」
「そうでございますな」
「つまり、今日みなをここに呼び何が言いたいのかと言うと」
そこまで言って、レノは至極真面目な顔になり、あごの下で腕を組む。
「ハナが元気になる方法を一緒に考えてほしい」
しんと静まり返る部屋に真剣な表情のレノ。
近衛たちは「まさかこのために呼び出されたのか」と思わないでもなかったが、仕える主がそう言うのだからと王の腕の中で眠る始祖人間へと目をやった。
まだ小さい個体。
子供のように見えるそれの年齢は分からないが、メイド達はハナを非常に良く可愛がっていた。まるで自分の愛玩人間であるかのごとく可愛がり、意思疎通できるハナを友人のようにも妹のようにも扱った。
「……わたくしもハナ様が心配ですから、ぜひお手伝いさせて頂きたいと存じます」
メイドの一人がそう言えば、みな一様に頭を下げる。
それを見て表情を緩めたレノは、ハナの頭に唇を寄せた。
「ハナ……みながお前のために動いている……早く、元気になれ……」
ボソボソとつぶやくレノ。
息があたるたびに、ハナはわずかに顔をしかめながら身じろぎした。
* * * * *
「ですから、そもそもアンチ人間サイドの動物などを、ハナ様の近くに寄せなければいいというお話だったではありませんか。検問所など愚の骨頂です。それでは他の者から反感を買います。特別扱いをしている、と言ってね」
疲れたような、苛立ったような猫のメイドの声。
「それはわかっているが、誰がそうなのかをあぶりだすのは容易いことではないと言っているのだ。であれば検問所でも作ればいい」
提案をした近衛だって本気でそう言っているわけではない。猫メイドの話を聞いて「確かに……」と思いはしたのだ。しかし、ある瞬間から話が平行線をたどり、なかなか良い案が出なくなってしまったため、疲れ果てていたのだ。
そして猫のメイドを初めとしたこの室内にいる全員が、この近衛が提案した案について、「こいつも本気で提案しているわけじゃないんだろうな」「特に思いつかないけど、とりあえず言ってみたんだろうな」とわかっていた。
「……アンチ人間サイド……か……」
近衛の小さい声が部屋の中に広がる。
この世界にはアンチ人間サイドと呼ばれる動物がいた。人間に支配されていたと感じる動物たちが、知能のなくなった人間をここぞとばかりに虐げているのだ。
今何が問題になっているのかといえば、そんな愚かしい動物から“ハナが人類滅亡について真実を知らされる可能性があるかもしれない”“危害を加えられるかもしれない”ということである。
「ハナ様には無縁であってほしいわ……」
医者の提案により、その手の情報はハナに一切知らせない方が良いということになった。
「……やはりハナ様に会う者を制限するしかないでしょうね」
――時に、時刻は明け方の四時を回っている。
みな頭がぼんやりしてきたのを感じていたが、可愛いハナを、ひいては王の心の安寧を守るためにと必死に考えていた。
しかしこれ以上は駄目だろうと思った王が、小さくため息をついて手を打つ。
「みな、遅くまですまないな……今日はこのくらいにしよう。とりあえず、当面は体調不良を理由にハナとの面会は謝絶だ。近衛もメイドも今までどおりの編成で。すでに貴族からの面会依頼が来ているが、それも当分先送りし、会っても問題がない者以外は断る方向で」
「不公平だと言われたらどうしますか?」
「……そう、だな……ではみんな禁止で」
「陛下……」
メリーの呆れたような声が響く。
「とにかく、面会について今考えるのは止めましょう。今考えても建設的な意見が出るとは思えません。今日はもう休みましょう」
「そうだな……」
「明日はみな午前半休を取りなさい」
誰も反対しなかった。
とにかく今は寝たいと思いながら、それぞれ挨拶をしながら部屋を退室していく。
それを見ていたメリーはふと近衛の人数が足りなくなるのを思い出した。
「ああ、午前半休をとるとなると、近衛は人数が足りなくなるのでしたね……」
「まあ、そうですね……我々は徹夜になれて降りますから、半休はいりませんよ」
それに渋い顔をしたのはレノであった。
「いや、これは私のワガママで付き合わせているのだ。休みを取ってくれ。ハナにつく近衛は私の方からわければいい」
「何を言っているのですか」
メリーの呆れた声がレノを責める。
しかしすぐにメリーはある動物を思い出した。
「でも……そうですね……でしたら、この間入った者を使いましょうか。いけそうですか?」
「あの者ですか……まあ、実力はあると思いますが……なぜあの者を?」
「入隊試験では一番使えそうでした。他の勤続年数が長いのは陛下の傍を離れるわけにはいきませんからね。出自が確かなので問題は起こさないでしょう。試しに入れなさい。使えそうであれば継続してハナ様付きにしても構いません」
「かしこまりました」
「私からも頼む。ああ、それからメリー。送られてきた人間はしばらくランベルのところへやってくれ。本当は全ての近衛をハナに向けたいのだが……」
そんな言葉につっこみを入れるメリー。レノは小言を言い出したメリーを慌てて部屋の外へと追い出すと、大きなため息をついてベッドへと潜り込んだのだった。




