溝
「ハナ様と喧嘩されたようですな」
メリーの咎めるような声に、レノは眉間のしわを深くする。
「喧嘩じゃない」
「ですが随分と酷いことを言ったようで」
「…………」
ハナの元から書斎へ戻って仕事を始めてしばらく。
レノはハナの様子を見に行ったのを後悔し始めたのと同時に、酷いことを言ってしまったと思い始めていた。
しかし自分がハナに執着しているのに気づき、「あの変な近衛が悪い」とイライラしてもいた。
「つい他の人間と同じように扱いがちですが、ハナ様の知能は我々とほぼ変わりありません。それがどういうことかと言えば、我々と同じように悲しみも喜びも感じると言うことでございます」
「……知っている」
「であれば、もう少し優しい言葉をかけてあげたら良かったでしょうに。まあ、後悔されているのでそのようなお顔なのだと思いますが」
「…………」
小さくため息をつきながら、椅子に体を預ける。そのままずるずると背もたれに体重をかけていくと、やがてその巨体は執務机に隠れてしまうほどになった。
「陛下、だらしないですよ」
「反省中なんだ。放っておいてくれ」
「反省中でしたら、早めにハナ様のご機嫌伺いをすることをお勧めしますよ。陛下はこれからしばらく国外会議へ行かれるのですから、その前に済ませる方がいいでしょう」
「……わかっている」
そう言いつつも鼻っ面にしわを寄せたままのレノを見て、メリーは気づかれないようにため息をついた。
* * * * *
「…………」
夜、部屋へ戻るとハナはいつも満面の笑みでレノを迎える。
しかし今日は引きつった笑みで迎えた後、すぐにベッドへと潜り込んでしまった。
レノはその姿に若干傷つきながら、友人のことについて思いをはせていた。その友とはランベル=ウエノというホワイトタイガーだ。貴族の男で軽薄でメスが大好きであるが、今はその知識がちょっとだけほしいと思っている。
なぜなら、知能を有した人間であるハナの性別がメスだからだ。動物のメスと同じように扱っても問題ないだろうと思ったものの、レノはその手の知識が貧困であった。
仲直りに関してはもしかしたら自分よりも良い案があるかもしれないと思ったレノは、夜中であるのを気にしつつもランベルへ電話をかけることにした。
「……ランベルを頼む」
相手が出た瞬間、名乗りもせずそう言う。いつもであれば名乗っていた。
直通電話を使っているため誰が電話をかけてくるかは限られているが、それでもこの回線を使うのはレノだけではないのだ。
しかし、電話交換手は声だけで相手が誰かを察し、すぐさま自らの主へと電話をつないだ。
『もしもし』
「俺だ」
『どうした? お前が名乗りもせずに電話をかけてくるとは珍しい。まあ、お前の声を聞き間違えるやつはいないだろうが』
「夜中に悪いな」
『かまわんさ。で、用件は?』
「メスとの仲直りの方法をいくつか教えてほしい。できるだけ効果の高いやつだ」
そう言った瞬間、受話器の向こう側でランベルが息を吸い込んだまま吐かなくなったのに気づく。
なにやら自分がとんでもないことを聞いたような気がして気まずい思いをしながら、レノは小さく咳払いをする。
「……早くしろ」
『……誰と仲直りをしたいのか気になるところだが』
「それは言えん」
『いや、駄目だ。教授料を頂こうか』
「金なら払う」
『金はいらん。腐るほどある』
「…………」
しばらく沈黙が続き、先に折れたのはレノであった。
「……私が始祖人間を飼い始めたのは知っているか」
『当たり前だ。国中その話題で持ちきりだぞ。今や新聞社はなんとか写真を撮ろうと必死だ』
「聴衆の目に晒す気はない。ただ王室に始祖人間がいるという事実が大事なんだ」
『お前はな。世間は違う』
楽しそうに笑うランベルに、レノの機嫌が段々悪くなっていく。
なぜこうもイライラするのだろうと考えるも、答えは出なかった。
『それでその始祖人間がどうした』
「……怖がられている。ちょっと強く言い過ぎたら、距離を置かれるようになった」
ポツリと言えば大爆笑が返ってくる。
だから言いたくなかったのだと思いながらも、レノは「早く仲直りの方法を教えろ」と再度言った。
『いやいや、お前……アハハ! ああ、悪い……ふふっ……どんな風に強く言いすぎたかによって返答は変わるぜ?』
「…………」
『なんだ、だんまりか。まあ、お前のことだ。猫可愛がりしているだろうから、大抵のことは許すだろうな。そんなお前が許せないとしたら、自分より他のものに懐いてしまったとかか?』
冗談っぽくそう言うランベル。
しかし図星を言われたレノはと言えば、何も言えずに黙り込んでしまった。
『……おいおい、本当にか』
「……悪いか」
『お前は……』
呆れたようなため息をつかれ、レノは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
『醜い嫉妬だな』
「嫉妬? 違う。あれは俺のだ」
『それが嫉妬じゃなくてなんだって言うんだ。まあ、いい俺に任せておけ』
ランベルは楽しげにそう言うとさっさと受話器を置いてしまった。
無機質な会話終了の音が鳴っている受話器を抱えながら、レノは小さくため息をつくのだった。
このことが、二人の間にある溝をさらに広げるとも知らず。
* * * * *
「まあ、ようは同じ目にあわせればいいと言うことだ」
翌日。
自分の飼っている愛玩人間を連れて、ランベルは王城へとやってきていた。
レノの執務室ではニコニコ笑っている小さな女の子がいる。その顔に知性はなく、ただ生きているだけという感じだ。しかし愛嬌はあり、近づくものに愛嬌を振りまいては相手をしてもらっていた。
「意味が分からん」
「簡単だ。お前は愛玩人間が別の者と仲良くしたのを快く思わなかった。だったらお前がそれと同じことをして、どういう気持ちになるのかをわからせればいい」
「そんなこと……意味あるのか? それに辛い思いをさせるのは可哀相だ」
「何を甘いことを……私の愛玩人間だって、トイレを覚えるのに鞭を使った」
「ハナは知能がある。そんなことをせずとも、話せば――」
「お前は甘いな。知能があったって言葉だけでは伝わらないことがある。伝わっていたら、戦争など起こらんさ」
どこか諭すような優しい微笑を浮かべられ、レノは釈然としないものを感じつつもついに折れたのだった。
部屋にいる者たちは、みな不安げな顔をしている。
しかし、最終的にレノはランベルの策へと乗ることを決定した。
* * * * *
「ハナ様、今日はお庭に――」
ハイエナメイドがそう言って窓の外を見て、そして慌てたようにカーテンを閉める。
その様子を不審に思ったハナが首を傾げれば、ハイエナメイドは引きつった笑みを浮かべながら背筋を伸ばした。
「――お庭に、出ようと思ったのですが、今日は花の入れ替えで汚れておりますので別の機会にしましょう。図書室はいかがですか?」
不思議そうな顔をするハナ。
しかしここまであからさまにやられれば、窓の外に何かあったなど明らかである。
「……外、どうしたんですか?」
「ハナ様、今花壇は掘りおこされていて綺麗ではないので……それよりも図書室に行きましょう。今日もハイデン殿がついてきてくれますよ」
そう言われて余計に気になったハナは、ハイエナメイドの脇をすり抜けて窓の外を覗き込んだ。
「……あ、レノさ――」
そこには、ランベルの愛玩人間を抱えて優しい笑みを浮かべるレノがいた。
これはハイエナメイドも含めた壮大な茶番劇であったものの、ただ一人事情を知らないハナの表情が凍る。
ハイエナメイドはそれを痛ましそうな表情で見るも、ハナは全くそれに気づいていなかった。
ハナの横顔が「あれは誰だ」と言っている。
「ハナ様……」
不安になったハイエナメイドがハナに声をかけた瞬間、窓の向こう側にいるレノは愛玩人間の頬へと口づけた。
「…………」
そっと、ハナがカーテンを閉める。
「ハナ様、あの愛玩人間は――」
「レノは、この間……きっとこういう気持ちだったんだろうな……」
ハイエナメイドはこの計画に乗ったことを酷く後悔した。
ハナはレノが、そして自分たちが思うよりも敏い。
これが演技だと気づいた様子はないものの、今の境遇から先日のレノの気持ちを察し、相手を思いやることができる。
そしてそれを一瞬にして成し遂げた。
「……ハナキ」
しょぼくれたハナに、ハイデンが擦り寄る。
その頬を遠慮無く舐めるハイデンを、ハイエナメイドはついぞ止めることができなかった。
そしてこの日より、レノは国外の仕事のため、ハナに一度も会うこと無く城を発つことになる。




