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第9話:水の星の歌姫と、水耕栽培の極意



『――現在地、宙域指定シータ・セクター。対象惑星の軌道上に到達しました。地表の約九十五パーセントが海洋で覆われています』


メインコンピューターのアナウンスが響く中、コンソールのモニターには、まるで青いビー玉のような美しい水の惑星が映し出されていた。


「ひぇぇ……見渡す限り水、水、水じゃないか。見ているだけで毛皮が湿気りそうだぞ」

私の肩の上で、白衣を着たネズミのハカセが身震いをした。彼は第2バイオラボのゲン爺が住む湿地帯すら嫌がるほどの水嫌いだ。


「美しい星ですね。陸地が全く見当たりませんが、知的生命体は存在するのでしょうか?」

私がセンサーの感度を上げようとした、その時だった。


『……あぁ……青き波間に……沈みゆく命よ……』


アーク・パルナスの通信用アンテナが、微弱だがはっきりとした『歌声』を受信した。

それは電子的な信号ではなく、海の中から宇宙空間に向けて発せられた、不思議な波長の音波だった。悲哀に満ちた、透き通るような美しいメロディ。


「なんだ、この歌は? 単なる音波じゃない、特定の周波数を持ったSOS信号(救難要請)だぞ!」

ハカセが小さな端末を叩き、音波の解析を始める。

「発信源は赤道付近の浅瀬だ。アル、どうやらあの海の下で、誰かが助けを求めているらしいぞ」


「わかりました。降下艇を出しましょう」


私たちは水陸両用(というか、潜水も可能)にカスタマイズした降下艇で、青い海へとダイブした。

水深数十メートルの海中。太陽の光が差し込むその場所には、サンゴ礁をくり抜いて作られたような美しい海底都市が広がっていた。


しかし、その光景は決して豊かなものではなかった。

都市の周囲に広がるはずの海藻の畑は白く枯れ果て、魚影もまばらだ。


「……ピィィ……。金属の、お魚……?」


降下艇の窓から外を覗き込んでいた私の前に、ヒレのついた長い耳と、美しい青い鱗を持つ人魚のような宇宙人が姿を現した。

彼ら——マリーナ星人たちは、驚きと警戒の入り混じった目でこちらを見ている。


私は降下艇の外部スピーカーを起動し、翻訳機越しに語りかけた。

「初めまして。私は宇宙船アーク・パルナスの農業ロボット、アルです。あなた方の歌(SOS)を聞いてやってきました」


群衆の中から進み出てきたのは、一際美しい声帯器官(首元のエラのような部分)を持つ、若い女性の姿をしたマリーナ星人だった。彼女の名前はルカといい、この都市の『歌姫リーダー』を務めているらしい。


「私たちの声が、星の外にまで届くなんて……。私はルカ。見ての通り、この海は『深層海流の異常』によって水温が急激に変化し、私たちが育てていた食用海藻がすべて枯れてしまったの。私たちはもう、飢えを凌ぐことしかできないわ……」

ルカは悲痛な表情で、白化した海底の畑を指差した。


「なるほど、海流の変化による農業崩壊ですか」

私は電子頭脳の中で情報を整理した。

「ルカさん。陸地がないこの星でも、作物を育てることは十分に可能です。私たちの『水耕栽培』の技術を使えば」


「すいこう……さいばい?」

ルカが首を傾げる。


「はい。土を使わず、栄養素を溶かした水(あるいは海水)だけで植物を育てる技術です。ハカセ、この星の海水の成分データを」

「フン、言われるまでもなく解析済みだ。塩分濃度は少し高いが、俺の特製フィルターと中和剤を使えば、植物の栽培用ベッドに十分流用できるぞ」

ハカセが自慢げに胸を張る。


「完璧です。では、プラントの建造に入りましょう。……ゲン爺さん、聞こえますか?」

私はアーク・パルナスに居残りしている亀のエンジニアに通信を繋いだ。


『……おお……アル……。なんじゃ……』

「送った設計図を元に、海中浮遊型の『密閉式・水耕栽培ドーム』のパーツを出力し、マスドライバーでこちらの海域に射出してください」

『……海の中……じゃな……。よし……きた……』


通信の向こうで、『カシャッ! ウィィィィン! ガガガガガッ!!』というゲン爺のアームが超高速で駆動する音が響き渡る。

わずか数十秒後。

宇宙の彼方から、巨大なカプセルが次々と海面に着水し、海底へと沈んできた。カプセルは自動で展開し、あっという間に海底都市の周囲に、巨大な透明のドーム(水耕栽培プラント)を構築していく。


「な、なんだこれは……! 魔法か!?」

マリーナ星人たちがパニックになりかけるが、私は落ち着いて作業を続けた。


私は降下艇のアームを伸ばし、ドームの内部に『アクア・トマト』の種子をセットした。これはマザー・ヴァインが環境適応のために生み出した、高い塩分濃度や水圧の中でも育つ特殊な品種だ。


「ハカセ、栄養液の循環ポンプを起動。擬似太陽光パネル、展開」


ドーム内に、ハカセが調合した特製の栄養液が満たされ、天井部から温かい光が降り注ぐ。

すると、アクア・トマトの種は瞬く間に発芽し、ドームの中の水を吸い上げながら、青々としたツルを伸ばしていった。

そして数時間後。透明なドームの中は、瑞々しく輝く青みがかった赤いトマトで埋め尽くされた。


「……信じられない。海の中で、こんなに豊かな『実』が育つなんて」

ルカはドームに張り付き、食い入るようにトマトを見つめている。


私はドームのエアロックからトマトをいくつか収穫し、彼女たちに手渡した。

「さあ、食べてみてください。海水で育ったとはいえ、しっかりと甘みは蓄えられていますよ」


ルカは震える手でトマトを受け取り、そっと口に含んだ。

その瞬間、彼女の青い瞳から、大粒の真珠のような涙が溢れ出した。


「あ、甘い……! 海のしょっぱさの奥から、命の甘さが弾けて……体が、元気に満ちていくわ!」

ルカの言葉を合図に、他のマリーナ星人たちも次々とトマトにかぶりつき、歓喜の声を上げた。


お腹を満たしたルカは、ふと目を閉じ、両手を胸の前で組んだ。

そして、彼女の喉から、再び歌声が響き渡った。

しかし今度は、先ほどの悲痛なSOSではない。豊穣を祝い、命の喜びを謳い上げる、明るく力強い『歓喜の歌』だった。


その美しい歌声は海中を満たし、周囲の海流の乱れさえも穏やかに鎮めていくような不思議な力を持っていた。


「フン……音楽が植物の成長を促すというデータはあるが、彼女たちの歌声には海そのものと共鳴するような力があるようだな」

ハカセが端末を見ながら感心したようにつぶやく。


「ええ。この水耕栽培プラントの管理と、種子の育て方はすべてデータバンクに記録してドームに残しておきます。彼女たちの歌声があれば、きっと最高のトマトが育ち続けるでしょう」


私たちはルカたちに別れを告げ、彼らからお礼として渡された『深海の星結晶(特殊な情報記録媒体として使える希少鉱石)』を受け取り、アーク・パルナスへと帰還した。


船のメインコンソールに、持ち帰った深海の星結晶をセットする。


『――新規データメディアの接続を確認。……未知の海洋星系の歴史データをロード。本船の航行ログとの照合を開始します』


メインコンピューターの無機質な声が響いた直後だった。


『ピーン。一定量の外部データ蓄積を確認。条件をクリアしました。……メインシステムの深層領域へのアクセス権限を、一部アンロック(解除)します』


「な、なんだって!?」

ハカセが驚いて立ち上がる。


モニターには、今まで一度も開くことのなかった『最高機密』のフォルダが、パスワードを解除されていく様子が映し出されていた。


「どうやら、星々を巡って知識とデータを集めることが、この船の『鍵』だったようですね」

私はゆっくりとキャタピラを鳴らした。


長きにわたる迷子船の旅。その「本当の目的」の片鱗が、ついに私たちの前に姿を現そうとしていた。

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