第2話 喋るネズミと荒野の開拓者
ピギィ、ルルル……
と、謎の宇宙人――翻訳機によれば『青い小鳥のような声』から便宜上『ピルル星人』と名付けた少年は、私の第4プラントでスヤスヤと眠っていた。よほどお腹が空いていたのだろう。私が育てた特大トマトを三つも平らげた後、植物たちの葉陰のふかふかした土の上で丸くなってしまったのだ。
「やれやれ、困ったことになったな。アル、また君はお節介を焼いたのかい」
静寂なプラントに、不釣り合いな甲高い声が響いた。声の主は、私の足元のキャタピラに前足をかけて見上げてくる、一匹の白いハツカネズミだ。首から小さな翻訳デバイスをぶら下げ、私が器用なアームの先で作ってやった特注の白衣を羽織っている。
「お節介とは心外ですね、ハカセ。農業ロボットたるもの、腹を空かせた生命体を前にして、実った果実を出し惜しみするプログラムは組まれていません」
「フン、相変わらず言い訳だけは最新鋭だな。まあいい、そのおかげで興味深いデータが採れそうだからな」
ハカセ――彼は、かつて人類がこの船『アーク・パルナス』に持ち込んだ実験動物の末裔だ。何百年もの間、人間のいない船内で独自の生態系を築くうち、一部の動植物は遺伝子変異と船内AIネットワークとの同調を果たし、高度な知能と意思疎通能力を獲得した。
ハカセはその代表格であり、今やこの巨大宇宙船の(非公式な)科学主任である。
『ザワザワ……サワサワ……』
突然、プラントの中央にそびえ立つ、直径数メートルはあろうかという巨大なトマトの樹が枝葉を揺らした。プラント全体の植物ネットワークのハブであり、長老とも言える『マザー・ヴァイン』だ。
彼女の意思は、特殊な周波数の念波として私の電子頭脳に直接届く。
『(いいのよ、アル。美味しいと言って食べてくれる子が来てくれて、私の子どもたちも喜んでいるわ。……それにしても、あの子の乗っていた船、ひどい有様だったわね)』
「ええ、マザー。メインコンピューターの解析では、小惑星帯のデブリに衝突して航法システムが物理的に大破しているそうです」
「つまり、自力で故郷に帰ることは不可能、ということだな」
ハカセが小さな前足で顎を撫でるような仕草をした。
「では、私たちが送り届けてあげるしかありませんね。幸い、航行ログから彼が遭難したと思われるポイントの近くに、居住可能な惑星が存在することが分かっています。距離にして、およそ2日」
「おいおい、アーク・パルナスの針路を勝手に変える気か? 『目的地不明』とはいえ、基本航路から外れることになるぞ」
「構いません。どうせ急ぐ旅ではありませんから」
私はあっさりと答えた。数百年間、ただ宇宙を漂いながらトマトを育てていたのだ。数日、いや数年寄り道したところで、誰に怒られるわけでもない。目を覚ましたピルル星人の少年にそのことを告げると、彼は青い肌をさらに明るくして「ピルルルッ!(本当!? ありがとう!)」と歓喜の声を上げ、私の無骨な金属のボディに抱きついてきた。
やはり、この温かいノイズは悪くない。それから二日後。アーク・パルナスは、ピルル星人の故郷と思われる惑星の軌道上に到達した。
『――対象惑星、スキャン完了。大気組成、人間および既知の生態系に適応。ただし、地表の70%が砂漠化しており、深刻な食糧難に陥っていると推測されます』
メインコンソールに映し出されたのは、赤茶けた荒野が広がる乾いた星だった。
少年――名前は『ピィ』というらしい――は、モニターに映る故郷を見て、しょんぼりと触角を垂らした。
「ピィの星、どんどん砂ばかりになってる。だからピィ、食べ物を探すために、お父さんの古い船にこっそり乗って……それで迷子になっちゃった」
「なるほど。食糧問題ですか」
私は電子頭脳の中で、瞬時に数万のシミュレーションを走らせた。私のメモリーには、人類が残した数千億通りにも及ぶ「環境改善」と「農業プラント構築」のデータが入っている。
「アル、まさかやる気かい? 我々はただの通りすがりの迷子船だぞ」
ハカセが私のキャタピラの上によじ登りながら、呆れたように言った。
「ええ。土と水と太陽があるのなら、そこに種を蒔くのが農家の仕事です」私はマザー・ヴァインの元へ向かい、最も生命力の強い『開拓用改良型トマト』の種子を数百粒、コンテナに収めた。そして、ピィを乗せた小型降下艇(普段は地質調査に使うものだ)に乗り込み、アーク・パルナスから星の大地へと降下した。着陸したのは、ピィの集落のすぐそばだった。砂埃が舞う乾いた大地に、ボロボロのテントや石造りの家が寄り添うように建っている。
降下艇の音を聞きつけて、数十人のピルル星人たちが警戒しながら集まってきた。
「ピィ! お前、生きていたのか!」
「お父さん!」
群衆の中から飛び出してきた大柄な星人に、ピィが飛びつく。感動の再会だ。
しかし、彼らの視線はすぐに、ピィの後ろから降り立った巨大な金属の塊――私へと向けられた。
「ピ、ピィ……その恐ろしい機械の化け物はなんだ……?」
「違うよ! この人はアル! 僕を助けてくれた、宇宙一のトマト農家なんだ!」
ピィの元気な紹介を受け、私は駆動音を最小限に抑えて一歩前に出た。
「初めまして。私は農業ロボットのアル。あなた方の星の土壌環境は、少しばかり休息が長すぎただけのようです。私が、少しばかり『お手伝い』をさせていただきましょう」私は六本のアームを展開し、胸部のストレージから土壌改良用のナノマシン散布機を取り出した。プシューッ、という音とともに、目に見えない微小な機械たちが周囲の荒地に広がっていく。彼らは砂の分子構造を組み替え、植物が根を張りやすい保水力のある土へと瞬時に作り変える。
「な、なんだ!? 地面の色が……!」
ピルル星人たちが驚きの声を上げる。私は続いて、マザー・ヴァインから託された種子をアームで丁寧に等間隔に植え付け、成長促進用の特殊な培養液を含んだ水を散布した。
「ハカセ、気象コントロール衛星のハッキングをお願いします。この座標に、適度な日照と微風を」
『了解した。まったく、人使いならぬネズミ使いの荒いロボットだ』
通信機越しにハカセの小言を聞きながら、私は静かに見守った。数分後。乾ききっていた大地から、青々とした双葉が一斉に顔を出した。それらはアーク・パルナスの技術とマザー・ヴァインの意志を受け継いでおり、恐ろしいほどのスピードで成長していく。ツルが伸び、黄色い可憐な花を咲かせ――そして、あっという間に、太陽の光をたっぷり浴びたような真っ赤な果実を鈴なりに実らせたのだ。
「おおお……っ!?」
「奇跡だ……大地の神の恵みだ……!」
ピルル星人たちは、突如として荒野に出現した豊かな緑と、赤い宝石のようなトマトの群生を見て、次々とその場にひれ伏し始めた。
「神などではありませんよ。ただの『農業』です」
私はアームで一つトマトをもぎ取り、一番近くにいた村長の震える手に乗せた。
「さあ、召し上がれ。うちのプラント自慢の、最高に甘いトマトです」
一口かじった村長の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。それが歓喜の味であることを、私のセンサーは正確に読み取っていた。広大な宇宙には、まだまだお腹を空かせている星がたくさんあるらしい。私の、いや、私たちアーク・パルナスの果てしない航海は、どうやら忙しくなりそうだった。




