記録室
今日だ。スケッチブックを鞄に入れる手が、朝から止まらなかった。記録室への降下の日が来た。
メンバーは五人。私、トーマ、セドリック、ペトラ。そしてレーヴェン少佐。軍のオブザーバーが同行する。
レーヴェンは軍服ではなく、遺跡探索用の装備を着ていた。軽鎧に携帯灯。身のこなしが軍人にしては柔軟で、遺跡に入った経験がある人間の動きだった。
「情報部にも遺跡経験者はいるのですよ」
私の視線に気づいたのか、レーヴェンが微笑んだ。
保管庫の下層を経由してノード空間に入った。ここまでは何度も来た道だ。ノードの活性回路が青白く光を放っている。
ノードから更に下。ガゼルの地図が示す経路。
階段を降りると、通路の構造が変わった。壁面の石材が、これまでとは異なる素材に切り替わっている。重く、暗い灰色。金属に近い光沢がある。
回路の密度が極端に高かった。ノード空間を超えている。壁面だけでなく、床にも天井にも、隙間なく回路が刻まれていた。
活性回路の光が通路全体を照らしている。携帯灯が不要なほど明るい。千年前の光が、今この瞬間も道を照らしている。
狭い区間を二箇所通過した。ガゼルの地図通りだ。トーマが先行して安全を確認し、全員が順に通る。レーヴェンは最後尾で、周囲を観察していた。何を見ているのか——回路の構造か、それとも軍事的な価値の査定か。
通路が突然広くなった。
記録室だった。
広さは結節点の三倍はある。天井が高く、壁面は全て活性回路に覆われ、空間全体が青白い光に満ちていた。
そして——壁面に沿って、大量の金属板が並んでいた。
保管庫の封印区画とは規模が違った。棚ではなく、壁面そのものに金属板が埋め込まれている。回路と一体化した記録。物理的な記録媒体と、活性回路の情報ネットワークが、同じ場所に共存していた。
「これは——」
声が出なかった。
旧文明が「後世に伝えるために」設計した情報保管施設。回路が止まっても金属板が残る。金属板が風化しても回路が動いている限り情報は保持される。二重の保険をかけた、情報保存のための部屋。
セドリックが隣で息を呑んだ。
「すごい。保管庫とは——次元が違う」
私は壁面に近づいた。金属板の一枚に目を止める。
表面に刻まれた図解が見えた。
線が走っている。直線と曲線。点と点を結ぶ線。各点に小さな記号が付されている。
「ネットワーク概念図です」
声が震えた。
「これは——ネットワーク全体の設計図だ。各点がノードを示している。それを繋ぐ線が経路。そして——」
私は図面を指で辿った。指は震えていた。
「点が多い。デルガだけじゃない。ここ、ここ、ここ——沿岸部に沿って点が並んでいる。内陸にも。大陸全体に——」
「大陸規模のインフラ」
レーヴェンの声だった。静かな声だが、その中に抑えきれない関心が滲んでいた。将校の目の色が変わっていた。
「メイラ調査官。この図面の詳細は——」
「まず記録を取らせてください」
私はスケッチブックを開いた。記録が先だ。解釈は後。
金属板の図面をスケッチに写す。正確に。線の太さ、点の位置、記号の形状。
描きながら、図面の細部が見えてきた。各ノードに付された記号は、機能を示しているらしい。同じ記号のノードがグループを形成している。地域ごとにクラスタが——
「ここの記号は何だ」
レーヴェンが壁面の別の金属板を指した。私が作業している板ではなく、隣の板。
見に行った。レーヴェンが指す記号は——見たことがない。ネットワーク概念図のノード記号とは異なる、別の体系の記号だ。
「わかりません。見たことのない記号です」
「解読は可能か」
「私には難しい。鑑定士——ノルに見せれば、可能性があるかもしれません」
レーヴェンは頷いた。金属板の配置を注意深く見回している。
記録を続けた。ネットワーク概念図。各ノードの位置と記号。接続経路の配置。
描いているうちに、軍の将校が私の成果に「軍事的視点」でコメントを挟み始めた。
「このクラスタ配置は、軍事的な通信網に類似していますね。指揮系統の構造に——」
「これは通信網ではありません。環境モニタリングと情報処理のネットワークです」
声が少し硬くなった。自覚はある。
「旧文明は軍事目的でこのネットワークを構築したのではなく——」
「目的がどうあれ、技術としては転用可能でしょう」
レーヴェンの指摘は正しかった。だがその正しさが苛立たしかった。千年前の人々が築いたものを、「転用可能」という枠組みで見る。技術の価値を、利用可能性でしか測らない。
反論を組み立てようとした。
そのとき——視線がトーマに向かった。
無意識だった。反論の言葉を頭の中で整理しているとき、確認を求めるように彼の方を見た。
トーマは少し離れた位置で、空間の安全を確認していた。壁際を歩き、天井を見上げ、床面の状態を調べている。護衛としての職務。
だが私が視線を向けた瞬間、彼はこちらに顔を向けた。目が合った。
一秒。
彼が微かに頷いた。何の意味だったのだろう。「大丈夫です」か。「続けてください」か。
私は視線を壁面に戻した。
「レーヴェン少佐。記録の客観性を維持するために、軍事的な解釈は報告書ではなく、別途の分析書としていただけますか。調査記録に軍事的なバイアスが入ると、後世の研究者が——」
「了解しました。それは合理的な要請です」
レーヴェンは意外にも素直に応じた。
記録を続けた。
二時間の制限が近づいていた。金属板のすべてを記録するには、何度も降りてくる必要がある。今日は概念図の大まかなスケッチと、未知の記号のサンプルを優先する。
一枚の金属板を耐魔素ケースに収めた。ノルに見せるための現物サンプル。
帰路、通路を歩きながら考えていた。
記録室の発見。ネットワーク概念図。大陸規模のインフラ。
軍情報部がこの情報をどう使うか。レーヴェンの目の色が変わったあの瞬間。「転用可能」という言葉。
そして——反論を組み立てるとき、視線がトーマに向かったこと。
なぜ、彼に確認を求めたのだろう。
セドリックは隣にいた。ペトラもいた。レーヴェンへの反論なら、セドリックの方が学術的な支援ができるはずだ。
なのに、私の視線はトーマに向かった。
「なぜ」が、まだ言葉にならない。
地上に出た。
レーヴェンが先に局舎に入り、ヴァルトと話し始めた。軍の管理権限の主張が始まるだろう。記録室の情報をどちらが管理するか。
セドリックが私のところに来た。
「メイラさん、今日の発見はすごいですね。ネットワーク概念図——論文にできますよ」
「論文の前に、軍との交渉がありますけどね」
「そうですね。でも、記録は残しましょう。メイラさんの記録は正確ですから」
セドリックは笑って帰っていった。
トーマと二人、いつもの道を歩いた。
記録室の金属板。ネットワーク概念図。未知の記号。
そして——ノルなら読めるかもしれない。
「ノルさんのところに行く必要があります。未知の記号のサンプルを見せたい」
「承知しました」
「明日、行きましょう」
「はい」
夕暮れの光の中で、彼の横顔を見た。
反論を組み立てるとき、視線が彼に向かった。確認を求めた。彼に。
なぜだろう。
わからないまま、道が分かれた。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」




