封殺の限界
崩落の瞬間、考えるより先に体が動いた。
天井が軋む音を聞いた。石材が剥がれる音を聞いた。次の瞬間には、もう彼女を引き倒していた。腕で頭を庇い、背中で瓦礫を受けた。左肩に衝撃が走った。
護衛だから。
そう自分に言い聞かせた。依頼主を守るのが仕事だ。体が先に動くのは、訓練の成果だ。それ以上の意味はない。
嘘だ。
体が動いた理由は、訓練ではない。
あの瞬間、俺の頭にあったのは「この人を失うわけにはいかない」だった。依頼主を。ではなく、この人を。
肩の傷より、彼女が無事だったことの方が、遥かに大きかった。
応急処置の布を巻く彼女の手が震えていた。それを見ているとき、「すまない」と言いそうになった。怪我をさせてすまない、ではない。心配させてすまない。
護衛が依頼主に心配させるのは職務の怠慢だ。俺が怪我をしなければ、あの手は震えなかった。
「なぜ庇ったんですか」
彼女が聞いた。
「護衛ですから」
答えた。正しい答えだ。正しい答えだったはずだ。
二日後、彼女が見舞いに来た。
宿の部屋で、椅子に座って、具合を聞いてくれた。報告書の話をしてくれた。ノードの応答機能。回路パターンの変化。
いつもの早口だった。いつもの話し方。だが、最初に報告書の話をしようとして——やめた。代わりに「怪我の具合は」と聞いた。
仕事の話しかしたことがない二人にとって、その質問は、いつもと違っていた。
彼女もそれに気づいていたのだと思う。
「無理しないでください」
声が硬かった。彼女の声は普段、仕事の話をしているとき以外は柔らかい。あの硬さは——怒っているのか、心配しているのか。どちらにしても、仕事の範疇には収まらない感情だった。
そして。
「仕事ですか、それだけですか」
彼女がそう言った。
小さな声だった。彼女自身、言うつもりではなかったのだと思う。言葉が先に出てしまった。そういう顔をしていた。
部屋が静かになった。
答えなければならなかった。
正しい答えは「はい」だ。仕事です。それだけです。護衛と依頼主の関係です。それ以上のものはありません。
正しい答えだ。
「はい」と言った。
嘘だった。
嘘だと、自分の声が言っていた。低い声。いつもより低い。嘘をつくとき、声が低くなる癖がある。彼女が気づいたかどうかはわからない。
彼女は笑った。「そうですよね」と。
あの笑い方は、本物ではなかった。彼女が本当に笑うとき——遺跡で発見があったとき、仮説が裏付けられたとき——目が光る。あの笑い方には光がなかった。
彼女が部屋を出た後、俺は自分の手を見た。
左肩は布で巻かれている。痛みは鈍く残っている。だが肩の痛みより——
彼女の腕が細かったことが、手のひらに残っている。
崩落のとき、腰を掴んで引き倒した。あのとき触れた体の軽さ。頭を支えたとき、髪が手に触れた感触。
沿岸遺跡で手首を掴んだとき、脈拍が指先に伝わった。あのときは手を離せた。正確なタイミングで。
崩落のときは——離せなかった。彼女が「大丈夫です」と答えるまで、覆いかぶさったままだった。離すタイミングを計れなかった。
壊れ始めている。
封殺してきたものが。
永続契約に署名したとき、わかっていた。離れられなくなると。毎日顔を合わせ、毎日声を聞き、毎日彼女の安全を守る。それは自分が選んだことだ。
「仕事ですか、それだけですか」
あの問いの答えは「いいえ」だ。
仕事だけではない。仕事だけであれたことは、一度もなかったかもしれない。最初の日に灯りの角度を合わせたとき、すでに。
だが「いいえ」と答えたら、すべてが終わる。依頼主と護衛の関係が。今の距離が。隣に立つ資格が。
だから「はい」と答えた。
正しい答えだった。正しい嘘だった。
もう、封殺できていない。
それでも、明日また隣に立つ。護衛として。依頼主の安全を守る者として。
それしかできない。それしか——許されていない。




