生きている回路
三日間、壁を見つめ続けた。千年前の光を浴びながら設計図を読み解く。この仕事が好きだ。だが慎重に進める必要があった。
活性回路が残るということは、魔素の循環がまだ続いているということだ。千年以上、自己維持している。現代の技術では再現不可能な仕組みだ。
私は三日間かけて、ノード空間の壁面回路をスケッチした。一回三時間の制限を守りながら、壁面の区画を分割して順に記録していく。
二日目の調査で、決定的な構造が見えた。
壁面の回路は、三つの方向から来ている経路を一箇所に集約していた。
一つは上方——保管庫を経由して地表に近い層へ。
一つは東方——港区の主幹路に繋がる方向。
一つは西方——まだ辿っていない経路。沿岸遺跡の方角に近い。
三方向からのデータがノードに集まり、処理され、別の方向へ送り出される。中継点の構造が明らかになった。
「ここは単独の施設じゃない」
壁面に向かって呟いた。ルーペを当てながら、回路の接続パターンを追う。
「ネットワークの中継点です。複数の施設からデータを受け取って、処理して、再配信する。デルガの地下全体を——いや、デルガだけじゃない。この三つの経路のうち、少なくとも一つは街の外に向かっている可能性がある。つまりこのノードは、デルガと外部を繋ぐ通信インフラの一部で——」
手が止まらなかった。スケッチブックのページを次々とめくりながら、回路の接続図を描いていく。
「——ネットワーク全体の構造が見えてきました。沿岸遺跡がセンサー、主幹路が回線、新区画が処理装置、このノードが中継サーバ。旧文明は——国土規模の情報ネットワークを持っていた」
声が弾んでいた。手が速く動いていた。早口になっていた。自覚はあるが止められなかった。これは——
「——いや、国土じゃ足りない。三つの経路のうち西の経路が海を越えているとしたら、大陸間のネットワークだ。旧文明は全大陸を繋ぐ情報インフラを持っていた。環境モニタリング、情報伝達、データ処理、すべてがネットワーク上で——」
ふと、自分が何分間一人で喋り続けていたか気づいた。
振り返った。
トーマがすぐ後ろに立っていた。携帯灯を——いや、ここは活性回路の光があるから灯りは要らない。彼はただ立っていた。私の言葉を聞きながら。
「……また一人で喋ってました」
恥ずかしさで頬が熱くなった。毎回こうだ。遺跡で発見があると、早口になって、敬語が崩れて、独り言のように仮説を並べ立てる。相手が護衛の人だろうと、壁面だろうと、お構いなしに。
トーマが少し間を置いて言った。
「分かりやすかったです。特に、中継構造の部分」
私は目を瞬いた。
「わかりますか?」
「ここに来る三本の経路が、この空間で合流して、処理されて、再び分かれていく。情報が一箇所に集まって、整理されて、必要な場所に送られる。——街の荷物集積所のようなものですか」
「そうです! まさにそれです!」
身を乗り出していた。
トーマの喩えは的確だった。荷物集積所。港区にもある。各地から届いた荷物が集まり、仕分けされ、目的地に再配送される場所。ノードの機能をこれほど簡潔に表現した言葉を、私は思いつかなかった。
「荷物集積所——それ、報告書に使わせてもらえますか? 私が『中継サーバ』とか専門用語を並べるより、ずっとわかりやすい」
「……どうぞ」
トーマが目を逸らした。わずかに。ほんの一瞬だけ。すぐに視線は壁面に戻った。
私はスケッチブックに「荷物集積所の喩え → 報告書に使用」と書き込んだ。
嬉しかった。自分の発見を聞いてもらって、それが伝わって、さらに良い表現をもらえた。論文の査読で「面白い」と言われるのとは違う嬉しさだ。もっと——直接的な。
この喜びを、誰に共有したいかと考えたとき、真っ先に浮かんだのはこの人の顔だった。
セドリックにも話す。ノルにも見せる。ヴァルトに報告する。だが「最初に聞いてほしい人」は——
いや。今、私が興奮しているのは発見のためだ。聞いてくれたのがトーマだったのは、たまたま隣にいたからだ。
スケッチブックに目を戻した。記録を続ける。
だが描きながら、時折彼の方を見ていた。彼が壁面を見ているとき、彼の視線を追って同じ場所を見る。彼が何を見ているのか知りたかった。護衛として構造の安全性を確認しているのだろう。それ以上の意味はない。
三時間の制限が来た。
「時間です」
「はい」
今日はすんなりと撤退した。記録は十分に取れた。ノードの中継機能を確認した。三方向からの経路の集約。これでネットワークの全体像が、大きく前進した。
帰り道、通路を歩きながら考えていた。ノードの接続先を辿れば、ネットワークの全体像が見えてくる。だが深層には魔獣がいる可能性が高い。今回はいなかったが、次は——
「トーマさん」
「はい」
「ネットワークの接続先を辿る調査は、もっと深い場所に行く必要があります。危険度が上がります」
「承知しています」
「……心配しています。あなたの安全が」
口から出た言葉に、自分で驚いた。「調査の効率」でも「護衛体制の確保」でもなく、「あなたの安全」と言った。
すぐに言い足した。
「護衛が負傷すれば調査が止まります。深層調査の継続のためにも、安全を最優先にお願いします」
業務上の理由を付け加えた。それが本来の意味だ。護衛の安全は調査の継続に必要な条件だ。
「了解しました。無理はしません」
トーマの返答はいつも通りだった。
地上に出た。夕暮れの光。
今日の発見を、まずヴァルトに報告する。それからセドリックに。ノルにも、次回の訪問時に。
順番がある。報告の優先度がある。
だが私の中で、「最初に聞いてもらった」のはトーマだった。壁面の前で、早口で、興奮して。彼はそれを荷物集積所に喩えてくれた。
分かりやすかった、と言ってくれた。
嬉しかったことを、もう少し考えてもよかったのかもしれない。だが私はスケッチブックを開き、帰路の通路で気づいた回路パターンの補足を描き始めた。
考えるのは、後でいい。今は記録が先だ。




