封印の奥
二百枚。棚の上に積まれた金属板の数を数えたとき、指先がうずいた。
棚は全部で八つ。各棚に金属板が二十枚から三十枚ずつ。一枚一枚を取り出し、寸法と重量を記録し、表面の図解を簡易スケッチで記録する。
セドリックと分担した。私は回路の図解が含まれる金属板を、セドリックは物理特性の記録が含まれる金属板を担当した。
作業は順調に進んだ。だが金属板の内容を読むには、旧文明の文字体系の知識が要る。私もセドリックも断片的な知識しかない。
ノルに連絡を取った。
ノルの工房を訪ねたのは、調査開始から一週間後だった。
金属板のスケッチを持って行くと、ノルは例によって面倒くさそうな顔をした。
「また来たのか。連絡しろって言っただろ」
「連絡しました。昨日」
「昨日って——ああ、書簡か。読んでない」
溜息をついたが、扉は開けた。入れ、ということだ。
工房に入ると、リタがいた。棚の前でしゃがみ込んで、遺物を眺めている。
「あ、メイラさん! また来たんだ!」
リタが立ち上がって駆け寄ってきた。二回目の訪問で「さん」呼びに変わっている。初対面のときは呼び捨てだった。
「こんにちは、リタさん。今日は——」
「リタでいいよ。さん付けだと堅いし」
「……リタ。今日はノルさんに金属板の解読を依頼しに来ました」
「金属板? 面白そう!」
ノルが作業台の前に座った。
「見せろ」
私はスケッチブックを開き、金属板のスケッチを順に見せた。ノルの目つきがすぐに変わった。面倒くさがりの顔が消え、鑑定士の目になる。
「この文字配列……旧文明の技術記録に使われた書式だ。論文じゃない。工程書に近い」
「工程書?」
「何かを作る手順を記録したものだ。素材、工程、完成品の仕様。技術を伝えるための文書」
ノルは金属板のスケッチに顔を近づけた。ルーペを当て、文字の形状を丹念に追っている。
「ここの記号は量を表す。ここは温度だろう。何かの加工工程——回路の製造手順か。これは面白い」
ノルとの議論が始まった。回路の製造手順が記録されているなら、旧文明がどのようにナノマシン回路を作っていたかがわかる。現在の研究では、回路の「読み方」は進んでいるが「作り方」は未解明だ。
「もっと持ってこい。この六枚だけじゃ全体像が見えない」
「保管庫には二百枚近くあります」
「……面倒だな」
ノルは椅子の背にもたれた。だが目は真剣だった。
「全部は無理だ。だが回路関連のものだけ、拓本を取って持ってこい。文字の解読は時間がかかるが、やれないことはない」
「お願いします」
リタが奥の部屋から顔を出した。
「ねえ、その保管庫って面白い遺物もあるの? 金属板だけ?」
「金属板以外にも、加工品や装置が保管されています。封印区画の外の棚には、回路を持つ遺物もあります」
「じゃあ今度見に行ってもいい? ノルは嫌がると思うけど」
「嫌がるに決まってるだろ」とノルが言った。
「でもさ、保管庫に面白い遺物があるなら、見てみたいよ。あ——」
リタはくるりとトーマの方を向いた。トーマは工房の入口脇にいつものように立っていた。
「護衛さん、ずっと立ってて大変ですよね。椅子、使います?」
「いえ。大丈夫です」
「ほんとに? ずっとこっち見てるから、何か気になることあるのかなって」
リタの視線が、トーマから私に移った。
「あの人、護衛さん? ずっと見てるよね、こっち」
私はリタの言葉の意味を考えた。護衛が周囲を見ているのは当然だ。安全確認が仕事なのだから。
「安全確認が仕事ですから」
「そっか」
リタは「ふーん」と言って笑った。何がおかしいのかわからなかった。前にも同じ笑い方をされた気がする。初めてこの工房に来たときだ。
ノルとの打ち合わせを終え、工房を出た。
通りに出ると、午後の日差しが眩しかった。リタも一緒に出てきた。
「メイラさん、今度また来てね。ノル、メイラさんの話をしてるとき楽しそうだから」
「ノルさんが?」
「楽しそうではない」と工房の中からノルの声がした。
「嘘。目がキラキラしてた」
「してない。帰れ」
リタは手を振って、港区の方へ走っていった。
トーマと二人になった。
「保管庫に戻りましょう。午後の調査があります」
「はい」
歩き出した。
工場区への道を歩きながら、金属板の解読について考えていた。回路の製造手順が記録されている可能性。旧文明の技術を再現できるかどうかは別として、製造原理がわかるだけで回路構造の理解が飛躍的に進む。
ノルに任せれば、時間はかかるが解読は進むだろう。あの人は口では面倒だと言うが、面白いものを前にすると止まらない。
——ノルに持っていく。
そう決めたとき、私は無意識にトーマの方を見ていた。
「トーマさん、ノルさんのところに金属板の拓本を持っていくことになります。何回か通うことになると思います」
「承知しました」
「ありがとうございます」
会話はそれで終わった。
——セドリックには、まだ言っていなかった。
金属板の拓本を取る作業は、セドリックにも手伝ってもらう必要がある。だがノルの工房に行くことを真っ先に伝えたのは、トーマだった。
特に理由はない。隣を歩いているから、先に口に出ただけだ。
特に理由はないのだから、考える必要もない。
保管庫への階段を降りながら、金属板の解読計画を頭の中で組み立てた。全二百枚のうち、回路関連のスケッチを含むものを優先的に拓本化する。ノルへの初回提供は二十枚を目標に。
トーマが先行して階段の安全を確認した。いつもの手順だ。
「どうぞ」
その声に、私は階段を降り始めた。
降りながら、リタの言葉がふと蘇った。「ずっと見てるよね」。安全確認だ、と答えた。答えは正しいはずだ。
だが階段の暗がりで、背中にトーマの視線を感じたとき、心臓が一拍だけ速く打った。
暗い場所で階段を降りれば、誰でも緊張する。それだけのことだ。




