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侵入、嘆きの廃城

翌日。

内心不安で一杯なまま依頼を受けたラクレスと、ご満悦なクーネルはタヴロッサ郊外にそびえる『嘆きの廃城』へと足を踏み入れていた。

かつてはこの地を治めた貴族の居城だったというが、今やその面影はない。

壁は崩れ落ち、蔦が絡みつき、不気味な静寂だけが、廃墟全体を支配していた。


「……ふむ。なかなかの寂れっぷりじゃな。亡霊が住み着くにはうってつけの場所よ」


クーネルは腕を組んで偉そうに頷いている。

ラクレスはそんな彼女を無視して、慎重に周囲を警戒しながら城内へと進んでいく。


「誰もいないな…。動物もいない」


城の中庭に出たところで、ラクレスが呟いた。

生き物の気配が全くしないのは不自然だ。

人がいる気配もない。かといって、野生動物がいるわけでもない。

別の何かがいて、かつ、身を潜めているのだ。

まるでこちらの様子を探るかのように。


「当たり前じゃろう。亡霊というのは夜行性なのじゃ。白昼堂々、うろついておるわけがなかろう」


クーネルが、さも当然といった顔で言う。


「俺らがギルドで大々的に依頼を受けたからだ。わざわざ危険を冒して居座るわけがない。ギ、ギルドにさ、討伐依頼が出てるんだ…、警戒を強めるのが普通だよ…」


二人の主張は見事に平行線を辿る。

一方は「亡霊だから昼はいない」、もう一方は「盗賊だから警戒して隠れている」。

議論は早々に行き詰まった。


結局、クーネルが痺れを切らし、調査は強引に再開された。

しかし、調査を進めれば進めるほど、ラクレスの「盗賊団説」を裏付ける証拠ばかりが、次々と見つかるのだった。


まず、崩れかけた兵舎の一室で焚き火の跡を発見した。

まだ新しい灰の周りには食い散らかされたパンの残骸や、鳥の骨が散乱している。

安物の酒瓶が数本、無造作に転がっていた。


「見なよこれ、クーネル。やっぱりここで誰かが食事をしていたんだ。亡霊は食事をしない」


ラクレスが、まるで「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔で、クーネルを指さした。


「ふん。悪霊のくせになかなか良い酒を飲んでおるではないか」


瓶の蓋をあけて一口。

どこから奪った物なのか、年代物のワインであった。


「しかも骨付き肉とはな。食通とは感心なやつじゃ」

「……話を聞いているのか?」

「聞いとるわい。つまり、この亡霊騎士は生前よほどの食い道楽であったということじゃろう。死してなお、食への執着を捨てきれんとは……哀れなものよのう」


クーネルはなぜか同情するようにしみじみと頷いている。

もはや、何を言っても無駄だと悟ったラクレスはため息をついて次の場所へと向かった。


次に城壁近くのぬかるみで、複数の足跡が見つかった。

それは明らかに人間の履く、頑丈なブーツの跡だった。


「これでも亡霊だと言い張る? でもこれはどう見ても人間の足跡だ」

「ほう。この悪霊、律儀に靴を履いておるのか。なかなか礼儀正しいではないか。死者の嗜みというやつかのう?」

「……そんなマナーがないよ」


ラクレスのツッコミは虚しく宙を舞う。

クーネルの頭の中では既に「礼儀正しくて食い道楽な亡霊騎士」という、奇妙なキャラクター像が出来上がりつつあった。


さらに薄暗い通路では粗末な作りの罠が、いくつも仕掛けられていた。

足を引っ掛けるためのワイヤーや、上から石が落ちてくる仕掛け。

どれも素人が作ったような、稚拙なものばかりだ。


「……罠だ。人間が作った原始的な罠。これでもまだ納得しないの?」


ラクレスはもはや懇願するような目でクーネルを見た。

いい加減、クーネルに自分たちが追っているのが人間であることを認めさせたかった。


「なるほどのう。この亡霊は生前は罠師であったか。多才なやつじゃな」

「……」


ラクレスはいったん撤退の交渉を取りやめた。

自分の都合のいいようにしか、物事を解釈しない。

きっとこの後、盗賊本人が目の前に現れたとしても「おお、実体化できるタイプの悪霊か!」とか言い出すに違いない。


二人は城の奥へと進み、かつて応接間だったと思しき広い部屋にたどり着いた。

部屋の壁にはまだ辛うじて原型を留めている絵画が何枚か掛かっていた。

埃と蜘蛛の巣に覆われ、色褪せているものの、その筆致は確かに優れた画家のものであることを示している。


「ほう。これは、見覚えのある絵じゃな」


クーネルは、一枚の絵の前で足を止めた。

描かれているのは鎧を纏った騎士が、巨大な竜と戦っている構図だ。

その筆致はまるで魂が吹き込まれたかのように、躍動感に満ちている。


「ふむ、この絵の作者は、恐らく『ファン・フセルメル』であろうな。竜を専門に描く、奇妙な画家であった。当時の世間では全く売れんかったらしいが……」


クーネルは流暢に解説し始めた。


「昔、このフセルメルという男、竜の絵を描くために、本物の竜に会いに行ったそうじゃ。もちろん、人間が竜に会うなぞ自殺行為に等しい。案の定追いかけ回されて、全身火傷だらけで帰ってきたらしいが、本人は『これで見えた! 竜の鱗の輝きが! 炎の熱が!』と狂ったように笑いおってな。その絵をたまたま見たことあったが、どう見ても炎の火中から見た視点で、迫力があったぞ」


ラクレスは話半分で絵画の裏や額縁の隙間を探っている。

彼の目的は盗賊たちの隠したであろう金品の痕跡を見つけることだ。

悪霊ではなく、人間の仕業となれば依頼は未達成だが、クーネルもしぶしぶ帰る事になるだろう。

しかしそんなラクレスの常識的な行動も、クーネルの悠久の昔話の前ではただの虚しい背景でしかない。


「ここの亡霊、死んでからもこんなところで絵を眺めておるのか。随分と風流な亡霊じゃな」


クーネルは画家フセルメルの話の続きを語り始めた。


「まあ、絵画としては二流じゃが、竜の鱗の質感の描き方は一流であったな。あやつは竜の鱗を一枚一枚、魂を込めて描いておったからのう。その執念は感心するに値したぞ。……しかし売れぬ絵なのに、なぜそこまで執着したのじゃろうな」


クーネルは、まるで自分の疑問を解決するかのように、絵画をじっと見つめていた。


「…俺たちは絵を見に来たわけじゃないよ」

「わかっておる。のう、小僧。いい加減、あの剣を貸さんか?」

「……だめだ」

「妾が使えば、こんな回りくどい調査などせずとも悪霊なぞ一発じゃぞ」


このやり取りはこの廃城に入ってから、既に十数回は繰り返されていた。

クーネルは何か証拠が見つかるたびにまるでそれが当然の帰結であるかのようにラクレスの背負う『誓約の聖剣』を指さし、そう要求するのだ。


「この剣は教会からもらった由緒正しき武器だ。それに他人に使わせないように約束してある」


クーネルはもうすでに使ったんじゃが、と言いかけてやめた。

ロックボアの討伐は、飲み込まれた時にたまたま剣が体内で刺さって死んだ、ということにしてある。


(……もしかして、教会の武器なら何でも万能だとでも思っているのか?)


聖剣、魔剣、伝説の武器。

そういったものには確かに絶大な力が宿っている。

だが、その力は正しい知識と手順、そして使い手の資格があって、初めて発揮されるものだ。

何の訓練も受けていない素人が、振り回したところで、ただの重い鉄の棒と何ら変わりはない。

ましてや、この剣は教会から授かった聖なる代物。

悪霊退治の専門家でもないクーネルに扱えるはずがない。


「妾を誰だと思っておる。えーと、ほら、聖女じゃぞ? それを扱うのに妾以上の適任者がおるものか」


クーネルはぐいっと胸を張って、バンッと揺らした。

その根拠のない自信は一体どこから湧いてくるのか。

ラクレスには彼女が、村人たちから「聖女様」とおだてられ、すっかりその気になっている、お調子者の小娘にしか見えなかった。


「それに貴様こそ、なぜ今回は頑なにこの剣を使わん?」

「……あれは相手が巨大な魔物だったからだ。人間相手に軽々しく抜くわけにはいかない」

「この石頭めが」

「意地になってるのは君の方だ。悪霊でなけりゃ報酬は出ないしね」


どこまでも噛み合わない会話。

ラクレスはもはや対話を試みること自体が、間違いであると悟り始めていた。

彼女の頭の中はきっと、ブローチと金貨と美味い飯のことしかないのだ。

幽霊だの盗賊だの、そんなことは彼女の壮大な物欲の前では些末な問題でしかなかった。


(……あぶなっかしい。目を離すわけにはいかない)


ラクレスは改めて固く誓った。

常識が一切通用しない少女が、何かとんでもないヘマをしでかす前にさっさとこの依頼を終わらせなければならない。

彼の胃は早くもキリキリと痛み始めていた。

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