聖女の誕生
遠くの森のほうから、複数の人の声が聞こえてきた。
「こっちの方から、ものすごい音がしなかったか!?」
「勇者様はご無事だろうか!?」
(なっ……村人どもか!? まずい!)
この光景を見られたら、どうなる?
か弱いはずの少女が、巨大な猪を拳一つで吹っ飛ばしたなどと知られたら、面倒なことになるのは火を見るより明らかじゃ。
「い、急がねば!」
クーネルは焦った。
岩壁に叩きつけられ、ピクピクと痙攣しているロックボアはまだ息がある。
このままでは自分がやったことがバレてしまう!
クーネルは地面に転がっていたラクレスの剣を拾い上げると、おぼつかない足取りで彼の元へと駆け寄った。
そして、まだ意識のないラクレスの手に、無理やり剣を握らせようとして――はた、と気づく。
(……いかん! この小僧、右腕がまだぶら下がっておるではないか!)
左足は元通りになったものの、皮一枚で繋がった右腕はまだだらりと垂れ下がったままだ。
この状態ではどうやって剣を振るったのか、説明がつかない。
「ええい、ままよ!」
クーネルはとにかく偽装工作を急いだ。
ラクレスの右腕を無理やり持ち上げ、剣の柄を握らせる。
そして、その腕ごと持ち上げて、気絶しているロックボアの喉元へと、剣先を突き立てさせた。
剣が波打つ。
冗談ではなく、本当に振動が起きた。
散らばったロックボアの血を吸い、刃が赤くなっていく。
「やはりな。神聖そうな見た目をしているが、お主、"こちら側"じゃな?」
岩の皮膚ゆえに刃が通らなかったが、中身を斬ればこの通り。
まだかろうじて動いていたロックボアが、ぴくりともしなくなった。
一度斬りつければ、命を吸いとる恐ろしい魔剣。
抜き身をした時の背筋のざわつき、あれはこの剣が血を欲しがっている声だったのだろうか。
「ぐっ……、しかし重いのう、この小僧の腕は……!」
腕がちぎれそうになりながらもなんとか偽装工作を終えた、まさにその時。
村人たちが、息を切らしながら、その場所に駆けつけた。
「おお! 見ろ! 勇者様が、ロックボアを仕留められたぞ!」
「なんと……! あの巨大な魔物を、お一人で!」
彼らの目に映ったのはこうだ。
巨大なロックボアにとどめを刺し、力尽きたように倒れている勇者ラクレス。
そして、その傍らで、神々しい(ように見える)力を使い果たし、消耗して千鳥足で佇む、金髪の美少女――。
だが、一部の目ざとい村人が、ラクレスの異常に気づいた。
「ま、待て! 勇者様の腕が……! 腕が、とんでもないことに!」
「本当だ! 急いで手当を……!」
村人たちの視線が、だらりと垂れ下がったラクレスの右腕に集中する。
クーネルは肝を冷やした。
(やばい! このままでは偽装がバレる……!)
彼女が、どう言い訳しようかと思考をフル回転させた、その時だった。
クーネルが支えていたラクレスの右腕が、再び眩い光を放ち始めた。
「こ、これは……!?」
先ほどと同じ、気味の悪い治癒の光。
皮一枚だった腕が、みるみるうちに正常な位置へと戻り、傷口が綺麗に塞がっていく。
村人たちはその光景を固唾をのんで見守っていた。
先ほどまで、「教会から来た」と名乗る、どこか胡散臭い少女としか見ていなかったクーネルへの認識が、この瞬間、劇的に変わった。
「聖女様……!」
誰かが、そう呟いた。
その声は瞬く間に伝播していく。
「ああ! 聖女様が、勇者様の大怪我を、奇跡の力で癒されたのだ!」
「なんと……! 我々は本物の聖女様を、この目で見ているのか!」
口々に、そんなことを叫びながら、村人たちがクーネルを取り囲み、ひれ伏していく。
(……聖女? なんじゃ、それは。妾のことか?)
状況が、全く飲み込めない。
感謝の言葉、賞賛の嵐。
それらを一身に浴びながら、クーネルの頭を支配していたのはただ一つ。
ズキン、と。
脳天をハンマーで殴られたかのような、強烈な痛み。
(……うっ……頭が……割れるように痛い……。これは……まさか……)
そう、二日酔いである。
クーネルは自分の体に起きた異変と、あの酒の関係に、おぼろげながら気づき始めていた。




