#44_旅人は金がないッ!(1)
ファナリース王国の存在するタスタニア大陸より海を隔てて西方に、小さな大陸がある。
ヨルド大陸と呼ばれるこの島は、ザッツベルド、サウェスト、ノウェストという三つの国家が存在する。
以前はもっと細々と国が乱立して長く戦乱の時期が続いていたが、半世紀ほど前に今の状態に落ち着いた。以後は互いに不可侵を貫いており、表向きは平和である。
場所はザッツベルドの居酒屋。二十代後半の旅人風の男が店内に入るなり、カウンター席に座った。
「……マスター、ミルクを」
カウンター内でグラスを拭いていた店主の動きが止まった。
顔は手元、上目遣いで少し不機嫌そうに旅人に向ける。
「……強いのか?弱いのか?何を混ぜる?」
「プレーンだ」
言外に「酒を頼め」と圧を掛けた店主だったが、旅人には通用しなかった。
店主がグラスを置いてカウンターに両手をつく。
「お客さん、ウチは酒が売りでね。ここに来る連中はみんな酒を飲みに来てんだ」
「盛況なようで結構じゃないか。ミルクを」
「……はぁ」
この反応では何を言っても無駄と悟り、仕方なくグラスにミルクを注いで出した。
「これでいいか?」
「ああ、すまないな」
「謝るくらいなら酒を注文しろっての……」
というボヤキはわざと聞こえなかった振りをして、旅人はグラスを傾ける。
「……この濃厚な味わい、かなりの上物だろう?」
「そこらへんに売ってる普通の牛乳だよ」
「そうか。ところでマスター、このあたりで金になるような話を聞いたことは無いか?」
「……情報が欲しけりゃ、言わなくても分かるだろ?」
つまりは、それなりの金を落せ、という意味だ。少し高めの酒を頼むでも良いだろうし、チップを渡すでも良い。
「確かに、それは道理。ではおかわりだ」
「……あんた、ブレないな」
店主は彼を「こういう客」と諦めた。
旅人の注文通りに二杯目のミルクを出してから、カウンターの下から一枚の紙切れを取り出して見せた。
「情報量が牛乳なら、出せるのはこの程度だな。この島にいるヤツなら誰でも知ってる話だ」
年に一度のバトルフェスティバル!今年のチャンピオンベルトは誰の手にッ!優勝賞金は破格の一千万バース!腕に自身のある猛者は今すぐエントリー!
「ふむ」
やたらと「!」が多いチラシだった。
「トーナメントか。受付はまだ間に合うようだな」
「おいおい、まさか本気で出ようって言うんじゃないだろうなぁ」
ミルク程度の情報量ではまともなモノを出せるはずはない。店主は適当にあしらうつもりで見せた物のはずだったのに食いつかれた。
店主はどうしてか少し慌てて、つい追加情報を漏らしてしまう。
「やめとけやめとけ。これは一般人向けのイベントじゃなくて、いわば裏の世界の話だ。まあ裏っつってもほとんど公然の秘密みてえなもんだから、みんな知ってる話だ、ってさっきは言っちまったけどよ。普通に死人出てるぞ?」
なるほど、店主が慌てたのは自分が彼を間接的にでも殺してしまうのではないか、という罪悪感からだったようだ。
これ以上旅人にトーナメントの詳細を見せるわけにはいかず、ひったくるようにチラシを回収した。
「こう言っちゃなんだが、あんた強そうに見えないからな。命あっての物種だ、この国にも一応冒険者ギルドがある。そこで仕事を貰え」
「ギルドに所属するには、この国の人間でなくてはならないだろう?」
「……そりゃあそうだが」
店主はため息を吐くと、話はこれで終いだと切り上げる。
「とにかく、命が惜しかったら真面目に働け。店の門叩けばどこか雇ってくれるだろうさ」
「そうだな。貴重な情報、感謝する。これは情報料だ、受け取ってくれ」
「いや貴重じゃねえから……。それに五バースって飴玉も買えねえよ」
旅人は律儀にコップ二杯のミルクを飲み干してから代金を支払って店を出た。
繁華街とは言えないほどに申し訳程度の居酒屋がぽつぽつと路地に明かりを落としている。
旅人は言った。
「優勝賞金、一千万か。こりゃあ出るしかないね」
「(おぬし、先ほどの気持ち悪い喋り方はなんだ?)」
旅人の脳内に女性の声が響いてきた。旅人は脳内に響く声と会話し始める。
「別に気持ち悪くないだろっ。そりゃあ、なんていうの?情報収集で立ち寄ったバーでああいう風に斜に構えたやりとりって、一種の憧れみたいなもんあるじゃん?」
「(知らん)」
「……それ会話終わっちゃうじゃん」
「(おぬしが訳の分からんことを言うからであろうが)」
「男のロマンが分からないとは、まだまだだね」
「(おぬしが変わり者なだけでは?)」
「まあそんな事はいいとして。早速明日申し込むとしようか」
本気で出場しようとする旅人に脳内の声は呆れた。
「(……なんとも大人げないとは思わぬのか?)」
「プライドや世間体とかで飯が食えるかっ。遠慮なんかしてたら懐が寒くて死ぬだろうがっ」
「(……あの国からの報奨金を客船内の賭博場で溶かした罰だ。自業自得でしかないわ)」
「うぐっ……。最初はうまくいってたじゃん?だから、まだまだ勝てるって思って……」
「(慣れぬギャンブルに手を出すからこうなる。最初に良い思いをさせてその気にさせるのが手口だと、何度も言ったであろう。それでも止めなかったおぬしが全部悪い。あと百年はあの国に顔は出せぬな)」
感謝が込められた贈り物をギャンブルに注ぎ込んだなんて知れたら、彼の威厳や信頼が地に落ちるだけにとどまらず軽蔑されるのは間違いない。
「だ、だから、このバトルフェスティバルで優勝するしかないんじゃないか。失った分は取り戻す。これで俺の面目も保てる。うん、それしかないよな」
「(こやつ、不義理を強引に無かったことにしようとしておる……)」
脳内の声を聞こえない振りをして公園にいき、テントを張って夜を明かす。もう分かっているとは思うが、彼は宿に泊まる金がない。
翌朝、公園の噴水で洗顔していると、厳つい雰囲気を出している集団が通り過ぎていくのを見た。
長い戦争が終結してしばらく経つが、この島の三国は決して治安が良いとは言えない。それぞれの国のトップは私腹を肥やすことにしか興味がなく、それぞれの思惑が合致した結果、戦争せずとも儲けられると気付いて争いを止めたに過ぎない。
その金儲けの方策とはすなわち、他の国にはない見世物。これで海外の富裕層を誘致し、金を落させればいい。それがバトルフェスティバル。人の死に様を安全な場所から眺められるこのイベントは、人の嗜虐心をこの上なく刺激する。ありきたりな遊びでは満足できなくなった金持ちが求める終着点。
終戦へと導いた三国のトップはすでに亡くなっているが、国の在り方は現在まで受け継がれていた。
「あの人らも参加するのかな」
「(さてな。当日になれば分かる事。それよりもおぬし、金欠を気にし過ぎて目的を忘れるでないぞ?)」
「忘れるわけないだろ?いったい何年やってきてると思ってるんだ」
どこがおかしいのか、脳内の声は失笑する。
「(ふっ、何年、か。まあいい、まずはさっさと受付とやらを済ませてくるがよい)」
「ああ、そうだな」
旅人は噴水から離れて、テントを畳む。
旅人が手を一瞬だけ正面に翳すとそこに虚空が生まれ、その中にテントを放り込んだ。
「さてと、朝飯前に登録を済ませるかー」




