#42_逃亡のクレア(1)
クレアはカザックの言った通り馬を走らせる事一刻。森が見えた。一本の獣道が奥へと続いていて、おそらくその先に湖があるのだろう。
森に入ると、馬を傷付けないようにゆっくりと進む。
「森のこの雰囲気、懐かしいなー。村から出てまだ二か月かそこらしか経ってないんだけど、一年振りくらいに感じるなぁ」
入学したての頃にフォスノウス学園敷地内の森にも入ったが、あれは人の手で調整された不自然な自然。動物や植物の生きる世界とは全くの別物だ。
この森には獰猛な動物や毒を持った植物もあり危険なはずなのに、どこか落ち着く。
慣れた目で周囲の生えている植物たちや昆虫たちを見ると、この近くにはそこまで強烈な毒を持った植物は群生していないと思われる。
断言しないのは、自然界では常に人の予想だにし得ぬ事象が発生するからだ。故に、完全に気は抜けない。
未知の森では、肉食動物や猛毒を持った昆虫にも注意しなくてはならない。
「お腹空かせたビッグベアとか一角オオカミとかいなきゃいいんだけど……」
近くの茂みから草の揺れる音がした。
すぐに馬を止めて降り、素早くアーシェスから貰ったナイフを手に取って身動ぎせず、耳目を集中させる。
それから数秒、茂みから青目ウサギが顔をのぞかせた。
「……ピュイ?」
「もう、脅かさないでよ」
懸念していた動物じゃなくてほっとしたが、青目ウサギかぁ、と思った瞬間クレアの目つきが肉食動物のものに変わった。
「……後の事を考えれば、ここで肉を確保しておくのもアリだよね」
「ピ、ピュイ……?ピュイーッ!」
狩人の目になったクレアを見るなり、青目ウサギは逃げ出した。
「あっ!まっ…………あー逃げられちゃった。まあ少し残念だけど、この子を置いては行けないか。まずは湖を目指そう」
そう、この馬を狩ろうとする動物がいるかもしれないのだ。安易に単独で動き回るべきではない。
再び馬に跨り、獣道を辿る。途中で毒ヘビや吸血クモと遭遇したが、カザックに返すのを忘れた飛行魔道具である外套を投げつけて視界を遮ったり、わざと肌を晒して飛び掛かって来たところを斬って処理した。
そうして進んでいくと、獣道から少し外れた場所に大きい湖が見えた。
畔に着くと、早速馬に水を飲ませてクレアは麻袋の中身を確認する。
「えーっと……おおっ、これは私の制服っ!ありがとーっ!」
独房に入れられた時から処刑台までずっと襤褸を着させられていたので、早速服に袖を通したかったがふと思い止まる。
二の腕の匂いを嗅ぐと、やっぱり、とゲンナリする。
「まずは、体を洗わないとだねぇ…………本当に入るの?」
謎に自問自答した。この時期の湖はまだ冷たいのを知っている。が、汚れを落としたい欲が勝った。
襤褸を脱いで湖に飛び込む。
「うわっ、やっぱ冷たっ!早く上がらないと死ぬっ!」
手裏剣でも投げるような速さで適当に全身を擦って湖から上がる。
歯と体をガタガタと震わせながら外套に包まってタオルが無いかと荷物の中を探すと、一枚だけだが見つかった。
素早く体を拭き、フォスノウス学園の制服を着る。
「はあああ~、死ぬかと思ったぁ~。タオル入れておいてくれて助かったよ」
荷物を見繕ってくれたのはケイトかエスカティリーナあたりだろう。断頭台から逃がしてくれた事に加え、ここまで用意してくれては本当に頭が上がらない。
エスカティリーナといえば、別れ際にブローチを受け取っていたのを思い出した。それを彼女が付けていた場所と同じ位置に付ける。
「これでよし。あとは何が入ってるんだろう?」
荷物を確認すると、私服や保存食、地図にコンパス、薄手の毛布や魔法がほぼ使えないクレアの為に火打石なども入っていた。
そして、国内の地図に世界地図、分厚い封筒。
「あ、カザック先生が言ってた理事長さんからの手紙ってこれかな。なになに……」
封筒を開けて手紙を取り出すと、二つ折りの一枚の紙きれと膨らんだ便箋が出てきた。
紙切れには、旅の安全と健勝を祈るといった定型文が無骨な筆跡で書かれていた。その最後には……。
「同封した便箋は封をしたまま、エリクシア教の総本山・エイル教会に御座す巫女のアリエル様にお渡しするように。エイル教会の場所は世界地図にマーカーしておいたので確認すること」
世界地図を広げてマーカーを探すと、すぐに赤い線で丸く囲まれた場所が見つかった。
「ここか。えーっと、今が……どこだろ?」
国内地図とコンパスを駆使してどうにか現在地を割り出し、世界地図に照らし合わせて大体の方向と場所を確認した。
地図の見方が正しいなら、次の目的地はファナリース王国の北に位置する他国、ノストラン王国のようだ。
ノストラン王国はこの森を抜けた後に山を越えた先にあり、割と遠い。
「……逃亡しながらの亡命だから、一筋縄ではいかないよねぇ」
救いだったのは、山のふもと近くに小さな町があった事だ。そこで一息つきつつ、山越えの支度は整えられそうだ。町までは馬で四、五日かかりそうだが。
この森の近くにも町はあったが方角が全く違うので、急ぐ身としてはそちらに行く意味はない。理事長の指示通り、早めに巫女とやらに手紙を届けに行くのが最善だろう。
そう決めて馬の様子を見ると、草を食んでいた。
それを見てクレアも昼食を摂っていないと気付いた途端、お腹が鳴った。
「……私も食べよう」
保存食の干し肉に手を伸ばし、口に入れる。木片のように固い食感を楽しめるはずもないが、申し訳程度に塩で味付けされていた事でどうにか食べきれた。
その間に馬はとうに食餌を済ませていた。
「ごめん、お待たせー」
馬の鼻筋を軽く撫でると、気持ちよさそうに目を閉じた。クレアはこの馬に好かれているようだ。
クレアも自然と心が和む。
「いい子だね。これからもよろしくね」
言葉に応えるように頭を僅かに下げた。
クレアは荷物を麻袋に戻して鞍に括りつけ、乗馬した。
「じゃあ、行こうか」
馬の首筋をあやすように叩いてから、手綱で向かう方向を指示して獣道へ戻った。
湖は森の入口からさほど遠くない場所にあり、日も傾き始めているので出口を拝むのは明日になりそうだ。
どこか野宿にいい場所があっただろうかと思案すると、そういえば、と地図ではここから少し先に川が流れていたのを思い出した。
「なんとも過ごしやすい森だね」
それから半刻後、森の中はかなり薄暗くなってきた。そろそろ川辺に向かわないと迷子になりそうだ。
記憶を頼りに獣道を外れて進むこと十数分。水のせせらぐ音が聞こえ、誘われるようにそちらへ向かうと川辺に出た。
「よし、なんとか間に合った」
すぐに馬から荷物を下ろして体を軽くしてやる。
それから枯葉と枯れ枝を急いでかき集め、石で囲んで火打石を使う。これで暖はとれた。あとは寝るだけだ。
寝心地をよくするために外套とタオルと私服を敷き、その上に寝転がる。
「……うーん、まだごつごつ感は気になるけど、痛くないだけマシって思おう。それじゃ、おやすみ~」
馬に就寝を告げて五秒で眠りに落ちた。
眠ってどれくらいたった頃だろう。焚火の消えた暗がりの中、横になっていたクレアの背中を馬の鼻先が何度も押してきた。
すぐに眠りから覚め、まだ覚醒しきっていない頭で寝返りを打って体を起こすと、馬がとある方向を見ていた。
「どうしたの?」
クレアの声以外は風で揺れる葉の音しか聞こえてこない。だが、馬が何かを感じ取っているのなら注意した方が良い。クレアも一緒になって同じ方向を見続けていると、森の中にぼうっと明かりが浮かんできた。
それは一つだけでなく、複数。
「あれは……もしかして松明の灯り?」
こんな夜中にこんな場所に団体様。警戒すべきだろう。
外套を羽織って荷物を手早くまとめて馬と共にこの場を離れ、川から遠くない茂みに身を隠す。馬の肌も鞍も暗色なので、そのままでいても見つかることはないだろう。
それからしばらくして、大きな鉄檻を曳いた馬たちと武器を携えたガラの悪い集団が川辺に陣取った。




