#30_ライザース襲撃(10)
クレアの手にはナイフ。そして、その手は血に塗れていた。
教師たちがエスカティリーナを助けろと学園生たちに訴えたが、パニックに陥った彼らには何を言っているのかすら理解できていない。
ただ、その中でもケイトとジャックだけが動いた。
エスカティリーナとクレアの間に風を巻き起こして距離を開け、倒れそうになった彼女をジャックが後ろから支えて両脇に腕を入れて引っ張る。
「ううっ……」
エスカティリーナが痛みで呻く。
その時にジャックは制服に染み広がっていく血を見て、血の気が引いた。
「こ、これ、早くなんとかしないとっ……」
その時になってやっと学園生たちは状況を理解した。悲鳴を上げ、これ以上行き場がないのに外側にいた学園生たちはステージの奥へ奥へと押し合って密度を上げる。
とてつもない圧力が加わり、壁際にいた学園生らは悲鳴を上げる。
「痛いっ、苦しいっ!押さないでっ」
「押すなっ、死ぬっ!」
大講堂で上がった悲鳴は二種類。エスカティリーナが刺されたショックのものと、圧死したくないというもの。
このパニック状態で理性的な判断を彼らに求めるのは最早無理だ。
悲劇は起こるべくして起こってしまった。
辛うじて集団から少し離れていたベルナルドたちも、体を動かせるような頭を持っていなかった。
姉がさっきまで一緒にいた女子に刺された。その衝撃は思いのほか彼の思考力を奪っていた。
「姉上……?なあ、あれはどういうことだ?なぜ姉上が平民に引きずられている?」
「それは……見た通りじゃないか?」
「見た通りとは、なんだ?なぜ、あの女の手のナイフが赤いんだ?さっきまでは綺麗だったよな?」
「あの女がエスカティリーナ様を刺したからじゃないか?」
取り巻きは淡々と教えるが、それは興味がないわけでも彼女を嫌っているからでもなく、状況を理解するのに時間がかかっているからだ。
そんな彼たちの前では、Fクラスの男女がこの悲劇に抵抗している。
「ジャックさん、回復魔法は使えますかっ?」
風魔法を維持しながらケイトが訊く。
どんどん血色が悪くなるエスカティリーナを見ながら、訴えるように答えるジャック。
「無理だよっ。先生たちですら使えない、特大魔法クラスなんだよ?!僕なんかが使えるわけないよっ。とにかく、今はどうにか止血だけでもしないとっ」
ジャックは制服の上着を脱いで、エスカティリーナの腹部に強く巻き付けて結んだ。エスカティリーナの体を床に横たえ、血が余計に流れないよう傷口を上に持ってくる。
そこまで終えたジャックは、次に何をしたらいいのか分からず何かを探し求めるように首を左右に振る。不安に駆られてしどろもどろな声が出る。
「えっと、あとは、あとはっ。何かできる事はっ……」
学園に入学して間もなく、救護の知識を未履修の彼が一人で出来るのはここまでだった。
その間ケイトがクレアを足止めしていたのだが、そのクレアが突然叫び出した。
「ああああああああああっ!」
そのまま風魔法の障壁を突っ切ろうと全身に力を込めて足を踏み出してきた。
「あああああっ、ああああああっ!」
「クレアさん?!しっかりしてくださいっ。邪な衝動に屈しないでっ!」
ケイトの説得も耳に入らず、一歩、また一歩と着実に詰め寄る。
「知り合ってまだ一月ほどですけれど、貴女は人を傷つけられるような人ではないはずですっ!自分を思い出してっ!」
「あああああああっ!」
どんな呼びかけにも反応を示さない。
ついにクレアはケイトの目の前まで来てしまい、頭上でナイフが煌いた。シェリーとジャックが悲鳴を上げる。
「ケイトさんっ逃げてっ!」
「やめろおおっ!」
目を瞑って直後に来る痛み、そして死に備える。その時、近くで男の声がした。
「なるほど、珍しい物が持ち込まれたようだな」
いつの間にかアーシェスがクレアの横に立ち、クレアの胸部に触れるか触れないかの場所に手を添えた。
「だが、所詮は魔王もどきだな」
手の平から一瞬だけ魔力が放たれ、それを受けたクレアは体当たりでもされたように少し弾かれて倒れた。
アーシェスは興味を失ったかのようにクレアから目を切り、今度は教師たちと戦っていたゴルドゲルズ兵に向けて魔力弾を放ち、ことごとくを絶命させていく。
五秒もしないうちにリーダー格の男以外が無力化された。
絶対的優位な立場から高みの見物を決め込んでいたが、訳も分からない一瞬のうちに全てがひっくり返された。
「……あああっ?!何してくれたんだコラアァ!ぶっ殺すぞてめえ!」
「どの国でもこういう輩は同じ言葉を吐くんだな」
「んだコラてめえ、ナメてんのかコラァ?」
眉間におもいっきり皺を寄せて上から下まで嘗めるように睨みつけてくる。
大講堂の入口から駆け寄ったカザックは一目散にエスカティリーナの元へ行き、回復魔法で傷を癒す。ラウマールはアーシェスの肩に手を置く。
「アーシェス、君がこれ以上その手を汚す必要はありません。遅くなってしまいましたが、ここからは私たちが――」
教え子を思い遣るその言葉を、アーシェスは目の前の男を見据えながら遮った。
「これはそんな次元の話ではないです。何も気付いていないなら、俺に任せて欲しいです」
彼の事は実力と経歴しか知らないが、ラウマールはアーシェスの言葉に重大な何かを感じ取った。
聞かれてまずいものは答えられないと言い、答えられるものには素直に応じるその実直さを知っているから。
何よりも、彼は強さのみならず知識と経験も底が知れない。確実に言える事は、ラウマールたちが想像もつかないような境遇で彼が育てられてきたらしいと言う事。
教師陣の知らない事を知っている可能性は大いにあった。
「……分かりました。君にとって万が一もないとは思いますが、私たちが危ないと判断したら割り込ませていただきます。これだけは譲れません」
「それでいいです」
短く答えたアーシェスはリーダー格の男を問い詰める。
「そのアーティファクトはどこで手に入れた?」
リーダー格の男が驚いて目を見開き、ラウマールたちも同じ反応をした。
「てめえ、見てもいねえのによく分かったな」
「アーティファクトだとっ!?それは本当なのか?」
「ああ。俺もそのアーティファクトの事は話でしか聞いたことは無いが、知っている特徴と一致しているです」
誰から聞いたのかは容易に想像がついた。彼の親代わりの「あの人」という存在だろう。
次に気になるのは、そんな代物を蛮族がどうやって入手したかであるが、アーシェスは「どうやって」よりも「どこで」の方が気になるようだ。
「どこで、だと?んなモン知るかよ。俺はただあのフードの男から借りただけだ。まあ、あったとしたらサラーシュなんじゃねえの?知らねえけど」
「そうか。それにしても、こんなにあっさり吐くとは拍子抜けだ」
「別に隠す事でもねえしなぁ。なんてったってよぉ……」
リーダー格の男は話の途中でアーシェスに向って駆けだし、不意打ちを狙う。
だが、懐から取り出したのは刃物ではなく、輝く鍵。
「今度はてめえが俺の人形になるんだからよおっ!」
「アーシェス!」
ラウマールが叫び、アーシェスを守ろうと前に出ようとするが逆に肩を掴まれて後ろに引き倒された。
「何をっ――」
「こいつ、バカだあああっ!」
リーダー格の男は嘲笑いながら、アーティファクト・覚醒の心鍵をアーシェスの胸に突き刺した。




