#29_ライザース襲撃(9)
ナイフを持ったクレアは、光の失せた瞳で大講堂の奥に固まる学園生たちの方へ一歩、また一歩と幽鬼のような足取りで近づいていく。
シェリーは行く手を遮るゴルドゲルズ兵と戦いながら、必死にクレアに呼びかける。
「クレアさん、止まりなさいっ!その手に持っている物を捨てなさいっ!」
シェリーの制止も効果はなく、虚ろな目のまま足を動かしていく。いつもと違う様子のクレアに、ケイトやジャックも正気に戻れと呼びかけるが反応は無い。
腕を掴んで止めようにも、今のクレアはどこか危険だ。
頼みの綱の教師たちはゴルドゲルズ兵の相手で手一杯、学園生たちの中でクレアを止められるような度胸のある者は存在しない。
ラウマールとカザックも、吹き飛ばしても吹き飛ばしても絶えず襲い来るゴルドゲルズ兵に手を焼いていた。
集団で固まっている学園生たちは、怯えた目でクレアの握るナイフを見ているので精一杯だった。
ただ一人を除いて。
「お待ちなさいっ!」
エスカティリーナがクレアの前に立ちはだかった。
その背中を見た学園生たちは一斉に安堵した。学園トップの実力者が出てきたのならどうにかなる、と。
「エスカティリーナ様だっ」
「そうだ、こっちには彼女がいたんだ!」
「気が狂った平民なんか魔法で吹き飛ばしちゃってください!」
こちらの気も知らずに勝手な事を言うな、と腹が立ったがそれどころではない。
クレアの目にはエスカティリーナの姿すら見えていないのか、歩みは止まらない。
「あの者に何かされたのは見ていて分かります。ですが、これだけの数の学園生を相手に大見得きったあなたが、そんな簡単に惑わされてはカッコ悪いですわよっ!ステージに立った時の勇ましさを思い出しなさい!」
だがその声もまるで届かず、ついにはあと数歩でエスカティリーナと接触するところまできてしまう。
何を考えているのか、その数歩の距離をエスカティリーナから縮めてクレアの目の前に立った。
「しっかりなさいっ!」
乾いた音がした。エスカティリーナがクレアの頬を引っ叩いたのだ。
クレアの顔が斜め下を向く。
「エスカティリーナさん?!」
「危ないから離れなさいっ!」
戦いながら教師たちはエスカティリーナの身を案じるが、時遅く最悪の事態が起こった。
「あ……」
エスカティリーナが短く言葉をこぼす。
その言葉が何を指し示していたかは、彼女の背中しか見えない学園生たちには分からなかったが、正面で戦っていた教師たちからは見えていた。
「クレアさん、あなたっ……!」
「誰かっ、彼女を手当するんだっ!」
「君たち、何をぼさっとしているっ!我々はそちらに向かえないっ、早く!」
教師たちは焦り、抽象的な指示である事に気が付いていない。事情が分からない学園生たちは何をどう動けば良いのかさっぱりだった。
「え?って、そう言われても……」
「どうして手当が必要に?っていうか誰に?」
「先生っ、もっと詳しく教えてくれないと」
教師たちは、教え子たちがこれほど察しが悪いとは夢にも思わなかった。
危険とは無縁の、過保護に育てられてきた貴族の子供たち。傍には常にメイドや執事、使用人の誰かがいて、自然とそれらの存在によって彼らの安全は守られて来た。平民の子供も、このような緊迫した局面に立ったことが無く、貴族の子供同様に心構えを整える方法を学園では教わっていない。
故に、このような事態に至ってさまざまな可能性を想像することができない人間に育ってしまった。
本当の危険を教えてもらえず、教わろうともしなかった結果だ。
しかし、こんな学園生の中にも必死になれる子供たちがいた。
「ジャックさん!私がクレアさんを風魔法で足止めしますから、その間にエスカティリーナさんをっ!」
「わ、わかったっ」
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グラウンドに立つアーシェスは、地面に埋もれた鬼に右の掌を向けて言った。
「セイクリッドウォール」
光を反射する壁が地面をくりぬいて鬼を囲んだ。
突然閉ざされた空間に鬼は一瞬唖然としたが、壁が出来たのなら壊せばいい。
「こんなので私を閉じ込めたつもりか?」
拳を振り被り、透明のようで透明ではなく、白いようで白ではない不思議な壁を殴りつける。
「はあっ!」
凄まじい音を立てて壁が壊れる、なんて事はなかった。その真逆で、鬼の一撃にも少しの音も立てることは無く、壁には傷一つ付いていない。
中途半端な力だったのがいけないと思ったようで、今度は全力で殴りつける。だが同じだった。
流石に焦り始め、サンドバッグにするように殴ったり蹴ったりの乱打を浴びせていくが、びくともしない。
打撃が駄目なら、魔力をぶつけるしかない。
両掌を向かい合わせ、町を吹き飛ばせる威力を孕んだ魔力球を錬成した。
「これならどうだっ」
鬼の奥の手の魔力球は壁に当たると、嘲笑うかのようにすり潰されるみたいにして消滅していった。
持てる力を全て出し切っても、この壁は崩せなかった。
「……なんなんだ、これは……」
それに答えるかのように、外からアーシェスの声が響いてきた。
「言っただろう、地獄の壁だと、です」
「……だが、これでは私を閉じ込めただけだろう?貴様ら人間とは違い、私に寿命はない。貴様の命が尽きるのを私は待てば――」
冷静さを取り戻した言葉の途中で、鬼は再び焦り始める。
何故なら、壁が徐々に迫ってきたからだ。
「な、なんなんだこれはっ。まさか、このまま私を圧し潰すわけでは――」
「正解だ、です。いくら魔王もどきでも、この壁で作られた箱の中では無力。そしてこの壁の最大の特徴は」
「く、くそっ!私が人間如きに、容易くあしらわれるなどっ!ここで死んでたまるものかーっ!」
身動きすら取れなくなった箱の中で鬼はそれでももがくように壁に体を打ち付けて続けたが、やがてそれも叶わなくなる。
「ぐあああああああああっ!」
「肉体だけでなく、魔力までも消滅させることだ、です」
「ああああぁぁぁぁ……………………」
鬼の叫びは途絶え、数秒後には箱は役目を終えたとでも言うようにビー玉サイズまで一気に小さくなると、光の粒を放出しながら消滅した。
鬼のいたクレーターの上からそれを見届けたアーシェスは校舎へ目を向ける。
「……少し騒がしいようだが、他にまだ何かあるのか?」
周囲に他に怪しげな気配がないのを確認すると、大講堂へ向かった。
その道すがら、どこぞの兵士たちが絨毯を作るようにして倒れ伏していた。
「これは……急いだほうがよさそうだ」
アーシェスは道を塞ぐ邪魔な兵士たちを飛び越え、一瞬で大講堂の入口まで辿り着く。
目の前で不死者のように迫る兵士を吹き飛ばし続けているラウマールとカザックに、背後から声を掛ける。
「これは?」
「ああ、アーシェス君、やっと来ましたか」
「遅い。どこで油を売って……いや、今はそんな事より、まずい事になっている」
それは見ればわかるが、具体的に何がどうまずいのかの説明が欲しい。
「この中には何があるんだ?です」
「避難させた学園生たちが集まっているのだが……クレア・シールズが敵に何かされたらしく、正気じゃなくなっている。このままでは――」
その時、大講堂の奥から一際大きな声が聞こえた。
「誰でもいいっ!回復魔法を使える者はいないかっ!?」
ラウマールとカザックは強い緊迫感に目を見開く。
「まさかっ」
「ラウマール先生、これはもう敵に情けを掛けている余裕はありませんっ。覚悟を決めましょう」
人を殺す覚悟。
その時が来てしまったかと心を痛めた時、アーシェスが動いた。
「クラスメイト同士は助け合う。クレア・シールズが困っているなら助けなければならないな」
アーシェスは一瞬で魔力で練り上げて黒い刃を創り出し、一振り。
「「ぐあああああああああっ!」」
ラウマールたちに途切れることなく押し寄せていたゴルドゲルズ兵たちは天井高く舞い上がって、重力に従って強かに全身を打ち付けた。
それでも起き上がろうとする兵士には魔力弾を撃ち込んで絶命させた。
命を奪う事に一切の躊躇を見せないアーシェスに、さすがのラウマールも呆然とした。
「アー……シェス……君?」
そんな目で見られていようが気にする風もなく、アーシェスは開けた視界の先にいるクレアを見据えていた。




