平和な一日の始まり
夜明けの空に溶け込むような淡いミントグリーンの鱗をきらめかせて、ハミングドラゴンの群れが優雅に朝の飛行を始めた。
今日は天気が良いらしい。
群れの先頭を行く竜の歌をなぞり、時に高く、時に低く重ねられる鳴き声は、まるで聖堂で聴く混声合唱のような響きを放ち、荘厳ですらある。
そしてそれよりやや地上に近い場所では。
『ギョエッ ギョエッ 』『キョホホホホホホーーー』
『アンギャーーーーーー!!』
亜熱帯特有の極彩色の鳥が放つ断末魔の叫びにも似た鳴き声が、町のいたるところで響き渡っていた。
毎朝お馴染みの光景だ。
「ぎゃああああああーーーーーー!!!!」
その、野鳥のさえずりに混じった人間の叫び声は、とある宿屋の一階から発生していた。
「○※☆◎△◇!?」
悲鳴の後に続いた言葉は最早意味不明。
「‥‥‥喧しい」
大人数が床やテーブルに突っ伏した状態で雑魚寝をしている浮舟亭の食堂に突如として大音量の絶叫が迸り、まず無駄に優れた聴覚を誇るハヤミミが地の底を這うような呻き声を上げて覚醒した。
昨晩は何故か後から乱入してきたディアドラが仕切って宴会が始まり、酒豪で名高い竜種のペースに巻き込まれた面子はものの見事に全員沈没する羽目に。
まだ夜が明けて間もない時間帯のため殆どのメンバーは眠りこけていたが、不運にもいち早く酒気が抜けて目を覚ましたヒューリーが恐怖の御対面をする事となった。
「‥‥‥!!ま‥魔獣ーーーッ!?」
ふと喉の渇きを覚えて目覚めた男が、真っ先にその寝惚け眼でとらえたモノは、窓の硝子越しに屋内を覗き込む有り得ないほど巨大な狼の姿。
樹海に棲む獣の中でも、特殊な進化を遂げ高い知能を備えた個体を魔獣と呼ぶのだが、突如として目の前に現れた狼はどう見ても並の獣とは思えない代物で。
早く仲間を叩き起こして応戦しなければと、ろくに働かない頭を必死に振っていたところ、後ろから気の抜けるような声が掛かった。
「‥‥あー悪ぃ悪ぃ。そいつ、うちの飼い狼だから。警戒しなくても襲ってきやしないって」
「‥‥ハァ!?」
声を裏返らせて振り向いたヒューリーの顔には、『飼い狼ってナニ、飼い狼って!』と言いたげな表情がくっきりと刻まれていたが、どうやらその『飼い主』の方はわりと大雑把な性格をしているらしく、細かな説明は省かれた。
「昨日言わなかったか?これが自分の連れだ」
「はぁああああああーーーー!?!?」
「‥‥‥‥ふぁ~‥ウルサイねえ‥‥いったいなんだってんだいヒュー‥ーーーっ、、、!!」
「むにゃ‥‥もぅ‥‥朝‥‥?」
「‥‥‥‥‥‥大きな犬がいる‥‥‥‥‥‥」
すぐ傍で大声で会話をしていれば寝ている人間も起きて当然だが、まともな反応を返したのは二番手のネイビーのみで後のメンバー二人は完全に寝惚けている。
お前ら警戒心がゆるみ過ぎじゃねーかとヒューリーが文句を言い掛けたところに、更なる緊張感を削ぐ台詞が追い討ちをかける。
「どうしたワンワン~。腹でも空いたのかや?昨夜は迎えご苦労じゃったのぅ~」
(━━━そうだった‥‥、紅竜がいたんだったっ‥‥!)
そんじょそこらの魔獣では太刀打ち出来ないクラスの大物が既に同じ屋根の下にいた事を、ヒューリーは今更ながらに思い出した。
本人は周囲に自分の正体を上手く隠しているつもりらしいが、自らの言動に気を遣うタイプでは無いため、一部の住人達にはその素性がとっくにバレバレ。
もっとも、本来ならそう頻繁に出くわす相手でもないので知っている人間は限られるが、《浮舟亭》に出入りする人間はコレとの遭遇率が格段に跳ね上がるのは避けられない。
人間に何事にも慣れが肝心だという、お手本のような事例である。
食堂で雑魚寝ををしていた全員がしっかり目を覚ました後で、フューシャから改めて灰色の大きな狼が「使役獣のポチだ」と紹介された。
桁外れの巨体ではあるが性質は極めて大人しく、危害を加えない限り人間を襲う事は無いとの説明に、まだいくらか不安を滲ませていた者も「ポチがおイタをしたら妾が責任を取って喰ろうてやる!」とディアドラに宣言され、キュウンと哀し気に鼻を鳴らした様子には恐ろしさより不憫さの方が勝ったようだった。




