呪いの解除と千年勇者
廊下に出ると、アスカロンは壁に背中を預け、俺たちが出てくるのを律儀にもじっと待機していた。
ヴェートラーナは首を出して、しきりにドリスタンがいないことを確認していた。
そして腕時計を親指と人差し指でつまむと、パカッと透明なカバーを開いた。カバー越しに片目をつぶって照準をドリスタンにあわせた。俺は何もみていないことにした。
ヴェートラーナが腕時計型麻酔銃から針を打ち込むと、アスカロンの額に書かれていた三本の線は、ばちんっ、とギターの弦が切れるような音を立てて切れた。
アスカロンは廊下の壁によりかかったまま、ぐったりと倒れた。
「いったいいつ解呪の魔法なんて覚えた?」
「魔王城に戻ったついでに書庫を調べたら、おばあちゃんが1000年前の戦いで獣人の呪術に関する資料を残してたの。特殊な薬で解除が可能だったみたい」
「やっぱりすごい魔術師だったんだな、お前のおばあちゃんの方は」
「なんかムカつく言い方された」
すかさず駆け寄ったヴェートラーナは、アスカロンの前髪を払いのけて、額を見る。
そこには、見覚えのある真っ赤な口紅で、奇妙な文字が書かれていた。
「なあ、ところでそれは一体どういう呪いなんだ? 俺がアイスキャットになったのと何か関係あるのか」
「ええ、大いに関係するわ」
ヴェートラーナはうなずいた。
「獣人数字の『3』は、古代の交霊術に使われていた『トカゲ』の象形なの。『認識阻害』の呪術効果を増幅させ、疑似的な『憑依状態』を生み出すの」
「疑似的な……『憑依状態』? というと?」
「つまり、あなたは今、自分の格好がアイスキャットに見えているのでしょう?」
「ああ……見えているな」
「そういう呪いよ。脳の中で、見えているものの情報が、まったく違うものに置き換えられてしまうの。つまり、『認識阻害』」
「ふむ」
俺は自分の姿を見た。じーっと見ても、そこにあるのはアイスキャットの姿だ。
俺の背中を冷汗が流れていった。
「……つまり、俺は今までアイスキャットになったつもりで、ぜんぜんなっていなかったってことか? そういうことか?」
「そういう事ね。完全にブリトニー・スピアーズに化けたつもりの浜田雅功……あいふぇふぇふぇ」
俺は脱力してその場につっぷす前に、最後の力をふりしぼってヴェートラーナのほっぺたを引っ張った。
金色のカツラをかぶって、女物の服を着て、尻尾をつけて、化けたつもりになっていたのだ。アイスキャットに。
「まあ、あんたが監獄を出歩くなんてのは、アイスキャットも想定外だったでしょう……だから、アイスキャットを個人的にかくまっていたアスカロンとあんたの2人が騙せればよかった」
……なんで監獄を出歩いたんだ、俺。
男たちにセクシーポーズを見せて口笛を吹かれてたぞ。
しかもそのまま堂々と女湯に入っていったぞ。
まあ、いいか。みんな過ぎたことだ。
やがて、アスカロンはむくり、と体を起こした。
首筋を気にしながら、俺たちの方をゆっくりと向いた。
俺の顔をじっと見ながら、ぽつりと言った。
「どうしたんだ……アイスキャット。話し合いは終わったのか?」
「あれ……?」
「ん……?」
俺とヴェートラーナは顔を見合わせた。
「へんね、認識阻害は起きていないはずなのに……」
「何も変わった様子はないぞ。どういうことだ」
「さあ、どういうことかしら。情報が足りないわ」
「アスカロン、お前、俺がまだアイスキャットに見えているのか?」
尋ねてみると、かなり真顔で首を横に振られた。
「いや……見た目は女装し損ねたおっさんにしか見えないんだが」
「お前もアイスキャットに見えていたんじゃなかったのかよ!?」
「……地下5000階の牢屋にアイスキャット以外の人間がいるわけないだろ? 私自身が閉じ込めたのに。きっと変身が使える彼女のイタズラじゃないかと思ったんだが……」
硬い。さすが頭が固い。一筋縄ではいかないぞ、この指揮官。
じゃあ、アスカロンの呪いは一体何のためにかけられていたんだ?
彼には、いままで一体何が何に見えていたんだ?
呪いを解いてしまった今では、確かめるすべはない。
代わりに事情を把握したアスカロンは(説得に30分かかった)、両手を顔の前で組み合わせた。まるでそのあたりに頭痛の種があるみたいに力を込めて握りつぶそうとしていた。
「なるほど……また脱出されたか……」
「またってことは、何回か脱出に成功したってことか」
「ああ、魔王軍に知られると大事なので、書類上ではぜったいに記されないがな。そのために今では私だけが彼女と面会できることになっている。
それでも、アイスキャットもけっきょく他に居場所はないからここへ戻ってくるんだ。彼女は大盗賊であるだけでなく、異世界スキルを持っていることが発覚しただけで犯罪者あつかいされる千年勇者だからな」
異世界スキルは、その世界の住民にとっては「走ること」みたいに、ごく自然に身についているスキルであることが多い。
しかし、異世界スキルが禁止された現在、『勇者ギルド』に登録された勇者でない限り、それを使用させてはもらえないのである。
この魔王領では想像以上に生きにくいだろう。
俺が呼吸をするように魔物を倒すようなものだ。それを封印されれば、毎回毎回戦闘を描写しなくてはならない。それは大変だ。
「アイスキャットがどこに行ったか、見当はつくか?」
「さあ……なにしろ大盗賊だからな。隠れ家だけなら星の数ほどあるだろうし」
ふうむ、と俺たちはしばし思案していた。思案してもどうにもならないことであったが。
ヴェートラーナは、俺たちとは何か別の事を考えていたらしい、とつぜん言った。
「ねぇ、チメイズマン、もう一度ゆっくりあの動画を再生してみて」
言われた通り、タブレットの動画を再生した。
エロい場面は早送りでかっ飛ばして、独居室の鏡が一瞬だけうつる場面で停止した。
「止めて。この鏡。拡大できる?」
「できる」
指を広げるジェスチャーを読み取って、映像はズームされた。鏡に映っているのは、アイスキャット……だと思っていた、女性。
タブレットを持った上半身が映っている。じっと見て、少しずつ動かして角度をいろいろ変えてみて、その違和感にようやく気付いた。
「……ネームタグがねぇな」
「これって、勇者はぜったいつけているものなの?」
「もし死んだら自分が誰だったか、誰にも分らないだろ……召喚師が勇者を戦場に配置するときなんかにタグを標的にしていたらしい」
あとは、これがないとタブレットを手放した時に召喚ラミネートの標的にならなかったりもする。
……そういや、俺が彼女を30歳のアイスキャットだと思っていたのは、ネームタグがあったからだった。
今も自分の首にぶら下げているのは、彼女のネームタグだ。ちくしょう、俺のネームタグはどこへいった?
「私にも見せてくれ」
アスカロンは、鏡に映っている女性に、じっと目を凝らしていた。
そして眉根を寄せ、小さくこぼした。
「……誰だ? これは」
俺とヴェートラーナは顔を見合わせた。
そう、それは独居室にいるはずのアイスキャットの代わりにいた、謎の5人目の獣耳だったのだ。
「チメイズマン、私の最悪の予想を聞いてほしいんだけど、いい?」
「どうぞ」
ヴェートラーナは、大きく息をついた。
「ゾンビ状態のあんたがここに来たとき、アイスキャットはもうとっくに脱走してたりしていなかった?」




