王女の神輿と千年勇者
「ふやぁぁぁ~。ほめんなしゃいぃ~、もうゆるひへぇ~」
「お前さ、俺たちの事見くびりすぎじゃないか? もうちょっと強い奴連れて来いよ。雑魚にもほどがある」
俺は周囲でノックアウトされているハイオークたちを示した。どうやって倒したのか俺でも記憶にないくらいあっけなかった。
座ったまま洗濯物みたいに頭上に掲げていると、ヴェートラーナが「ふんっ」と言って蹴ってきた。顎に当たった、痛い。
「なにをいう、現魔王軍では、最強の精鋭たちをそろえてきたのだ! 今日はタイミングが悪かったが、きさまなど、赤子の手をひねるようにかるくひねりつぶしてくれるわ……あひぃぃぃん!」
漆黒のローブの裾をぐいっと引っ張ってやると、両手で押さえていやいやと頭をふった。特に意味はない、単にいじめてみたくなっただけだ。
俺は懲りないヴェートラーナに説教してやった。
「というか、1000年前の魔術師軍団はどうしたんだよ、あの高下駄はいてた」
「ま、魔術師軍団は、現大魔導ドリスタンの配下だ……魔王城から持ち出すことはできない……」
「とにかくもっと強い奴をそろえておけ、千年勇者あいてじゃ、こんな連中、村に入ることすらできないぞ。ちゃんとわかってんのか?」
シレンシズに森を護衛させると、どんな大軍だろうとそこを通り抜けることはできなかった。敵軍は森を通り抜けるうちにどんどん味方の数が減っていくスリルを味わうことになる。
あいつに二つ名をつけるなら、エルフのランボーもしくはプレデターってところだ。
「けど、けど、これ以上のモンスターは、魔王軍には、もういない……ぐすん」
「えっ……そんなわけないだろ、ローグシティのダンジョンにもっと強いモンスターが自然発生(?)していたぞ? マイティ・オークとか」
金髪ドリル精霊が突然変異を起こして生み出したモンスターたちのことだ。あいつの意志はつまり自然の意志なので、自然発生にはちがいなかった。
ヴェートラーナは鼻水を垂らしながら、俺をぽこぽこ蹴ってきた。
「愚か者、マイティ・オークは、オークが武闘神官の異世界スキルを偶然ダウンロードして凶悪化したもの……だから、異世界勇者なみに成長して強くなる。
……けれど、魔王様はそもそも異世界スキルの利用を全面的に禁止しているのだ……そういうモンスターは、王国閣議を通さないと、作ってはならない決まりになっている」
「じゃあ、もしマイティ・オークに町が襲われたらどうするんだ? 魔王軍はちゃんと戦えるのか?」
「『勇者ギルド』にクエストを出して討伐してもらう」
「おおう……」
俺はめまいを起こした。
勇者に魔物を倒してもらうって、なんだその魔王。
まあ、魔王の立場に立って考えれば、それはごく自然ななりゆきなのかもしれなかった。
魔王の目的は、召喚師を中心としたゆがんだ社会構造の是正だ。
魔王は召喚師をこの世界から追放したあと、異世界に戻ることのできなくなった勇者たちを少数民族とみなし、自治権を与え、魔王領に取り込んでいったのだ。
魔王軍にとって、異世界勇者はもともと敵対する相手でもなんでもない。勇者たちは召喚師にやとわれた単なる傭兵でしかなかったからだ。この世界の住民にとってもよそ者に過ぎないので、戦い続けなければならない直接的な理由はほとんどない。
それどころか、相手はたった数名で国家に匹敵する戦力をもつ勇者だ。もし全面衝突すれば魔王軍のその被害規模は計り知れなかった。
むやみに手を出すより生活を援助し、囲い入れた方が得策なのは明らかだ。
勇者を囲い入れることに成功すれば、今度は勇者が持て余した力を使ってクーデターや反乱を起こさないよう、その力を発散させるための新しい敵を用意することも必要となってくる。
戦争が終わった後はだいたいどの国も余剰戦力をどう処理するかで悩むものだ。魔王側の魔族の領主がクーデターを起こすのも恐ろしいが、こちらは異世界スキルの保有を禁止する軍縮政策によって勢力を弱めて対応した。
かくして、魔王軍は異世界スキルの保有者を勇者と魔王の側近に限定して、それ以外の戦力は見る影もなく弱体化させてしまった。かつての四天王の孫でさえ、強い魔物が出たら勇者ギルドに依頼する、という社会構造が生まれた、というわけだ。
ふと、何かに気付いたように、じーっと俺の方を見つめているヴェートラーナ。
膝立ちになったまま近づいてきて、息がかかるくらい至近距離で見ていた。息にクッキーの匂いがした。
「なんだ?」
「チメイズマン、あなた、呪われてない……? それとも元々呪われてたの?」
さらっと俺の前髪をわけて、額のあたりに指を触れていた。指がクッキーの油でべとついていた。
間近で見ると、彼女の緑色の魔眼に、青い線がぼんやりと反射してみえた。宝石みたいに綺麗だった。ヴェートラーナのくせに。
どうやら、こいつには俺の体にかけられた呪いが見えるらしい。
「これは、『ケダモノの唾液』と……『赤土』? ……高度な魔術素材として、古くから使われているものよ……ひょっとして、ここに『1』って書かれなかった?」
「ああ、書かれた。ちょっと獣人の女の子と喧嘩してな……おかげで立てない」
「立たない?」
「立てない。わざと間違えるな」
「立たないのね。ご愁傷さま」
「腹パンしてやろうか?」
そういってグーを見せてやると、ヴェートラーナはものすごい速さでかさかさと逃げてしまった。
ヴェートラーナは倒れているオークの陰に隠れながら、びくびく警戒するように俺を見つめていた。
「そ、そ、その呪術は、魂を操るなんて高尚なものじゃないわ。獣人数字の『1』は『地面に立てた杖』の象形。杖を地面にまっすぐ立てて、倒れた方角で進むべき道を占った古代の占術をあらわしていて、元来、相手の『移動機能』を操る呪いの効果を増幅させる、強力な増幅装置なのよ」
「なるほど、もう腹パンしないからこっちおいで」
真面目に話してくれればこんなに頼もしい奴はいないのに。
やっぱり敵だから真面目に話してくれないのだろうか。
「……魂を操る呪術は脳の神経回路の興奮状態が鎮静化にむかうのを加速させるもの。この場合、下半身の動きを司る小脳の一部で興奮が起こりにくくなっている、という感じね」
「なんとか解呪できないのか?」
「私は専門じゃないけど、『立つぞ』という強い意識をもつといいらしいわ」
「意識をもつ? そんな簡単な方法で大丈夫か?」
「ええ、呪いが効いているのは、呪いをかけられたときの脳の神経回路だから。今から新しい神経回路を形成すれば、それは呪いの対象外になるはずよ」
「よし、わかった……ふんっ!」
俺は思いっきり腹筋に力をこめ、足を動かした。全身の力を使えば、少しずつだが足は動いていく。伸ばした状態だと動かしにくいが、曲げた状態だと動かしやすいみたいだ。
だが、曲げた足で体を押し上げ、立とうとすると、途端に力が抜ける。何度やっても駄目だ、まるで暗示にかかっているように、立とうとする意識そのものが起こってくれない。
「がんばって、『立つぞ』、と口に出すといいわ」
「よし、立つぞ、立つぞ、立つぞ、立つぞ!」
「がんばって、私も手伝うわ」
ヴェートラーナは俺の膝の上に両手を乗せて、上から力をくわえようとしていた。
激しく腰を上下に動かしながら、ぎゅっぎゅっと膝に体重をかけてくる。
「はぁ、はぁ、んっ、ふぅ……立って、チメイズマン、立ってぇ……!」
「立つぞ、立つぞ、立つぞ、ちょっと待て、殴らせろ」
俺はオークの持っていたハリセンで、すぱーん、と頭をたたいた。
ヴェートラーナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
頭を抱えて、じわっと目に涙をうるませた。
「ひょっとしたらコッチも立たないかもしれないじゃない! 下半身の呪いなんだから!」
「恐ろしいことを言うな! というか目下の問題は歩けるかどうかなんだから、そういうのは後でもいいだろうが!」
「なによ心配してあげたのに! 人間なんてどうせ100年も経ったらみんな歩けなくなるわよ! それよりも子孫が残せるかどうかの方が重要なんじゃない!」
「うあーえう16歳のお前の感覚でいうな! というかなんだこのオーク、なんでエルフの村に行くのにハリセン用意してるんだ!」
「異世界スキルは使えないからせめて芸でも仕込もうと思って!」
「ほんとお前11億人の勇者を殺したレコードホルダーの孫なのか!? なんか涙がでてくるぞ!」
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けっきょく、立つことはできなかった。
ヴェートラーナの献身的な協力もまるで役に立たなかった。
エアリバルドとチェストヒューが襲い掛かってくる様子もなかったため、とりあえず狩人ギルドに帰還することにした。
あの2人が戻ってきているかはわからなかったが、他のメンバーが無事に山から降りることができたかも確認する必要がある。
ヴェートラーナの連れてきたハイオークたちが神輿を持ってきていたので、俺はそれに乗って下山することができた。
1000年前の大魔導ヴェートラーナの行軍を思い出す、豪奢な神輿だった。
どうやら神輿は1台しか用意していなかったらしい。神輿に腰かけた俺に、ローブを脱いでタンクトップ姿になったヴェートラーナがぴっとり寄り添って、俺の首に両手をまわす格好で下山することになった。
夏場だったためひどく蒸し暑い。クーラー付きなんて高望みはしないが、ハイオークの体温と吐く息がここまで熱いとは思わなかった。
数十メートル歩いたら休憩する、を繰り返していて、ほとんど進まなかった。止まるたびにヴェートラーナが俺の下腹部を立たせようと余計なちょっかいを出してきて、その度にデコピンや腹パンをしてやったからますます汗だくになってしまった。
「今度はなんで止まったんだ? さっきから2メートルも進んでないだろ」
「魔物が現れたからよ。いま先頭で戦ってるって」
「魔物が現れたくらいでいちいち止まるなよ、蹴散らしていけばいいだろ」
「……いや、魔物が現れたらふつう止まるんじゃない?」
どうやら普通の人々には魔物があらわれたら蹴散らしていくという発想がなかったらしい。
とにかく不便なことこの上ないので、ローグシティの病院で車いすを借りることにした。
探索家ギルドの附属病院では足の骨を折る怪我人も多いので、車いすは大量に予備があるはずだった。
それをもらって一刻もはやくヴェートラーナをふりほどきたい。だってヴェートラーナだぜ。不覚にもこんなんで反応してしまったらむなしすぎる。
「千年勇者アイスキャットは、10年前にとつぜん現れてダルク帝国を滅ぼした英雄よ」
「ダルク帝国って聞いたことがあるな。一体なんだったんだ?」
「もともとは、ダルク侯爵という魔族の地方領主が愚かにも独立国家を築こうとして生まれた国なの。この土地のダンジョンに巣くうモンスターの一部の特性は知っているでしょ?」
「ああ、異世界スキルをインストールして強くなってた」
「ダルク侯爵はそれに目をつけて、次々とそのモンスターを飼育していたの。ダンジョンの内部でこっそりとね」
「そういう兵力を持つことは禁止されてるんだよな?」
「そう、魔王様もなんどか勧告したけど、無視していたわ。モンスターを使って町を滅ぼして、あぶれでた大量の亜人種を奴隷にしてダンジョン探索をさせてさらに規模を拡大していったの、やりたい放題だったわ」
「そんなのをつい10年前まで野放しにしてたのか?」
「軍縮がうまくいかなかった一例ね。いうほど簡単じゃないのよ、ダルク侯爵はダンジョンから採掘される白光石を融通することで『勇者ギルド』を味方につけていたらしいの。『勇者ギルド』との対立は絶対に避けたい最重要案件だから、魔王様もうかつに手が出せなかった」
「思ったより手ごわいな、そいつは。じゃあ、魔王軍はほとんど打つ手なしだったのか」
「そこにアイスキャットが現れたの。ダルク帝国がダンジョンから発掘した財宝のすべてを盗み出し、財政を崩壊させたと言われているわ。それでそのまま帝国は終わった」
「へー、ちゃんと勇者してたんだな、あいつ」
「ええ、そうね。下半身の立たない誰かさんとちがって。あいふぇふぇふぇ」
頬をぐりぐりつねってやった。
しかし、『勇者ギルド』か。ひょっとすると俺の想像していたより闇の深い組織なのかもしれない、そんな気がしてきた。
「で、ダルク帝国にかき集められていた奴隷たちはどうなったんだ?」
探索家ギルドの受付エルフや、売店、附属病院のように、そのまま何らかの形でダンジョン探索に携わり続けていたということもあるだろうが、全員がそういうわけにもいかないだろう。
帝国が崩壊して自由になったところで、彼らに新しい仕事ができるわけでもない。
ヴェートラーナがうなずくと、顎からぽたっと汗がたれた。
「アイスキャットが帝国から盗んだものの中には、『奴隷』も含まれていたの」
なるほど、ただ金庫の金品を盗まれたぐらいじゃあ、国は崩壊しない。そんなもの国なら権利や土地や信頼といったものを売ればある程度はひねり出せる。
だが『奴隷』を盗まれた場合は違う。奴隷は商品であり、同時に労働力だ。労働力を失った国はすべての経済活動が文字通り凍り付く。
「あいつは奴隷を盗んでどうするつもりだったんだろう?」
「今の世界では有名な話だから、覚えておくといいわ。……アイスキャットは奴隷を集めて『盗賊ギルド』を結成したのよ。そして大盗賊となって世界中を飛び回ったの」
ほう。
確かにそれは褒められたことではない。
チェストヒューが懸念していたのは、つまり、こういうことか。
俺が今のアイスキャットが何をしているかを知れば、あいつと敵対する恐れがあるってことだったんだ。
「驚かないの?」
「なにが?」
「だって、仲間が大盗賊になったって話よ? ふつー驚くでしょ」
「いや……異世界勇者っていろんな奴がいるし、元の世界でなにをやってたかまではわからないからな。自称エルフの王女様もいるし、ひょっとして大盗賊もいただろうさ」
そう、かつて俺たちは「召喚師のために」1つになって戦っていた。
そこにあるのは共通の正義なんて尊い理想でもなんでもない。
召喚師がいなくなって、なお同じ目標をかかげて団結しつづけられるわけではないのだ。
同じ千年勇者としても、思想の相容れないものも当然、出現するだろう。
「で、アイスキャットはどうなったんだ?」
「捕まったわ、『勇者ギルド』に。魔王様がクエストを発注したの」
「そうか……あいついま元気?」
「さあ、元気かどうかは私にもわからない」
「おいおい、魔王が捕まえたんだろ?」
「捕まえたのは『勇者ギルド』よ。魔王様はアイスキャットの身柄を引き渡すように要求しているんだけど、なんでも『伝説の武具』を盗まれていて、それがまだ見つかっていないとかで、彼らは引き渡しを拒んでいるの」
ヴェートラーナは、わざとっぽく肩をすくめた。「信じられる?」と言っているようにも見えた。
「そいつは……なんとも胡散臭いな」
「私もそう思う」
珍しくこいつと意見の一致を得たようだ。
俺はにやりと笑った。
「くわしく調べてみる必要がありそうだな、その『勇者ギルド』。その前に……まずは足を手に入れないとな」




