谷底の子供たちと千年勇者
山の水は冷たく、底の方にはゴロゴロと尖った石が転がっている。
俺は水中で手足をばたつかせながら、しばらく下流まで流されるままになっていた。
アイスキャットの暗闇最強と絶対命令、2つのスキルを分けた2人が相手だ。
立つことが封じられた今、まともに戦闘しても勝ち目はないだろう。
どうにかして呪術を解除する方法を見つけるか、あるいは山から下りる方法を見つけなければ戦いにならない。
だが、問題はそれ以上に、すぐ目前まで差し迫っていた。
尖った石の角が削れて丸くなり、急な流れが緩やかになったあたりで、俺はようやく岸に身を乗り上げた。
足の感覚がほとんどない。鎧はおろか、鎧下まで水浸しになっていた。
ただ水を吸っただけの衣類が鉛のように重く感じられ、俺は這って動くことしかできなかった。
額につけられた口紅そのものは消えたはずだったが、その効果はいまだに継続している。
どうやらチェストヒューは一度唾をつけた獲物のことを絶対に逃さないらしい。
タブレットを取り出して、ディスプレイに文字を表示させる。
残りMP1の表示が、警告のために真っ赤に点灯していた。
このままでは俺は死んでしまう。
タブレットの魔力を失うということは、召喚ラミネートを失うということだ。
それぞれ異なる世界の勇者が一つの世界で生存するための最低条件、それぞれの世界の『重力』、『気圧』、『大気』をすべて失うということを意味していた。
宇宙飛行士が他の惑星で宇宙服をはがれたのとまったく同じ目に合う。
俺は一度、目の前でそうなった仲間を見たことがある。
本来ならばそうなる前に召喚師が回収してくれるものだが、召喚魔法が封じられた空間での任務になると、助けが間に合わないことがある。
巨大な牛そっくりの格好をした勇者で、タブレットのMPが尽きるまで戦い続け、尽きてもなお勇猛に魔王軍と戦い続けた。
やがて血液が沸騰しはじめ、体が浅黒く変色してゆき、風船のようにはじけ飛んで、欠片も残らなかった。
この世界に残された勇者たちの大半が、あの牛と同じ滅びの道をたどったことだろう。
俺のタブレットも、まもなく、ピー、という音を立てて、それきり画面が真っ黒になった。
無情にも、終わった。
だが、まだ息はできる。
強制的に画面が消え、省電力モードに入ったのだ。
召喚ラミネートはバックグラウンドで起動している。そのタイミングはわからないが、しばらくすれば消滅することだろう。
やれやれ。情けない結末だぜ。
充電する機会はいくらでもあったのに、ハーレムを作ることにばかり夢中になって、そのうちハーレム要員の女の子と喧嘩して、けっきょく充電できずに死ぬとか。
よく考えたらばからしい結末だな。
こんなことになるぐらいだったら、最後にシレンシズに謝っとけばよかった。
ざわざわ、と沢の木立がざわめいていた。
そういえば、オリュンポス山は、エルフの住まう山だ。
そしてエルフは木々の声を聴き分けることで、はるか遠くの出来事を知る。
どうやら俺のことを見ていたのだろう。
そのとき、仰向けになった俺の視界に、緑色のバスタオルを体に巻き付けたような不思議な格好の女の子が表れた。
エルフ耳には木の芽をつむいだアクセサリーをつけ、その片手には弓をたずさえている。
ひと目でエルフだとわかったが、それ以上の特徴はぼんやりとしていてわからなかった。
俺はじっと目を眇めて、その子を観察する。
「……なんだ、ロアか」
「なんだとは何よ」
マリュリノロアだった。ほっぺたをモチみたいに膨らませて、いつもの不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「シレンシズかと思ったんだ。お前、前より美人になってないか?」
「チメイズマン、わかってないし」
「なにが?」
「そんな風に言われても、嬉しくないし」
「難しいなおい」
10歳といえば、第二次成長期に入るか入らないかぐらいだ。
背が少し高くなって、やせた印象を受けた。髪の毛も少し伸びている。
俺が山から出ていこうとするだけで、めちゃくちゃ泣きまくっていた時とはまた違った印象を受けた。
彼女は、葉っぱに包まれたアイテムを不愛想に俺に突き出した。
相手をにらみつけながら物を渡す癖はどうにかした方がいいぞ。
ラブレター渡すときそんな顔してたら相手の男の子は困るぞ。
「これ、必要なんでしょ?」
笹の葉っぱを結わえてある紐をほどくと、高純度の白光石が3個出てきた。
どうやら、これがないと勇者は生きていけないということを知っていたらしい。シレンシズも使っていただろうからな。
「シレンシズがくれたのか?」
「黙って持ってきた」
「そうか」
「黙って行かせてくれた」
「そういうことか。あと、何が入ってるんだ、これ、この白いの」
「レンパス」
「懐かしい、レンパスか。しばらく食ってなかったな。こんな形してたっけ?」
「私が焼いたの」
「こっち来い。お礼に頭なでなでしてやるよ」
「いいのよ、失敗した奴だから、処分に困っただけだから!」
タコをぐちゃっと潰したような形になっていて、一瞬レンパスだと分からなかった。
しかし、いったいどう失敗すればこんな名状しがたい形になるのか。
親子そろってクトゥルー神話だな。いや、ありがたく食べるけど。
タブレットの白光石(ほとんどただのガラス石になっている)を取り外し、新しい白光石をはめ込む。
すると、真っ黒だったタブレットの画面がみるみる息を吹き返した。
残りMP5と表示された。やっぱり天然のものだとさほど寿命はもたないみたいだ。
空間転移はとても使えないが、石は3個。あと15日間は生きられる。
立つことができないので、なんとか上体を起こして座った状態になる。
ロアが「食べないの?」と視線で訴えかけてきたので、タコレンパスはおいしくいただきました。俺の胃の中で名状しがたいイグザイルを踊り始めた。
「シレンシズ、怒ってたか?」
「『怒ってないって言ってきて』って言ってた」
「それって怒ってるんじゃないか? どう思う?」
「いいんじゃないの、浮気ぐらい」
「ロアは好きな子が女の子に囲まれてデレデレしてたら許せるのか?」
「だって、シレンシズさんだって私のパパ以外の人と結婚したし」
それはシレンシズには酷な言い方だろう。
1000年前の世界からいきなり現代に飛ばされたシレンシズは、まもなく子供を産んでしまった。
魔王に支配された混沌とした世界で、シレンシズは子供を守るために、エルフの村で暮らすことを選択したんだ。
お前を守るためだったんだぞ、なんて風には言えない。子供にはなんの責任もないことだからな。
「ロア、誰にだって欠点や過ちはあるだろ? あいつチート級でなにやっても完璧だったけどさ、さばさばして協調性がない所とか、自称エルフの女王様なところとか、あと何かあったか」
「気が付いたら布団に潜り込んできているところとか」
「それな。そういうのを含めて俺はシレンシズのことが好きだ。お前も好きだろ?」
「うん」
「気にすんな、300年後にはお前が一番かわいいよ」
ロアの大きなエルフ耳をいじっていると、あるとき、みょんっと跳ね上がった。
ロアは、近くの森の方に目を見張っている。
「だれか来たのか?」
「うん、私、隠れなきゃ」
「あ、やっぱ見られちゃまずいのか」
基本的にどの森にもエルフは住んでいるが、誰にも見られないように隠れて過ごすものである。
森の保護と管理がエルフの至上主義だ。
外から来た部外者に見つかって、なにかいい事があるわけでもない。とくに、魔王に支配されたいまの惑星アヴァロンでは。
「ロア、シレンシズに言っといてくれ。ありがとうって」
「えー」
「えーってなんだ」
「自分でいってよー、めんどくさいー」
「俺が自分で言おうとしたら、いつになるかわからんぞ。勇者は巻き込まれ体質だからな。いまも波乱に巻き込まれている真っ最中なんだぞ」
「大丈夫だよ、それだけ元気があったら」
「あとロア、めちゃくちゃうまかったよ、お前はパンをつくる天才だ」
「そういう時は、精霊様に感謝するのよ?」
そういって、ふわっと妖精のように消えてしまった。
ロアのいた場所に桃色の花弁がひらひらと舞った。
かわいい子に育ってよかったと心から思う。
俺は魔剣《鼻》を取り出した。座った状態でも、そんじょそこらの敵に後れを取るつもりはなかった。
あたりを見回すと、毛の色が多少違うウェアシャド、サワオオカミが数体倒れていた。さっきロアと話している間にちらちらと視界の隅に映ってはいたので、たぶん俺が無意識に撲殺か絞殺したのだろうが、残念ながらこの程度の敵ではたいした戦闘力の指標にならない。
相手を出迎えるべく、じっと森の方をにらみつけていると、バリバリ、メリメリ、と草木をへし折りながら、身長3メートルほどのオークが現れた。
異様にでかいオークだ。ハイオークか。
ブタの頭を持つオーソドックスな亜人系モンスターだ。
だが、マイティ・オークではない。
どうやら異世界スキルをインストールしていない素の状態のようだ、ならば、今の状態でも倒せるかもしれない。
だが、そのとき。
そんなオーソドックス・オークたちの中に、漆黒のローブを身に着け、巨大な死神の鎌を携えた少女が現れた。
「あら……こんなところで出会うなんて奇遇ね、チメイズマン」
少女は緑色の不気味な目を光らせ、にやり、と不気味に口の端を釣り上げた。
「ヴェートラーナ……いったい何をしにきたんだ」
「ふふん、エルフの村に、ちょっと挨拶をしにきたのよ」
「なにぃ?」
よだれを垂らしたオークどもが、ふごふご、と意地汚い笑みを浮かべていた。
エルフの村とオーク……なんかこう、非常に嫌な組み合わせだ。
ぐごごごご、という効果音を背景に浮かび上がらせて、ヴェートラーナは言った。
「私の命令を無視した愚かなエルフどもを、1匹残らず根絶やしにしてやるわ……。ひれ伏すがいい、私は、四天王の1人、大魔導アリスフォン=ヴェートラーナの孫娘なるぞ……!」
その数瞬後、3匹のオーソドックス・オークたちは空気のように地面に埋められていた。
ヴェートラーナは俺に両側からほっぺたを引っ張られ、「ほめんなひゃい~」と泣きながら謝ったのだった。
アイスキャットの子供はあんなに強いのに、なんでヴェートラーナの孫はこんなに弱いんだろう……。




