暗黒狂戦士と千年勇者
俺が分水嶺に訪れたときには、火吹き竜の姿はすでにどこにもなかった。
ちらほらと生えた雑草の間に、生暖かい血が点々と散らばっていて、戦闘がたしかにあったことがうかがえる。
いや、この規模はどちらかというと、火吹き竜による『狩り』に近いかもしれない。
ずっと道をくだっていった先には、川の流れる崖が見える。
ずいぶんな高さの崖みたいだ。ひょっとしてここから転落してしまったのではないか、という不安が俺の脳裏をよぎる。
「チメイズマン……!」
木立の傍に、隠れるようにしてチェストヒューがいた。
俺の登場に、心底驚いたような声をあげている。
オリュンポス山までは強行軍でも丸1日かかる距離だ、当然だろう。
「どうした、そんなに驚いて。ほら、ちゃんと服は着ているぞ」
「服を着てなかったら殺してるわ……!」
どうやら殺されるところだったらしい。よかった、ここにワープしてなくて本当によかった。
「なんであんたがここに来たの! プレシヴェルルはどうしたの!」
「プレシヴェルルよりもお前たちの方が心配だ、だから来たのに決まってるだろ?」
「…………!」
チェストヒューは顔を朱に染めた。短い尻尾をぷんぷん振った。
「そんな……こと言って……喜ばせてどうするの……しょせん私は、奴隷で……大事な道具……だから……でしょ……」
「何を言ってるんだ、チェストヒュー。俺はお前のことを道具だなんて思ったことは一度もないぞ」
実際、今は道具のように使っているのかもしれないが、それでも俺は彼女たちが将来そうなってくれることを信じて、本心から言った。
「お前たちは人に使われる道具じゃない、自分たちに何が必要か自分で判断して行動している人間だ。自分の意志で狩りをするし、自分の意志でチームをまとめ上げている。今のギルドはほとんど俺がいなくても成り立っているじゃないか。フィールドにはびこっているモンスターたちを見てみろ、ほとんどお前たちが意見を出し合って作ったんだぞ。俺が作ったのなんてジュエル・アルマジロぐらいだ」
「……そんなの……ずるい……だって、そうするように、あんたが仕込んだからじゃない……」
「というかさー、だいいち、俺の奴隷になりたいと言ってきたのはお前の方じゃないか? チェストヒュー」
「なっ……!」
俺が核心をついて言ってやると、チェストヒューはしまった、という顔をした。尻尾の振り方がますます激しくなった。
「あ……! あ……!」
「ん? どうした? お前はたしか、俺のもうけ話を偶然エアリバドルから聞き及んで……」
「いや……! ちが……! そじゃな……!」
「最初はその話の真偽を確かめるために、ただの付き添いとしてダンジョンに潜っていたんだよな? もうけ話が本当だとわかったら、自分もそれに一枚かみたいからって勝手にどんどん口を挟んできて」
「そじゃなくて……! マジ、マジでやめて……!」
「最終的に自分から俺の奴隷になるって言ってきたはずだぞ? たしか、『あなたの奴隷にだったらなってもいいわ』的な」
「はあぁあぁぁぁぁぁぁっ!」
ぶしゅーっ、と頭から湯気を吹きながら、チェストヒューはその場にしゃがみこんでしまった。白い子犬の尻尾はもはや痙攣するようにぶるぶる震えていた。
やれやれ、本当にかわいいな、こいつは。からかうのが面白いぜ。
そのとき、どこからともなく耳をつんざくような咆哮が聞こえた。
ドラゴンの咆哮だ。
俺は思わず声の聞こえてきた方角を確かめる。
空には分厚い暗雲が立ち込めていたが、ときおり、ぱっぱっと紫電がほとばしり、雲間に真っ赤な宝石のようなドラゴンの姿が見えた。
あれが火吹き竜……だよな? たぶん。
チェストヒューは、ぐすぐす泣きながら言った。
「お願い、本当にエアリバドルのことを大事に思っているのなら、あなたは見ないであげて、チメイズマン」
「え? 何を言ってるんだ、見るなって……」
「彼女の……あの姿を……」
その時。
とつぜん、どうっという凄まじい音とともに、上空からトラック並みの巨大な何かが落下してきた。
落ちてきたのは、3メートル近い深紅のドラゴン、重量2トンほどの火吹き竜だった。
仰向けに寝転がされた火吹き竜の喉元に短剣を突き立てて、腹の上をブーツで踏みにじっているのは、両目からもうもうと暗黒の霧を吹きあげる獣耳の少女だった。
ぐららら、と獰猛なうなり声をあげる火吹き竜を見下ろして、その目はいったいどんな表情をしているのか、墨汁の線の向こうでは計り知れない。
ただ、その口元は満足げに微笑みをたたえていた。
楽しんでいた。ネコがネズミをおもちゃにするように。相手を一息に殺さず、徐々になぶり殺していくのを。
化粧のように顔半分が血にべっとりと塗れて、それはまさに、狂戦士の笑みであった。
俺は、ぶるぶる震えているチェストヒューの頭をそっと撫でてやった。
「なんだ、脅かすなよ……ちょっとマスカラと口紅塗るのを派手に失敗しただけじゃないか? 十分かわいいじゃん」
「あんたって、本当にバカだわ……。彼女は暗闇状態になると、尋常でない力を発揮するけど、同時に混乱してしまうのよ……敵味方の区別なく、襲い掛かってしまうわ」
「知ってるよ」
そのくらい、知っている。
なぜなら俺は、この目で見たことがあるからだ。
派手に失敗したマスカラも、口紅も、どこか懐かしい気さえした。
1000年前、まったく同じ異能を持った異世界勇者が第五十勇者連隊にいた。
通称《暗闇狂戦士》。
第50勇者連隊所属、チート級獣人アイスキャット。
そいつとまったく同じだ。
「あいつのネームタグは、なんだったかな……まあいい、異世界勇者とまったく同じ異能が使えるってことは……アイスキャットの子孫ってことで、いいのか? お前は」
ぴくっと、エアリバドルが体をこわばらせたのが見えた。チェストヒューも同様だった。
エアリバドルぐらいの少女がアイスキャットの子孫である可能性は、十分に考えられた。
なぜならエルフと違って、獣人は人間の倍の速さで成長する種族だ。
イヌやネコほどではないが、10年生きれば人間でいえば20歳の肉体年齢に到達するという。
見た感じ、エアリバドルは8年というところだろうか?
俺が近づいてゆくと、エアリバドルに踏みつけられていた火吹き竜が、突如ぐるりと体を横転させた。
脱出の好機を得た火吹き竜は、ぐららら、と勝どきのような喉を鳴らして、まがまがしい呪文を描く火の粉を周囲に飛ばしはじめた。
魔術師の数ある紋章術のひとつ、火炎紋は、どんどん周囲に燃え広がって、その威力と破壊規模を増していくという特性を持っていた。
焚火のような拠点があちこちに築かれ、無数の呪文を煙とともに空に飛ばし始めた。火吹き竜の真っ赤な肉体は、周囲のものを焼き尽くす紅蓮の業火に包まれ始めた。
いまや、鱗の一枚一枚が火炎紋を放ち、火吹き竜そのものが甚大でない魔力を蓄える魔力増幅器と化していた。
チェストヒューはその強烈な熱波を浴びただけで痛みを覚えるのか、にゃー、とうめいて、必死に顔をそむけようとしていた。
「そん、な……炎の鱗……! まさか、この火吹き竜は超レア種……! 幻と言われた、S級討伐対象の、火吹き竜の、あの……!」
「邪魔」
俺は火吹き竜のどてっぱらを殴ってやった。
殴られた火吹き竜は炎をまき散らしてその辺の並木を焦土にかえながら地面を転がり、丘のてっぺんを巨人がつまさきで蹴っ飛ばしたように派手にぶち壊しながら宙を飛び、ロケット花火のようにはるか遠くの山に突き刺さってぼかーんと爆発した。
「ええええええええ!!!」
噴火のような地鳴りがどこか遠くで鳴り響くなか、俺とエアリバドルはお互いににらみあっていた。といっても、相手は不気味な毛筆の一画で目隠しされているけどな。
「まさか、こんなところに千年勇者の手がかりがあるとは思わなかった。また会えて嬉しいぜ、アイスキャット」
エアリバドルは俺の言葉が通じているのかいないのか、にぃっと三日月形に歯をむき、邪悪な笑みを浮かべていた。
どうやらエアリバドルにとっても火吹き竜は単なる高価なおもちゃにすぎなかったらしい。
チェストヒューがただ1人、火吹き竜の方をちらちら気にしているなか、千年勇者同士の戦闘は開始した。
エアリバドルは凄まじい速度で平地を横に移動し始めた。俺も鎧のアシストをフルに発動させながら並走する。ほぼ互角の速さとなった。
《暗闇狂戦士》の神髄は、あえて視覚を封じることによって、それ以外の感覚を数倍以上に引き上げることにある。
そしてアイスキャットがかつて習得し、極めていたジョブの特性を最大限以上に引き上げるのだ。
『暗闇最強』と恐れられた、その圧倒的戦闘力の正体、それは極限にまで高められた『盗賊ジョブ』のスキルである。
勇者専用の魔導クラウドに保存されている『盗賊ジョブ』には、ダンジョン内での探索に非常に有効な盗賊スキルがいくつもアップロードされている。
本来は敵の足音から気配や所在地を把握するスキル『地獄耳Lv99』。
通常の何倍にも研ぎ澄まされた聴覚により、敵の呼吸音、脈拍、筋肉の縮音まで把握。敵の挙動や心理状態を、目で見るよりも正確に把握することができる。
また、ダンジョン内のアイテムの所在をかぎつける『盗賊の鼻Lv99』。鋭敏になった嗅覚により、アイテムの所在を完璧に把握。生物とは違って音を立てない武器や防具の形状から質感までかぎ分けることができるため、相手の防具の隙間や薄いところを狙い、常に必殺の一撃を叩き込むことができる。
そう、暗闇の中であればこそ、《暗闇狂戦士》はまさに比類なき戦闘能力を発揮するのだ。
そして――まだ第3のスキルが存在する。
「うあにゃああああぁぁあッ!」
並走していたと思ったエアリバドルは、次の瞬間には俺の頭上にいた。
第3のスキル、『忍び足Lv99』。
本来ならば、それはただ敵に察知される確率を低下させるだけの特殊な足運びにすぎない。
だが、それを極めたものは逆に敵の感覚をあざむく足音をばらまく。暗闇を利用し、おおよそ人間ばなれした動きで移動することによって相手の感覚を狂わせ、理不尽なまでの速さで移動したように『錯覚』させるのだ。
俺も見事に騙された歩法。まったく読めなかった。
パワー、スピード、タイミング、申し分ない一撃だ。
だが――とっくにタネを知っている俺に効くような攻撃じゃないぜ、エアリバドル!
俺はタブレットの明かりにエアリバドルの姿が映し出された瞬間、短剣をふりかぶったその右腕を捻りあげ、胸倉をひっつかんで地面にねじ伏せた。
「ぎゃうん!?」
変な声を上げ、俺に簡単に組み伏せられてしまったエアリバドル。
状況が把握できていないのか、じたばたもがき続けていた。
「や……やは……あううぅ? あれ? なに? ちょっと、だれ? だれなの!? どさくさに、おっぱい揉んでる!? やめてぇぇ!」
――違う。こいつはあのアイスキャットじゃない。全然違う、これではあいつの足元にも及ばない。
あいつは盗賊スキルだけでなく、呪術も達人級のチート級獣人だったんだ。だからこんな風に組み伏せたら、逆に近接戦最強の水魔法によって呪いをかけられていたところだ。もみもみ。
俺は不意に疑問に思った。エアリバドルはなぜ呪術を使わない?
『暗闇最強』とうたわれたあいつの力は、チート級の盗賊スキルと呪術によって、はじめて完成したはずである。
わざわざ他人に呪いをかけてもらう必要がそもそもない。自分で自分の目を暗闇状態にできていたんだ。
もし、こいつがアイスキャットの子孫だったら、どうして呪術は教えていなかったんだ?
どうして《暗闇狂戦士》のスキルだけがこの世界の獣人に受け継がれているんだ?
やっぱこいつ、マスカラ派手に失敗しただけじゃないのか?
俺は金髪を持ち上げて色を確認し、さらにエアリバドルの整った鼻や顔つきを、じーっと観察した。獣人は匂いで相手を識別するというので、匂いもかいでみた。目が見えないエアリバドルは、びくびく震えていた。
似てるような……似ていないような。どんなだったっけ、アイスキャット。あいつ第50勇者連隊でも隠密行動専門だったからな。他人に顔を覚えさせないようなまやかしをかけるのは得意中の得意だった。男か女かもわからん。
うーん、と頭をひねってエアリバドルをしげしげ観察していると、俺の頭部に氷の塊のようなものが、ガツン、とぶち当たった。
氷の塊はバラバラ、と砕け散り、ダメージはゼロポイント。
なんか魔物でも現れたかな、と思って気にもとめなかったのだが、続いて2発、3発、さらにグラスに冷水を注ぐ冷水器のように容赦のない氷の岩が降り注いできた。
「……離れなさい、ケダモノ」
そして氷のように冷たい声がかけられて、ようやく俺は気付いた。
チェストヒューが、俺を鋭い眼光でにらみつけていたのだ。
俺はようやく得心がいって、にやりと笑った。
「なあ、そういやこのマスカラつけたの、お前だったよな? チェストヒュー」
そこで俺は、ようやくアイスキャットが仕組んだからくりを理解した。
簡単なことだ……『2つに分けた』んだ。




