火吹き竜の丘と千年勇者
「ひ、火吹き竜? わからない、大きな真っ黒い影が突然、私たちのいるところに飛び込んできて……みんなバラバラになって……私ひとり、逃げてきました……」
プレシヴェルルの回復魔法を受けながら、奴隷の少女は、俺に対してそう報告した。
仲間を山中に捨ててきたのが後ろめたいのか、ずっと俺から目をそらしている。
「こっちを見ろ。そんなことでいちいち怒ったりするもんか、自分の身を守ることが第一だ」
「……! ……! はうぅ……!」
何度こっちを見るように言っても、彼女はますます顔を赤くしてうつむいてしまうのだった。
まあいい、火吹き竜だろうがなんだろうが、俺が一瞬でかたをつけてやる。
「プレシヴェルル、そのまま回復を続けてろ」
「ますたー!」
プレシヴェルルは回復を途中で放棄して、叫ぶように俺を呼んだ。
呼んだだけだ、呪術を放ったような形跡はなかった。
いや、たとえ呪術を放たれたとしても、そのときの俺は意思の力だけでそれを跳ね返しただろう。
彼女は、俺の足に絡まったブラウスの切れ端をぎゅっとつかんだ。
「ますたー、おねがい、いっちゃだめ……」
「悪いなプレシヴェルル、俺はみんなを助けに行く」
俺が体にまとわりついた衣服の残骸を振り払うと、プレシヴェルルは、ぺたん、と後ろに尻もちをついた。
「安心しろ、プレシヴェルル。今度のお前のクマさんは特製品なんだ」
「とくせーひん?」
「こう見えて、本当は魔法使いなんだぜ?」
俺は、タブレットの上に指を走らせた。
天王系第二星座、『噴水』と、天王系第三星座、『反転世界』を描く。
その瞬間、魔導クラウドから膨大な魔力が呼び出され、膨大な熱量をともなう雷光を吹き上げた。
緑色の光線が頭上に球体を結び、やがてその表面は奇妙に歪み、この惑星アヴァロンのマップデータを精密に再現する。それは魔力の光で生み出された地球儀のホログラムであった。
超広域鑑定魔法《全球鑑定》によって、惑星アヴァロンのワープ可能な領域がこの地球儀にすべて表示されている。
そう、こいつは消費魔力7.5の大魔法、《空間転移》のための前駆魔法だ。
衛星が死んでいるので、つい最近訪れた場所にしか行けないみたいだった。まあいい、どうせオリュンポス山は行ったことのある場所だ。
プレシヴェルルはあまりに高度な魔法の発現に、息をのんでいた。
たぶん彼女は聞いたこともない魔法だろう、1000年前の勇者もこの魔法をめったに使わなかったからな。
召喚師に頼めば転移魔法を使ってくれるから、MP節約のためにそっちをメインに利用していたんだ。
これでもう、俺の残りMPは7しかない。
残り1週間の命ってわけだ。
これからの問題はタブレットに頼らず、自力で解決するしかないだろう。
どうせオリュンポス山に行くんだから、そのままエルフの村に直行する、という手もあるだろうが。
どのみち、俺の愛する奴隷たちとはもうそんなに長くはいられないはずだった。
「ますたー!」
プレシヴェルルは大きな瞳をうるっと潤ませ、俺をじっと見ていた。
「ますたー、なにがあっても、わたしたちの、ますたーでいて……ください」
俺は口の端を釣り上げて、にやっと笑ってやった。
安心しな、まだまだお前たちに任せて安心できるかっての。
正式にギルドの登録もしなきゃならないし、ギルド本部のローンも残っている。
引退してもたまにネコ屋敷の様子をのぞきにきてやるよ。
お前の子どもが生まれたら剣でも教えてやるよ。
それまでは俺のギルドだから、俺が体を張って守ってやる。
「まかせとけ」
やがて光の渦に包まれた俺は、一瞬にしてオリュンポス山の山中へと飛んだ。
そして、一瞬にしてオリュンポス山の山中へと出現した。
隕石が衝突したかのような衝撃で、頭上の雲にぽっかりと穴が開いている。
丸く抉れた岩山のクレーターに、俺は靴ひもを結ぶランナーのような恰好でしゃがみ込んでいた。
だが、そのとき俺は靴を履いていなかった。
いや、靴どころかズボンも履いていない、パンツ一枚すら履いていない。
上半身も同様の、まったくの全裸だった。
今ようやく気付いたのだが、さっき衣服の戒めを引きちぎった際に、自分の着ている服もいっしょに盛大に破いてしまっていたのだ。
全裸くらい、なんだっていうんだ? 俺のかわいい奴隷たちの命がかかっているんだぞ。その現場にどんな格好で駆けつけようが、駆けつけたということが重要なんじゃないか。全裸だとか、全裸でないとか、そんな細かい事をいちいち気にしていられるか。
まるでターミネーターのように忽然と現れた俺は、悠然と立ち上がり、さっそく周囲の様子を観察しはじめた。
ででんでんででん……ででんでんででん……
周囲には、俺の様子を見て腰を抜かしている獣耳の少女たちが数名。
運よく、いや、運が悪かったのか、奴隷たちのいる場所にワープできたようだ。
彼女たちはパーティが火吹き竜に襲われてしまい、散り散りになって山中を動いていた、というところだろか。
金槌をもった褐色のタンクは、大きく見開いた眼で俺の股間部を食い入るように見ていた。
火吹き竜の強さに怯えたのか、すっかり戦意喪失してしまったようだ。その指はもはや金槌から離されて、自分の目を隠すためだけに使われている。
「オーマイ……! オーマイ……!」
なんて怯えようだ。
いつもは勇ましい彼女がこんなになるほど恐ろしかったというのか、火吹き竜は。
ウサギ耳のアーチャーはその場にへたり込んで、耳をぺっこり折り曲げていた。いつもたたえていた優しい微笑みもすっかり消し、悄然としていた。
弓を地面に立てて、辛うじて上体を保っている。俺の方にまっすぐ顔を向けることさえ難しいのか、弓の影からちらっ、ちらっ、とこちらを覗いているかのようだった。
「マスター、山ではいつも私たちの常識では計り知れない事ばかりが起こるのですね……」
「ああ、山ってのはな、そんなもんだ」
60人もいた巨大パーティが突如壊滅するなんて、彼女たちにはおおよそ信じられない出来事だったのだろう。
うかつだった、俺がもっと火吹き竜のことを警戒していればよかったのに。
修道服を着たモンクは、俺の下半身を見ながら口をぽかんと開いていたが、やがてきりっと真一文字に口を結ぶと、胸の前で十字を切った。
「マスター、いままで私たちが遭遇した中で最大級のモンスターが出現したぞ」
「聞いている、どうやらそうらしいな」
「滅多に見られるものではない」
そして、俺の方をじーっとガン見しながら、なにやら熱心に祈り始めた。彼女が修道女としての一面を、はじめて俺に見せた瞬間であった。
俺はシスターに祈りを捧げられるような崇高な存在じゃない。
ただの勇者だ。
奇跡なんてひとつも起こせやしないし、できない事は腐るほどある。
ただ、出来ることは出来る。それだけでしかない。
今のこの場で俺のするべきことは、ひとつだった。
「火吹き竜はどこだ? 安心しろ、俺が呼吸をするように倒してやる」
「いえ……火吹き竜は、その、確かに現れたのですが……それだけではなく……エアリバドルさんが……」
ウサギ耳は、なにやら言いにくそうに口ごもった。
どうやら、問題は火吹き竜を倒すこと以上に複雑だったらしい。
彼女の代わりに、モンクが今の事態を率直に教えてくれた。
「火吹き竜を倒すために、エアリバドルが『バーサーカー化』したんだ。彼女は今、敵味方の見境なく攻撃を繰り返している」
******
その少し前、オリュンポス山では火吹き竜をめぐる激しい戦闘が繰り広げられていた。
暗雲がすさまじい速さで上空を飛ぶ分水嶺に、最高級品に指定されている鮮烈な赤い鱗をきらめかせたドラゴンが鎮座している。
そのドラゴンを囲んでいるのは、たった6名の狩人たちだった。
エアリバドルとチェストヒューをはじめとする、初期メンバーである。
彼女たちは火吹き竜の攻撃を魔物たちを翻弄する連係プレーと、その類まれなる俊敏性で回避しつづけていた。
エアリバドルはドラゴンの吸気を読み取り、休息に入ったのを確認する。それでもなお油断なく、逆手に持った短剣を握り直し、獣耳の同士にしか聞こえないささやき声で言った。
「みんな、あとは私とチェストヒューにまかせて、どこか遠くに逃げていて」
エアリバドルの一言に、彼女たちはそれぞれの獣耳をぴこぴこ、と動かして応えた。
今回のように新型モンスターを全員で狩りにいく、というのは、彼女たちが10数名のころから行っていた、いわば狩人ギルドの伝統のようなものだった。
次第に増加するメンバーたちは、みな1人の男に買われた奴隷という共通点しか持たない寄せ集めでしかない。その絆は、互いに命を預けあうにはあまりにも脆弱すぎる。
今回の大遠征に加わった60名の中には、狩りも未経験という初心者が含まれていた。だが、彼女たちは全体への帰属意識や仲間意識を強めるために、無理を押して全員参加を決行したのだ。
その判断の過ちが、今回の悲劇を招いてしまった。
火吹き竜のような知能の高い魔物は、敵のもっとも脆い部分を攻撃する。群れがあれば混乱を起こし、決して深追いはせず、徐々に戦力を削り取っていく。
最初に襲われたのは、狩りに不慣れな初心者の集まっていたチームだった。
たった1匹の火吹き竜の出現によって、彼らは混乱をきたした。命令系統は機能せず、戦線を離脱しはじめる者が続出した。
無事に逃げることのできた者の命も、また安全とはいい難かった。山中に潜んでいる脅威は、火吹き竜だけではない。
エアリバドルは、初期メンバーを残して全員戦線から離脱させた。そして他のメンバーを集め次第、ベースに帰還するように命令を出したのだ。
被害を最小限にするための、賢明な判断。残されたメンバーは、共にクリップダイル狩りを経験している。即死の牙を持った敵の攻撃を引き付け、回避する連係を磨いていた。そこまではまだいい。
「2人にするだと……?」
残されたメンバーも、みなエアリバドルの指揮に少なからず困惑していたらしい。
修道女服のモンクは言った。
「強敵を前に戦力を分散させるのは賢明ではないぞ」
「わかっている」
「シヌ、オマエ、イイノカ?」
「へーき、昔からこの2人でやってきたの。ただで死んでやるつもりはないわ」
エアリバドルは、それでも火吹き竜と直接対決することを望んでいたのだった。
火吹き竜は自分の腹に向かってぶおっと炎の息を吹いて、その熱を翼全体に行き渡らせるように軽く羽ばたいた。火の粉があたりの草の上でぶすぶす、と煙をあげ、小規模な火事が目に映る範囲でいくつも起こった。
ドラゴンにとっては鱗についた寄生虫を焼き殺す、毛づくろいのような仕草である。その熱波は彼女たちのほうまで届いており、誰一人としてドラゴンから目が離せない状態となった。
エアリバドルは、青ざめているチェストヒューを促すように、まっすぐな視線を彼女に向ける。
「行きましょう」
「ダメよ……せめてヒーラーがいないと……あなたは無事じゃすまないわ……」
「プレシヴェルルは置いてきちゃったじゃない……だってあの子、発情期が来てたし」
苦笑いを浮かべるエアリバドル。どこか悔し気に舌を出した。
「さあ、みんな早く帰らないと、いまごろマスターは彼女の下僕にされてるわよ?」
「ナニ、マスタ、ウワキスルノカ? マタナノカ?」
「そうですわねぇ、人間の発情期は、一年中といいますからねぇ。うふふ」
「あれ、モンクは……?」
修道女服のモンクはすでに背中を向けて、すたすたと下山を始めていた。
「本当にマイペースね、あの子は」
「うん、刑務所から戻ってきたと思ったら、いきなり修道女になったもんね」
この最初期のメンバーは、狩人ギルドに入る前から古いつながりをもった仲間どうしだった。
奴隷になることを嫌い、同じスラムに住み、同じ悪に手を染め、同じ男の奴隷となったメンバーである。
彼女が抱えている巨大な闇のことも含め、エアリバドルのことを一番よく理解している、と言ってもいいだろう。
ただ1人、チェストヒューをのぞいては。
どうっ。
火吹き竜が先ほどよりも大きな炎を鼻から吹いた。
それは炎であって、炎ではなかった。
周囲に拡散してゆく無数の火の粉。
ひとつひとつの火の粉の塊が、一連の呪文の文字へと移ろい、変形しながら消えてゆく。
その呪文の放つ光を浴びた火吹き竜は、たくましい胴体を、ぶわり、と宙に浮かび上がらせた。
浮いた。
突進に備えて身構えるエアリバドルだったが、火吹き竜の目論見は違った。
その巨体をたやすく宙に浮かび上がらせると、どんどん上へ。遥か上空へと飛び上がっていった。
「なに、あいつ……逃げた……?」
ダンジョンの魔物を長く相手にしてきた彼女たちには、火吹き竜の動きの意味が一瞬わからなかった。
逃げるのとは少し違う気がする。上空に留まってぐるぐる旋回しているそれは、上からこの山全体を俯瞰して、周囲を見渡しているようにも見えた。
その目的を察知したエアリバドルは、叫んだ。
「……みんな急いで! 早く! 他のメンバーを狙うつもりよ! チェストヒュー、ぼんやりしないで! 『暗黒』おねがい!」
この6人組は防御が硬い、と判断し、標的を変えようとしたのだ。
チェストヒューは、両手の拳を口の前で固め、『吹き矢印』を作った。
『暗黒』とは、相手を視界ゼロの『暗闇』状態へとかえる、ステータス異常を引き起こすための獣人の呪術である。
「し、知らないからね、どうなっても、知らないから!」
だが、その標的は彼女たちの敵であるはずの火吹き竜ではなかった。
そのとき、チェストヒューの狙いは上空の火吹き竜よりも下方、明らかに地面の方を向いていたのだ。
「――や、――、お前のまなこは昏い、月の隠るるを待たずして、暗闇に閉ざされる!」
獣の咆哮じみた呪文が轟き、そして――。
びちゃっ!
墨汁をたっぷりふくんだ筆が走ったような音とともに、真っ黒な一文字の線が、エアリバドルの両目をふさぐように宙に描かれた。
「う……あ……ああ……!」
漆黒のその線は底知れぬ闇をたたえ、もうもうと暗黒の霧を立ち昇らせる。
その呪文は過たず、エアリドバルの両目を暗闇に閉ざしたのだった。
次の瞬間。エアリバドルは、とても人間の形をしたものとは思えぬ疾走を見せた。
地を這うような低姿勢で火吹き竜の真下まで駆けてゆくと、すさまじい跳躍力で遥か上空の赤い翼めがけてジャンプした。
両目から噴き出す暗いもやが、どろどろと背後に吹き流れていく。
上空の火吹き竜も飛んでくる謎の砲弾に気付いたか、接近を意識した飛行へと切り替わった。
翼を帆のように膨らませ、風を受けることで体勢を微調整し、口に炎の塊をくわえ、いまにも放たんとした。そのとき。
「月よ月、お前は15夜を前にして曇天に覆われ、その光は新月にも悖る!」
チェストヒューの呪術により、天候が操作された。
今度は、すさまじい速度で分厚い雲が月明りを隠していく。
一瞬、そこは真の暗闇に陥った。獣たちの目にも光が一切届かない。
ただ、上空の火吹き竜がくわえた炎の球だけが煌々と明かりを放っていた。
そして――その明かりは、ふっと掻き消えた。
「――みんな、逃げて」
チェストヒューは暗闇を見つめながら、いつでも吹き矢印を結べるよう、両手の指を軽くまげていた。
ほとんど絶望に染まった声で、彼女は言った。
「あとは、私とあの子でなんとかなる……たぶん」




