呪いの少女と千年勇者
その日は風の強い日だった。
洋館の窓がバタバタと音を立てて、もとの幽霊屋敷の不気味さをかもしだしていた。
こっそり部屋の様子を覗いてみると、発情期真っ最中のプレシヴェルルはどこで買ったのかピンクの透けるようなネグリジェに身を包み、2本ある長い尻尾をふりふり、ベッドメイキングをしていた。どうやらそこを愛の巣と定めたらしい。
キングサイズのベッドにでっかいハートマークをあしらった枕を2つ並べている。あれは俺が作らせたYES、NO枕だが、英語が読めないのかNOの面を向けていた。それが逆さまになって「ON」になり、図らずも意味は通じた。
実はこの4日間、俺はプレシヴェルルから逃げるために色々と指令を出していた。男女の営みに必須なあれを買ってこいだの、あれを作れだのといった指令である。
指令はすべて手紙に書いておき、その手紙をプレシヴェルルが見つけていく、といったゲーム方式でのやり取りになっていた。下手に接触すると何がおこるか分かったものではない。
プレシヴェルルは今しがた『今回でいよいよ最後だ』と銘打った指令を終え、嬉しそうだった。四六時中にまにまと笑って、ときおりふふふ、と笑みを深め、そわそわ肩を揺らして、頬を染めるのだ。クマのぬいぐるみみたいだった。
「ますたー、じゅんびできましたー、どこぉ~?」
そして俺を呼ぶ声も、どこか楽しそうだった。
すまんがプレシヴェルル、俺にはお前の愛の暴走を受け止めることはできそうにない。俺にはその愛を受け止める器がないんだ……。
俺は窓からの狙撃を恐れ、なるべく窓のない部屋を選んで、じっと息をひそめていた。
そしてプレシヴェルルが洋館内をてくてく歩いてくる気配がしてくると、窓枠の下を低姿勢で移動し、部屋から部屋へと渡り歩いた。
獣人の高位神官に名前を知られると、魂を操られてしまうという。
しかし、チート級獣人を何人も知っている俺に言わせれば、名前を知らなければ魂を操ることが出来ないような神官はただのモグリだ。
その気になれば連中は相手の名前なんか知らなくても魂を操る秘技を持っている事を俺は知っている。
あいつは俺の事をますたーとしか呼ばないが、プレシヴェルルに捕まったら、たぶん俺はそこで終わりだ。
プレシヴェルルの圧倒的な魔力を体に流し込まれた俺は、魂を操られて彼女の望むままに、俺の望まぬままに、動いてしまうことだろう。プレシヴェルルの小さな体をお姫様抱っこなんかして、あのキングサイズのベッドへと向かう。そしてちょうどベッドの傍にある窓に差し掛かったところを狙い撃ちされ、飛んできた1ダースの矢に貫かれる。ジ・エンドだ。
他にも警戒すべき獣人の呪術は山ほどある。
俺は万が一捕まったときにも、プレシヴェルルの呪術に魔法で反撃できるよう、タブレットの電源を常時入れっぱなしにしていた。
現在の残りMPは14となっていた。
長くてもあと2週間。俺がこの世界にいられる限界の時間である。
「ますたー、まーすーたー、わたしのー、くまさんになってー、くまますたー、くままじぇすてぃー」
俺を探し求める声から逃げつつ、すばやく更衣室へともぐりこんだ。
窓は一切なく、クローゼットやタンスばかりが並ぶこの部屋は、奴隷たちが装備を着替えるための部屋でもあった。
普段は男子禁制だったが、この際そんなことは言っていられない。
声が遠ざかっていくのに聞き耳を立てながら、俺はタブレットで現在時刻を確認した。
夜の20時。太陽はとっくの昔に沈んでいる。
予定ではそろそろ帰ってきてもいい頃合いだった。
フィールド探索はダンジョン探索とは違い、足元が常時クリスタルの明かりに照らされている訳ではない。
夜になると、夜目の効く獣の時間帯となる。
彼女たち獣人も夜の闇に乗じた方が狩りをしやすかったりするので、この前遠征にいったとき、調子に乗って朝方まで狩りを続けて、午前様になったということもあった。
だが、妙に落ち着かなかった。不安だった。
今回狩る対象とは違うものの、オリュンポス山には火吹き竜も出現する……らしい。
火吹き竜は凄まじい強さで、Aクラス探索者が束になってようやく倒すもの……らしい。
そして俺の不安というものは、往々にしてよく的中してしまうものだった。なんせ、勇者だからな。
プレシヴェルルの元気な声は、次第に遠ざかっていった。
ぼんやりタブレットで現在時刻を眺めていると、俺の背後で、クローゼットの扉が音もなく開く気配がした。
その程度の空気の流れ、何者かの気配を感じ取れない俺ではない。
しかし、そのとき俺は油断しきっていた。
なんせ、相手に殺意がまったく感じられなかったからだ。
俺の存在にまったく気づいていない泥棒か、あるいは、ようやく帰還してきた奴隷の誰かが、俺に気取られないようにこっそり着替えを取ろうとしているのか。
どのみち、急に振り返って騒ぎを起こせば、プレシヴェルルに気付かれてしまう。気付かないふりをするのが賢明だろう、そんな程度に考えていた。
だが、俺はすっかり忘れていた。
彼女たちはプロの狩人だ。
殺意を消すことなど、お手の物だという事を。
「まーすたーっ♡」
俺の背後にぴったりと抱き付いてきたのは、服のお化けになったちっこい獣人だった。俺にしがみついて、ぷんぷん、と尻尾をふっている。
どうやら、クローゼットの中に潜んでいたらしい。
他の奴隷たちの衣服が手足に絡みついているが、2本の長い尻尾。どう見てもそれはプレシヴェルルだった。
「なっ……! なにっ……!」
完全に虚を突かれ、俺は唖然とした。
先ほどまで俺の名前を呼んでいた声の主は、いったいなんだったのか。
やがてそいつは、とててて、と足音を立てて、こちらへ向かってきていた。
ドアを開いて現れたのは、なんと身長35センチ、胸につけられたリボンに28と刺繍された、クマのぬいぐるみだったのだ。
クマたん28号ッ……!
やられたッ……!
プレシヴェルルは、俺の背中にしなだれかかってきた。
そしてやたらと妖艶な秋波を送ってくるさまは、まさに発情期まっただなかのメス猫だったのだ。
「ますたー、わたし、ねらったえものは、ぜーったい、のがさないですよ?」
恐ろしく意味深な事をいいながら、耳に熱い息をふきかけてくるプレシヴェルル。
耳を軽くかじられた。痛い。人間はそこ肌が露出してるんだから、獣と同じ力で噛んじゃダメだ。
獣人のあの秘術は、密着状態から放たれる。
いちど獣人に捕まればすべてが終わる。近接戦最強の魔法体系、それが水魔法だ。
タブレットを握りしめる俺の指が震えた。
まだだ。まだ、シールドを発動するタイミングを、見極めなければならない。
獣人の水魔法は魔法Ⅱ、相手に魔力を飛ばし、対象の内部で魔法を発現させる魔法体系だ。
よくゲームなんかで見る投擲魔法とは違い、強い魔力によって相殺されてしまう。相手の体内で血を沸騰させる、なんてことも可能ではあるが、それは魔力を飛ばすという性質上、本来ならば魔力をもった生物にはとても効きづらいものだ。
ゆえに、簡単な魔力のシールドでもはっていれば、術者に跳ね返すことができる。日本では『呪い返し』とも呼ばれている方法だ。だが、シールドをはるには魔力制御が必要となるため、消費MPがやや高めである。
水魔法の消費MP2に対して、シールドの天魔法は消費MP7だ。
呪いをかけるプレシヴェルルの方が圧倒的に有利だ。焦って早く使いすぎると、いざ彼女と競り合いになったときに、下手をするとこっちのMPが先に尽きる恐れがある。使うタイミングは見極めなければならなかった。
こちらがシールドをはるのは、相手が魔法を使う瞬間。
その時までは、何をされても耐えるんだ。
そう、何をされても。
俺は、そう固く決意した。
だが、そんな俺の決意を揺るがす音が、すぐ耳元で鳴り響いた。
ぶぶぶぶぶ……。
恐るべきプレッシャーを感じて、そちらにぎょっと目を向けた。
なんと、プレシヴェルルはピンク色のちょっと口では形容しがたい形状のアイテムを握りしめていた!
しかも、それは目にもとまらぬ高速で波打つような反復運動を繰り返している! つまりはモーターで振動しているのである!
ちなみに、古典魔法道具にもモーターに相当するアイテムは存在する……。
古典魔法道具のそれは正確にはイットリオ機関と呼ばれるもので、魔力を活性させる光の石と、魔力を吸収する闇の石、2種類の石を棒の両端にくっつけたタケコプターのような構造と、分解によって制御可能な魔法陣とによって構成されている。
この魔法陣には使用環境やモーターの大きさによって様々な種類があるが、とにかく発動することで光の石が反対側を向くトルクを生み出す、という仕組みを持っている。
これはもともと棒が回転することで2種類の対極にある魔法陣のオンオフを切り替え、2つの魔法を同時に駆動させる二価魔法システムを可能にするという画期的な発明だったのだが……。
よもや、こんな大人のおもちゃに使われることになるとは、発明家も夢にも思わなかっただろう……!
「ぷ、ぷ……プレシヴェルル……なに、それ……俺、そんなの買ってこいなんて指令、だしてないぞ……!」
「ますたー、けど、このこ、ますたーのこと、すきすきって、いってますよ? ますたーの、どれーにしてほしーって、いってますよ?」
「言っていない、言っていない、たとえ言っているとしてもそいつはたぶん心の中で俺を奴隷にするつもりだぞ」
プレシヴェルルは、名状しがたい形状のアイテムを俺の頬にぐりぐり押し付けてくる。振動で俺の歯がガチガチ鳴った。
逆じゃね? と思った。ふつう逆だろ。主人の俺が奴隷を追い込むもんだろ。
なんで奴隷に俺が追い込まれているの?
「服や服、お前はあざなえる縄によって紡がれし者、ときおり縄の心を思い出す」
プレシヴェルルの唇が動き、ひそひそ、と囁くような言葉が紡がれた。
……かと思うと、彼女の身体に絡みついていたブラウスやズボンがうぞうぞと意思を持ったように動きはじめ、俺の手足を頑丈にしばりはじめた。
服は無生物とはいえ、『吹き矢印』さえ結ばずに、この強制力。
発情期でプレシヴェルルの魔力が暴走している。しかも、とんでもなくヤバい方向に!
「ますたー、もーすぐ、みんなが、もどってきちゃいますね」
「お前……いままでわざと力を隠していたな?」
「そう、わたしとますたーが、なかよくなっていくところ、みんなにみてもらおーと、おもってたです。んふふ」
ぎしぎし、と俺の手足を緊縛する衣服。そして、動きを封じられた俺の背中に全体重を預けるようにのっかってくるプレシヴェルル。まるでクマのぬいぐるみに少女がのっかかるように遠慮がない。
衣服によって縛られたぐらいで動けなくなる俺ではない。服の1着や2着、乱暴に引きちぎって逃げる事は可能だ。
だが、その瞬間にプレシヴェルルの呪術が放たれることは必至だろう。更衣室の出口にはクマたん28号がいて、俺の行く手を遮っている。裏手の出口は一見がら空きだが、恐らくそれは罠だ。手薄に見せかけておいて、たぶん外に29号と30号が待ち構えているはずだ。
プレシヴェルルも獣人、プロの狩人。その俊敏性は並みの魔法使いの比ではない。
俺も少々本気を出さなければ、このフォーメーションから逃れるのは厄介なはず。
「ねぇ、ますたー、ますたーは、わたしのくまさんに、なってくれるっていいました」
「言ったな」
「あのとき……すっごく、うれしかったです。うれしくって、ないちゃいました」
「そうかい、俺も今ごろになって泣きそうだ」
「ますたー、だいすきです。けど、これからは、わたしのこと、ますたーって、よんでもいいですよ?」
反逆する気か。ようし、受けてたってやろうじゃないの?
名状しがたい大人のおもちゃの振動が、俺の肩から背中へとじょじょに移動してゆく。
来る。
いよいよだ。
俺がタブレットを握る指先に力を込めた、そのときだった。
どかん、とドアが開いて、誰かが更衣室に入ってきた。
それは、狩人ギルドの奴隷の1人だった。
彼女は足元のクマたん28号に蹴つまずいて、盛大に転んだ。
俺もプレシヴェルルも、呆然とその様子を見ていた。
とくにプレシヴェルルには、彼女が全身から流している血のにおいが鼻についただろう。
ひと目で重傷だとわかった。
鎧ごと巨大な刃で切り裂かれたような裂傷に加え、手足にはナイフで抉ったような傷、くわえてその周辺には火傷も負っていた。
「た……たす……けて……」
ガタガタ震えながら、彼女は俺に訴えた。
プレシヴェルルも震えていた。
プロの狩人になれば、敵の姿は、負わせた怪我から推察できるものだ。
「プレシヴェルル、何が出たかわかるのか?」
「………………」
俺の質問に、どちらも口をつぐんでしまった。
やれやれ、何が出たとしても、ここは勇者さまの出番だな。
俺は衣服の戒めを引きちぎると、そのまま立ち上がった。




