seed.3【焦げた伝承と、至高の酵泥】
――「創世」の宣言から、数時間後。
半壊した玉座の間に置かれた巨大な机を、魔王軍の幹部たちが神妙な面持ちで囲んでいた。
机の上に広げられているのは、戦火で半ば焦げた人間どもの古文書――『農耕の心得』。
ルシフェルは腕を組み、深々とした眼光でその焦げたページを見つめる。
「……で、ヴァルナスよ。我輩たちは具体的に何をすべきなのだ?」
「はっ、魔王様。この古文書を読み解きますに……作物を芽吹かせるには、ただの土では不十分。骨の粉末、および生物の【糞】を混ぜ合わせ、熟成させた土【酵泥】を作らねばならぬと書かれております」
「……骨と、……糞だと?」
ルシフェルがわずかに眉をひそめると、研究者ヴァルナスはモノクルを指で押し上げた。
「左様にございます! 人間も家畜も全滅した今、使うべきは荒野に転がる【野良モンスターの骨】……そして【アストラ殿の糞】にございます!」
「俺の……糞だと!?」
アストラが巨躯を揺らして身乗り出す。
「左様! 日頃から肉を喰らい尽くすアストラ殿の糞には、並の生物を遥かに凌駕する濃密な精気が凝縮されております! これこそが、我が国の畑を呼び醒ます最強の養分!」
それを聞いたアストラは、ガハハと大口を開けて胸を叩いた。
「おおおッ! 俺の糞が魔王様のお役に立つのか! 任せてくだされ魔王様、今日から毎日、極上の糞を山ほど提供してみせますぞ!!」
「……ふむ。アストラよ、その忠義(?)は頼もしいが……誇らしげに言う内容ではない」
ルシフェルは静かに頭を抱えた。
「さて、アストラよ。その意気で荒野の骨を砕き、お前の糞と混ぜ合わせよ」
「おう! 骨なんぞ俺の腕力で一粉砕よ――」
**ガキィィィィンッ!!!**
荒野から拾い集めた巨獣の頭蓋骨に、アストラが全力で斧を振り下ろした瞬間、甲高い金属音が響き渡った。
凄まじい反動で斧の刃が砕け散るが、骨には傷一つついていない。
「な、なにぃ!? 固ぇ! 鋼鉄より固えぞこの骨!」
「当たり前ですアストラ殿! 荒野の巨獣の骨は強大な魔導を帯びており、力任せの打撃など跳ね返します! その上……」
ヴァルナスが鼻を押さえながら叫ぶ。
「アストラ殿の糞は精気が強すぎる上、野生モンスターの死骸の毒気が混ざり、強烈な瘴気(悪臭)を放っております! このまま土に混ぜれば、作物は芽吹く前に腐り落ちますぞ!」
「ぐぬぬ……! 俺の糞が強すぎるというのか……!」
手詰まりとなり、頭を抱えるヴァルナスとアストラ。
そこへ、参謀ヘスペロスが冷ややかな視線をルシフェルへと向けた。
「……つまり。鋼鉄を超える骨を塵の如く細かく打ち砕き、かつ近衛隊長の糞に宿る毒気と悪臭のみを暗黒の炎で焼き尽くせる者は……」
静まり返る玉座の間。全員の視線が、ただ一人に集まる。
「……退け、不器用ども」
重々しい声とともに、ルシフェルがゆっくりと立ち上がった。
漆黒の外套をなびかせ、一歩踏み出すだけで周囲の空気が重圧で沈み込む。
「アストラ、お前の力はただの破砕。ヴァルナス、お前の知識はただの机上論。……見せてやる。万物を統御する『王の魔力』を」
ルシフェルは片手をかざし、目の前に積み上げられた「巨獣の骨」と「アストラの糞」を見下ろした。
(……絶大なる暗黒魔力を……極限まで抑え込み……。波長を物質の最小単位へと同調させる……)
かつて数々の都市を一瞬で灰に変えた極大魔法『アビス・フレア』。
その絶大な威力を、ルシフェルは脳の全神経を研ぎ澄ませ、毛筋ほどの微細な熱量へと制御する。
**シュワァァァァ……ッ!**
ルシフェルの指先から放たれた漆黒の微細な炎が、骨と糞を包み込む。
瞬時にして毒気と凄まじい悪臭だけが完璧に熱分解されて消え去り、鋼鉄の如き骨は、まるで絹のような美しい灰色の粉末へと変わっていく。
さらにルシフェルが手をかざすと、粉末と無臭化された糞が、寸分の狂いもない見事な匙加減で混ざり合い、黒々とした極上の『熟成酵泥』へと再構築された。
「な……なんという神業……! 悪臭と毒気のみを焼き払い、アストラ殿の糞を至高の養分へと昇華させておられる……!」
ヴァルナスが息を呑み、膝を震わせる。
完成した『酵泥』から漂うのは、嫌な悪臭ではなく、生命の息吹を感じさせる豊かな土の薫りであった。
ルシフェルは一切の汚れもない手足を静かに下ろし、冷酷で気品に満ちた表情のまま、平伏する部下たちを見下ろした。
「どれほど禍々しき糞や死骸とて、万物を構成する要素に過ぎん。完璧な統御をもって昇華させれば、新たな生命の基盤となる。……これぞ、我輩の掲げた『創世』の第一歩よ」
風が吹き抜け、ルシフェルの漆黒の髪を揺らす。
あまりの神々しさと圧倒的な威厳に、アストラも、ヴァルナスも、ヘスペロスすらも平伏し、頭を垂れた。
「おお……! 俺の糞が……俺の糞がこんなに輝いてやがる……! 感動したぞ魔王様ーッ!」
「魔王様! この死んだ地に生命を吹き込めるのは……あなた様しかおられません!」
絶賛する部下たちを前に、ルシフェルは腕を組み、冷ややかな視線を遥か彼方の荒野へと向けた。
(……ふっ。見事な手際だ我輩。……だが、待てよ?)
微動だにせず王の尊厳を保ったまま、ルシフェルは心の中だけで、すっと冷静になった。
(我輩は今……世界を滅ぼした至高の魔力を総動員して……アストラの糞を捏ね回していたのではないか……? なぜ我輩が一番この作業に向いているのだ……?)
ポーカーフェイスを1ミリも崩さぬまま、ルシフェルの背中に、静かに冷や汗が伝うのだった。




