seed.2【世界征服の翌朝は、すこぶる寒い】
ピュー……。
頬を撫でる冷たい風の感触に、魔王ルシフェルはゆっくりと薄目を開けた。
「……んぬ?」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた玉座の間の豪華な天井――ではなく、雲ひとつない快晴の青空だった。
豪快に破砕された瓦礫の隙間から、容赦なく朝の冷気が吹き込んでくる。
「……寒くないか?」
「おはようございます、魔王様。寒くて当然でございます。昨夜、自らの極大魔法で城の屋根と壁を半壊させたのは他ならぬ魔王様なのですから」
音もなく傍らに立っていた参謀ヘスペロスが、モノクルを指で押し上げながら冷静に言った。
「ぬう……そうであったな」
ルシフェルは体を起こし、崩れた壁の亀裂から外を見渡した。
そこに広がるのは、見渡す限りの赤焦げた大地。
草一本、木一本生えていない。かつて立ち並んでいた人間の街も、青々としていた畑も、すべてが彼の一撃によって巨大なクレーターと化した。
人類は滅びた。
世界は我が手中に収まった。
「……で、ヘスペロスよ」
「なんでございましょう」
「我輩たちは、これからどうすれば良いのだ?」
ルシフェルが腕を組みながら真顔で問うと、ヘスペロスは深々とため息をついた。
「それがまさに、今朝から私が頭を悩ませている問題でございます。支配すべき人間も、税を納める民も、我らにひれ伏す国も……全て灰となりました。残されたのは、崩れかけた城と、腹を空かせた部下たち、そしてこの何もなくなった死の荒野のみ」
沈黙が流れる。
「……我輩、何もすることがなくなったのか?」
「左様でございます」
「大変ですぞ魔王様ぁぁぁーーーっ!!」
重苦しい空気を破り、大声とともに瓦礫を跳ね飛ばして現れたのは近衛隊長のアストラだった。
「お前は朝から騒々しいな、アストラ。何事だ」
「城の外に、生き残った兵や魔物たちが何千と押し寄せてきております! 『人間がいなくなったなら、今日から俺たちは何を目標に生きていけばいいんだ!』とパニックになっておりますぞ!」
「あー……」
ルシフェルは頭を抱えた。
長年「人類滅亡」をスローガンに掲げてきた魔王軍である。目的を果たしてしまった今、軍全体のモチベーションは完全に底をついていた。
「ひ、ひどい……ひどすぎます魔王様ぁぁぁッ!!」
その時、玉座の間の崩れた扉から、頭に大きな鳥の羽を生やしたフクロウ顔の男が、大量の焦げたカバンを抱えて泣き叫びながら転がり込んできた。
「ぬ? お前は確か……魔導書庫の管理者、ヴァルナスか」
「左様にございます! 魔王様、なんということを……なんということをしてくれたのですか!」
ヴァルナスは地面に膝をつき、落涙した。
「私が長年、密かに観察し、収集してきた人間の歴史! 文化! 建築技術! それらが昨夜の『アビス・フレア』一発で、跡形もなく消滅してしまったのですぞ! 私の研究対象(人間)を返してください!」
「うるさいぞヴァルナス! 魔王様に向かってなんという口を!」
アストラが怒鳴りつけるが、ルシフェルは苦笑いしながら手で制した。
「まあ待てアストラ。……ヴァルナスよ、お前が筋金入りの『人間オタク』なのは知っておる。だが、滅んでしまったものは仕方なかろう」
「仕方ないで済まされたら研究者は破滅です! ……ですが!」
ヴァルナスはバッと顔を上げ、抱えていたカバンの中から一冊の黒焦げた厚い本と、小さな布袋を取り出した。
「崩壊した人間の街の地下保管庫から、ギリギリ焼き残っていたこれらを回収してまいりました! 人間の文字で書かれた『農耕と土壌の知識』という書物と、乾燥に強い作物の種子です!」
「なに? 人間の本だと?」
ヘスペロスが興味深そうに目を細める。
「ヴァルナスよ、お前は人間の言語が読めるのだったな?」
「勿論です! 敵を知るためと称して、彼らの言語も農業技術も完璧にマスターしております! そしてこの本には……何もなくなった土地を再生させ、作物を実らせる『開拓の術』が書かれているのです!」
ヴァルナスは本を叩きながら熱弁を振るった。
「見てください魔王様! 本によると『カチカチに固まった荒地は、まず力自慢が深く耕し、水を通し、肥料を混ぜて土を育てるべし』とあります!」
「ほう……肥料とはなんだ?」
アストラが首をかしげると、ヴァルナスはフッとメガネ(モノクル)を光らせた。
「落ち葉や雑草、そして我ら魔物たちの『糞』を混ぜ合わせて発酵させたものです」
「……ぬ?」
ルシフェルは嫌な予感がして一歩引いた。
「待てヴァルナス。つまり……ワガハイに糞をこねくり回せと言うのか!?」
「魔王様ご自身がやる必要はありませんが、指揮はしていただきます! 人間が消え、食べ物も家もなくなった今、我らがこの星で生き残る方法はただひとつ……この死んだ大地を自分たちの手で開拓し、新たな魔物の国を創ることです!」
ヴァルナスの熱意に、玉座の間が静まり返る。
参謀ヘスペロスが、静かに一歩前に出た。
「……ふむ。一理ありますな、魔王様」
「ヘスペロスまで!?」
「我らは破壊しか知らぬ種族でした。しかし、破壊し尽くした後に残ったこの無の世界で生きていくには……創造するしかありません。路頭に迷う部下たちに新たな目標を与えるという意味でも、悪くない選択かと」
「おぉぉ! つまり『創世』ですな!」
アストラが極太の腕を組み、感極まったように頷いた。
「破壊の魔王が、今度は世界を創る側になる……! カッコいいですぞ魔王様! 自分、いくらでも土を掘りますぞ!」
「アストラ、お前は調子が良すぎるぞ……」
ルシフェルは頭を痛めながらも、チラリと外の荒野を見つめた。
雲ひとつない空。見渡す限りの赤い土。
確かに、ただ呆然と餓死を待つよりは、土でも耕していた方がマシかもしれない。
「……フッ」
ルシフェルは口元に不敵な笑みを浮かべ、ガバッと黒いマントを翻した。
「良いだろう! 人類を滅ぼした我が魔王軍、次なる敵は――この『死んだ大地』だ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
「全軍に命じよ! 武器を鍬とすきに持ち替え、荒野を耕すのだ! 破壊の果てに『創世』を成し遂げてこそ、真の覇者よ!」
こうして、世界を滅ぼした最強の魔王軍による、無謀で賑やかな「ゼロからの開拓生活」が幕を開けたのだった。




