seed.4 【黒き大地と、はじめの一歩】
完成した至高の肥料『酵泥』を前に、近衛隊長アストラが巨大な斧を構えて高らかに叫んだ。
「よし! この俺の特製酵泥を地に撒いたぞ! これで明日には肉の木が生えてくるんだな!?」
「アストラ、バカを言え。肉の木などあるはずがなかろう」
参謀ヘスペロスが冷酷な顔でメガネの縁を上げた。
「土とはただの泥だ。おそらく、この泥を炎でドロドロに溶かして固めれば、食べ物が自然発生するシステムなのだろう」
「なるほど! 溶かせばいいんだな!」
「……待て、愚か者ども」
腕を組み、静かに会話を聞いていた魔王ルシフェルは、深々と溜め息をつきそうになるのをポーカーフェイスで耐えた。
(……ダメだ。どっちも救いようのないバカだ……)
そこへ、古文書を抱えた研究者ヴァルナスが、モノクルを光らせてドヤ顔で割り込んできた。
「フッ……お戯れを! どちらも大間違いにございます!」
ヴァルナスは足元の地面を指で叩いた。カンカン、と磁器のような硬い音が響く。
「人類との戦いにより、この地の土壌は強力な魔術で焼き固められた【魔導岩盤】と化しております! 単に肥料を撒いたり溶かしたりするだけでは不十分! 作物が根を張るには、地中数尺の深さまで土を絹の如く解きほぐし、酵泥を寸分の狂いもなく均一に混ぜ合わせねばなりませぬ!」
「数尺の深さまで絹みたいに砕いて混ぜるだぁ!?」
アストラが目を見開く。
「そんなもん、我が軍の全兵士を集めて手で叩き割っても百年かかるぞ!」
「ふむ……」
ヘスペロスが静かに頷いた。
「魔導岩盤を塵の如き粒子に解きほぐし、寸分の狂いもなく酵泥を混和させる……。ヴァルナス殿の言葉が真実なら、我らには逆立ちしても不可能ですな。……魔王様、よろしくお願いいたします」
「……我輩に丸投げするな」
「……まあよい。下がっていろ」
重厚な声が荒野に響く。
ルシフェルがゆっくりと前に歩み出た。漆黒の外套が風にたなびき、その立ち姿には一切の隙がない。
「アストラよ、お前がやれば大地が砕けるだけで混和はならん。ヘスペロス、お前がやれば見当違いの魔法で地表が焼き上がるだけだ。……我が手本を、その目に焼き付けるがよい」
ルシフェルは両手を広げ、荒れ果てた漆黒の大地へと向かって静かにかざした。
(……破壊の波長ではない……。物質を結びつける魔導の結合を、解きほぐす微細な波動……!)
かつて数々の王国を崩壊させた極大魔導。
ルシフェルは全神経を集中させ、その絶大な力を「毛筋ほどの繊細な振動」へと極限まで抑え込み、大地へと伝播させる。
サクサクサクサクサク……ッ!!
奇跡が起きた。
ルシフェルが歩みを進めるごとに、足元のカチカチに固まっていた魔導岩盤が、まるで上質な絹の粉末のようにサラサラと解きほぐされていく。
さらに、ルシフェルが指先を滑らせると、アストラの糞と怪物の骨から作られた『酵泥』が舞い上がり、解きほぐされた黒土の中へと完璧な比率で溶け込んでいった。
「な……なんという精密さ……! 極大術式を微細な波動へ変換し、土壌を再構成しておられる……!」
ヴァルナスが息を呑み、震え上がる。
ルシフェルが一歩踏み出すたびに、縦横無尽に真っ直ぐな「美しい黒土の畝」が組み上がっていく。
寸分の歪みもない、完璧な幾何学模様を描く広大な畑が、瞬く間に城の前に誕生したのだった。
夕刻。荒野を染める赤金色の光の中、そこには見渡す限りの「黒々とした極上の畑」が広がっていた。
ルシフェルは指先の魔力を静かに収め、気品あふれる動作で外套の埃を払った。
「……ふむ。地中の毒気は去り、養分は均一に行き渡った。これにて、我が『創世』は完了だ」
その神々しい姿に、アストラも、ヘスペロスすらもその場に膝をつき、深く平伏した。
「おおお……! すげぇ! これで明日からは腹いっぱい食べ物が食えるんだな!」
「左様。土壌が完成した以上、明日には何らかの作物が勝手に芽吹いてくるはずですな。さすがは魔王様!」
至高の魔力を使い果たしたルシフェルも、ポーカーフェイスを保ちながら心の中で深く満足していた。
(……見事だ我輩。完璧な深耕と混和だ。これで我が魔王軍の食糧問題はすべて解決した……!)
絶賛の嵐の中、ヴァルナスだけがモノクルをキラーンと光らせ、首をかしげた。
「……あの、皆様? 先ほどから何を仰っているのですか?」
「ん? 何って、食い物の話だが?」とアストラ。
「土が完成したのですから、あとは収穫を待つのみでしょう」とヘスペロス。
ヴァルナスは深々と溜め息をつき、呆れ果てた顔で言い放った。
「お愚かな……! 土だけ作ったところで、何一つ生えてくるはずがなかろうでしょうが! 【種】ですよ! 植物の命の源である『種』を土に植えねば、何百年待とうと雑草一つ生えませぬぞ!」
「……た、種……だと!?」
静まり返る大地。
ルシフェルは微動だにせず王の尊厳を保っていたが、心の中では天地がひっくり返るほどの衝撃を受けていた。
(……な、なにぃぃぃぃッ!? 土を整えただけではダメなのか……!? 勝手に食べ物が湧いて出るわけではないのか……!?)
「た、種ってなんだ!? 土に埋める宝石か何かか!?」と騒ぎ出すアストラ。
「ふむ……土から勝手に湧くのではないとは、想定外のシステムですな」と今さら動揺するヘスペロス。
ヴァルナスは呆れつつも、古文書を開いて誇らしげに言った。
「ご安心召されよ! このようなこともあろうかと、古文書を解読してまいりました! 魔王様……かつて宝物庫の最深部に封印し、三百年温め続けた『黒の秘宝』をお出しください!」
「……あの、人間どもを全滅させるための古代兵器か?」
「いえ! あれこそが、かつて人間から奪いし古代の超高級……【種芋】にございます!」
――数分後。
宝物庫の強力な結界を解除し、恭しく運び出されたのは、カピカピに乾燥した小さな芋の袋だった。
「これを……切り分けて芽のある部分を土に埋めるのです!」
ヴァルナスの指導のもと、魔王軍の首脳陣は生まれて初めての「植え付け」を行った。
ルシフェルは、自身が完璧に作り上げた黒土の畝に、小さな種芋をそっと置き、優しく土を被せる。
(……これが、命の源……『種』か……)
土に覆われた種芋を見つめながら、ルシフェルは静かに息を吐いた。
まだ芽すら出ていない。だが、飢餓に喘いでいた魔王軍が、自らの手で「食べ物を作り出す」ための確かな第一歩が、今ここに踏み出されたのだ。
「……よし。これより我が魔王軍は、自給自足の時代へと突入する!」
「おおおーっ!!」
夕日に照らされる広大な畑で、勝ち鬨をあげる幹部たち。
ポーカーフェイスの裏で、「本当にこれで芽が出るのだろうか……」と一抹の不安と希望を抱く魔王ルシフェルの戦いは、始まったばかりであった。




