第4話 茶摘み
その1 乗合バスにて
ちょうどバスが通りかかった。手をあげると停まってくれた。
「はいはい。ありがとうよ」
礼を言いながら、孝枝はバスに乗り込んだ。
「バスはええなあ。どこでも乗せてくれる。汽車はこうはいかんわなあ」
孝枝は独りごちた。
孝枝がシートに座ったのを確認して、運転手はバスを発車させた。ほかに二人の乗客がいた。
「実家の茶摘みなんよ。終点で降ろしてな」
運転手に告げると、孝枝はリュックからミカンを出して、皮を剥き始めた。
過疎化はとどまるところを知らない。バスは減便に次ぐ減便により、朝昼夕がたの一日三便となった。便によっては乗客がゼロのこともある。
孝枝が若い頃、この路線は奥の秘境が始発だった。途中のバス停から乗車する者も多く、混む路線として知られた。それでも積み残すことなく、はち切れそうなほど乗客を乗せ、バスは未舗装の悪路をあえぎあえぎ走っていた。
秘境へ向かう街道と、四国を斜めに走る国道とがバイパスでつながったことにより、混雑は一挙に解消された。人の流れは一変し、途中の商店街は閑古鳥が鳴き始めた。孝枝が実家を出た年の出来事である。
五年前には商店街から先の路線は廃止された。あの混雑ぶりを知る世代には信じられないニュースだった。
その2 旧繁華街
バスが終点に着いた。
「ありがとう。これ、食べて」
孝枝はミカンを一個、運転手に手渡した。
「おばちゃん。帰りはどうするの」
「甥っこも茶摘みに来るけん、クルマに乗せてもらうわ」
孝枝は商店街のバス停に降り立った。
商店街は二つの川が合流したところにある。周囲の山々に集落が点在し、学校や郵便局、派出所などもあって沿線随一の賑わいを見せていた。
孝枝の卒業した学校はとっくに廃校になり、都会からの移住者がリニューアルして、飲食・宿泊業を営む。地元の店はすべて廃業している。
孝枝は橋を渡り、山道をたどり始めた。幼稚園から中学校までの一〇年間、通い続けた道だ。生家まで四〇分ほどかかった。
孝枝が生まれた頃、村には二一軒の家があった。全軒が農業と林業の兼業だった。学校に入学した頃、戦後の国土緑化運動が起き、村人はこぞって杉やヒノキの苗を植えた。これらの若木が順調に生育し始めるのと軌を一にして、村から働き手が都会に流出していった。
過疎化の進行と同時にもうひとつ大きな波が押し寄せていた。モータリゼーションである。日本中、隅々まで車道が整備された。孝枝の生まれた村でもクルマが乗り入れできるようになった。この道を利用して、村人は都会に出て行った。残った村人は苦笑いしつつ見送った。歴史のアイロニー(皮肉)である。
かくして、森林は手入れされることなく放置され、通学路は昼なお暗い。ところどころに大きな石が転がっているのは、イノシシが掘り返して転がしたものだ。
(恐ろしいわ)
山育ちの孝枝でも足がすくんだ。今どき、徒歩で村に向かう者はまずいない。姉と甥のクルマが来てくれれば、と孝枝は願った。
その3 話し上手
村に入ると、知り合いのおばあさんが畑仕事をしていた。
「元気だったで」
孝枝があいさつした。
「ご苦労さん。まあ、歩いて上がって来たんかいな。なんぞ用事でもできたん?」
おばあさんは変なことを言う。毎年、この時期になると茶摘みに帰っているではないか。
「うん。いつものあれよ。姉ちゃんらはまだかなあ」
おばあさんは何か口ごもっていた。
茶摘みや田植え、麦蒔きなどはそのタイミングが大事だ。時機を逸すると豊作は望めない。このため、農家では一斉に片付けてしまう共同作業が定着してきた。
田植えの日は村の何軒かから手伝いに出る。水を張った田んぼに村人が横一列に並び、リズミカルに苗を植えて進む。麦蒔きでは傾斜地のために下にずり落ちた土を掻きあげなければならない。やはり横一列になって、専用の鍬で土を上に寄せる。
茶摘みは腰に籠をつけ、茶畑に並ぶ。手は片時も休ませることなく、冗談を言い合って作業を進める。ふだん無口な分、誰もが多弁になる。
「となりの稔さんの面白い話が今日も聞けるかなあ」
孝枝の楽しみのひとつだった。
稔さんは復員軍人だった。目を負傷し、メガネをかけていた。片目は見えていなかった。稔さんは底抜けに明るく、まわりを和ませる不思議な魅力があった。
奥地から嫁いできた若奥さんの話をしたことがあった。
「学校じゃ(成績は)何番だったん?」
「二番」
「何人おったん?」
「三人」
稔さんはこれを巧みに語って、笑わせた。何度聞いても面白かった。稔さんはもう茶畑に来ているはずだった。孝枝は足を急がせた。
その4 母親の心労
茶畑のあった場所には大きな杉が繁っていた。茶畑の跡をうかがわせるものは何もなかった。
畑の上には孝枝の生家があった。母屋に納屋、倉庫、物置小屋などが建ち並ぶ、村有数の屋敷だった。婿養子に入った祖父が一代で遺したものだ。苦労人だった。
実家に近づこうとしても、あったはずの道がなかった。祖父が入植する以前の状態に戻っていた。
孝枝は振り返った。
眼下にはやはり杉林が広がっていた。枝が張り、稔さんの家をほとんど覆い尽くしていた。
「稔さんはこんなところで、よう生活しとるわ。不便やろなあ。同級生の智恵ちゃんはどうしとるやろ。学校でてから会ってないなあ」
智恵は保育士になり、関西で働いているとは聞いていた。
「智恵ちゃん、帰っても寝るところもないなあ。その時は、昔みたいにウチで泊まったらええわ」
孝枝は幼馴染みに語りかけた。
稔さんが出稼ぎに行って家を留守にしている時、台風が来ると智恵ちゃんたちは孝枝の家に避難した。楽しくて、夜遅くまで騒いでいて、孝枝の母親に叱られた。二人で布団をかぶり、クスクス笑い合っているうちに眠っていた。
家は村のいちばん奥にあった。村には雪も積もった。学校の帰りに吹雪になり、二人で手を繋いで帰っていた。よく見ると、降りしきる雪の中に、母親が優し気な笑顔で立っていた。迎えに出ていたのだ。
母親のことを思い出したのは、何年ぶりだろう。早くに夫を山の事故で亡くし、祖父母を助けて家を盛り上げた。野菜作り一筋、母親のつくったダイコンは村でも評判だった。ほとんど村から出ることなく、生涯を終えた人だった。
七〇を過ぎ、検診でがんが見つかった。手遅れだった。病気のことは知らされなくても、死期を悟っていたのだろう。
「孝枝に食べさせにゃ」
と、息を引き取る三日前にもダイコンを掘っていたらしい。
母親の葬式の日に、叔母が教えてくれた。
「独り身の孝ちゃんのこと、ずっと心配しとったんやで」
言われても、母親がそんな素振りを見せたことはなかった。
その5 初対面
誰かの声がしている。孝枝を呼ぶ声が次第に大きくなった。
「もう用事は済んだ? 雨が降りそうやから、ちょっと心配になってな」
おばあさんは傘を二本もっていた。空を見上げると、一面の黒雲だった。
「用事って。おばあちゃん、ウチは何もすることはない気楽な身や。みんな、忙しいのかなあ、どこかに出かけとる。近頃、稔さん、見かけんかった?」
おばあちゃんにちょっと間があった。
「稔さんな、智恵ちゃんとこ行っとるのよ。もう五年にもなるかなあ」
「そう。智恵ちゃん、孫でも生まれたのかなあ」
「さあさ、もう帰らんと。じいちゃんにバス停までクルマで送ってもらお」
小さなクルマは揺れた。運転手はしきりに話しかけてくる。馴れ馴れしい。頭が禿げてはいても、男と二人だけで狭いクルマに乗るのは抵抗があった。
「藤井のおばあちゃんの旦那さんはどうしとるの? 若い頃お世話になってなあ。男前やし、あんなええ人はおらんかった」
勇気を奮って、孝枝からも訊いた。
男はクルマを停め、まじまじと孝枝を見つめた。
「孝ちゃん。忘れた? ワシやで」
禿げあがった頭を撫で上げようとして、男は額に手をやった。一瞬、孝枝が密かに憧れていた顔を見たような気がした。
家まで送ろう、というのを断った。最終バスが停留所に待機していた。
「お帰り。雨が降らんでよかったなあ。みんな揃うて茶摘みしたん?」
運転手はまるで知り合いみたいな口を利いた。悪いことに、乗客は孝枝だけだった。
「おばちゃん、今朝のところで降りるん?」
運転手がうっとうしかった。ドッと疲れが出てきた。
孝枝はバスに乗っていることが苦痛になってきた。




