24.ウーラニアー村再び……④
聖騎士長のミシェルが見守る中、『新人冒険者』を名乗る『勇者パーティー』達に聖騎士イヴォリーネの罵倒とも言える厳しい声が響き渡る。
温厚で貞淑なイメージのある森風精族のイヴォリーネだったが、教官モードになると態度も表情も一変する。
「話し掛けられた時以外無駄な口を開くな!それと我への返事には前と後に『サー』と言え!判ったか!? 新人ども!!」
凛とした美しい声が、まるで氷の刃のようにマックス達の心臓を貫く。普段の優雅で上品な森風精族らしい話し方とは正反対の、軍隊式の厳格な口調だった。
「サー! イエッサー!」
マックス達の声が震えていた。ヨゼフィーネは恐怖で顔が青ざめ、コンラートとゲルハルトは必死に姿勢を正そうとしている。ナディアでさえ、いつもの超然とした態度を完全に封印し、震え声で応答していた。
「声が小さいっ! お前等の口はママのおっぱいを吸うためだけの物かっ!? 腹から声出せっ!」
イヴォリーネの翠色の瞳が、氷のように冷たく光った。森風精族特有の美しい容貌が、今は恐ろしい鬼教官の顔に変わっている。
「サー! イエッサー!!」
今度は全員が声を張り上げた。周囲の森の鳥たちが一斉に羽ばたき立つほどの大音量だった。
「お前等新入りどもが、これからの訓練に生き残れたら立派な『戦士』になる! 敵を冥界に叩き込む『告死の使い』だ! それ迄お前等はクソだ! この世で最も下等な生物だ! ネズミの糞をかき集めただけの存在だ! 判ったか!?」
イヴォリーネの声に込められた迫力に、マックス達は身体の芯まで震え上がった。聖騎士の威圧感が、まるで巨大な魔物の殺気のように彼らを押し潰そうとしている。
「サー! イエッサー!!」
一列に並び声を張り上げるマックス達の前をイヴォリーネは、何度も左右に歩き声を張り上げる。まさに鬼軍曹のようだ。
「我は厳しい! そこで生きて戦う術を掴み取れ! 我は厳しいが公平だ! 贔屓はしない! 人間族、亜人、魔物だって我は差別しない! 何故ならお前等は全て平等に価値がないからだ! 我の使命は精強な部隊を作り上げる事だ! 判ったか!? 新人ども!!」
――いや、違うわよ……リーネ……
新人冒険者相手に怒声を上げるイヴォリーネの様子に、ミシェルは端正な顔を引き攣らせた。それでも『勇者パーティー』は、全員起立して応えている。
「サー! イエッサー!!」
「手始めに30kmのランニングだ! ボーッとするな! 行けっ! 行け行け行けっ!!」
マックス達は一目散に駆け出した。コンラートが先頭に立ち、マックス、ゲルハルトが続く。ナディアは精人魚族らしい優雅さを完全に捨て、必失に足を動かしている。ヨゼフィーネは既に息を切らしながらも、遅れまいと懸命に走っていた。
「ほらほらどうした!? その程度か新人ども! 敵はもう背後に迫ってるぞ!」
イヴォリーネは彼等に並走しながら、容赦なく檄を飛ばす。そう、今朝の真の仇役は彼女ではない。
「え? リーネ、走るッスか? 走るのならアーシも走るにゃ!」
猫人族のミーティアがとびきりの笑みを浮かべる。その瞳は本当に狩りを楽しむ猫そのものだった。細身の身体に魔力が纏い、足取りはまるで遊歩のように軽やかだ。
「追いかけっこなら、お付き合いしますよ、皆さん」
アナスタシアは尻尾を揺らしながら前方に跳び出した。犬人族らしい無骨な力強さを見せつけ、地面を蹴る度に小石が飛ぶ。
ミーティアは素早く跳躍し、地を滑るように先回りしてはマックス達の正面に姿を現す。アナスタシアはその反対側から追い立て、挟み撃ちの形で隊列を乱す。
「きゃあっ!」
ヨゼフィーネが悲鳴にも似た声を上げ、目に涙をためて転げる。ナディアは喘ぎながらも必死に走り続ける。その様子にアナスタシアは眉間に皺を寄せつつも笑いを堪えている。
「や、やめてください! 本当に攻撃しないで!」
珍しくナディアが狼狽し、後ろを振り返るとミーティアがふわりと宙を舞って身体を翻す。まるでじゃれつく猫のような仕草で片手を伸ばし、ナディアの肩にふわっと触れる。
「にゃーん、今日はお仕置きッスよ、木材冒険者ちゃん」
「ひいいっ!」
ミーティアの声は甘いが、その動きは容赦ない。指先の先端に小さな魔弾が光り、地面をほんの一撫でして彼らの足を滑らせる。転倒する者、よろめく者が続出する。
「あら良い男! パクッて、頂いちゃおうかなぁ!」
一方でアナスタシアは勢いよく突進し、マックスの後ろから軽く肩に噛みつく真似をする。犬らしい荒っぽい愛情表現だが、噛みつきは寸でのところで止まり、怪我はない。
「うわああああ! 止めろ! マジで止めろって!」
だがその力加減にパニックになり、マックスは青褪めた。
コンラートは地を蹴ってダッシュを試みるが、ミーティアは足元に気まぐれな幻影を走らせ、彼の視界を欺く。コンラートはつまずいて転がり、土埃に顔を埋めたままもがく。
視界の端で、イヴォリーネが冷ややかにそれを見下ろしている。だが、その口元には微かに柔らかい笑みが滲んでいた。彼女はこの『追いかけっこ』の真意を知っている。追いつくのは力を、諦めない心を鍛えるためだ。
「諦めるのは負けること。負ける奴は命を落とす。魔物との戦いでは、泣こうが叫ぼうが容赦はない」
イヴォリーネの言葉は冷たい刃のようだが、どこか慈悲も含まれている。
やがて、列は小さな集落の端で折り返し、走者は更に疲弊する。30kmの道程は容赦なく、息はもはや言葉を紡げない。足は血が滲むように痛み始め、靴の中で石が踊る。
「あとちょっとッス! アーシが捕まえたら、飼い猫と同じ扱いにしてあげるのにゃ!」
ミーティアが嬉々として宣言すると、アナスタシアは尖った耳をぴくりと動かし、遠吠えのような咆哮を上げる。
攻防が交互に続きながらも、とうとうマックス達は完走し、膝をついて地面にへたり込んだ。コンラートは、汗が止まらずで顔は泥まみれだ。ゲルハルトはその隣で大きく息を吐き、笑いながらも目には勝利の誇りが宿る。
「フッ! これが、本当の追いかけられている感覚か……」
マックスは小さく笑った。息も荒く大きく喘ぎながらも、自嘲のように笑い声が漏れる。ミーティアは素早く木から飛び降り、マックスの肩にまるで頭を押し付けるようにして座った。猫が獲物を捕まえたときの満足気な仕草だ。
「にゃん、じゃあご褒美だよ?」
アナスタシアはマックスの背中を軽く押し、犬人族特有の愛嬌で彼を撫でる。
「よしよし、よく頑張ったのです。お前達なら、この先の訓練もやっていける」
涙目のマックスは、やっと笑みを作ることができた。身体は限界だが、心のどこかで確かな成長を感じ取ってはいた。
「だが、こんなものはウォームアップに過ぎん! 次は魔力を纏っての体力強化運動!」
イヴォリーネの声に、マックス達は顔面蒼白となり、そして絶句した。
もはや訓練というより虐待という表現の方が近い。それでも、自らの命を懸けて行動するのが戦場であるならば、どんな甘えも許されない。
甘えた者に待っているのは、死だからだ。イヴォリーネは、その事を数多くの戦いで、身を以て味わっている。普通の市民を一端の冒険者にするという事は『彼等の日常』をまず叩き壊さなければならない。
彼等の訓練は日没まで続き、そして彼等は宿舎で泥のように眠る事になったのは言うまでもなかった。




