27.消えゆく村……⑤
翌々日の朝。
最初に気づいたのは、朝一番に畑へ出た老人だった。
作物が、荒らされていた。丁寧に育てた野菜が根こそぎ引き抜かれ、あちこちに散らばっている。土が掘り返され、小さな……しかし明らかに人間族のものではない……足跡が残っていた。
「小鬼だ……!」
小鬼は普段、深い森の中にしか現れない。
しかし今回は違った。村の外れに現れ、食料を漁り、物を壊し、家畜小屋を覗き込んでいた。追い払っても、しばらくするとまた戻ってくる。人の集落に迷い込んだ獣のように、好奇心と食欲の赴くままに動き回り、群れで行動するためにマックス達冒険者や村の男達が駆除するが、すぐ別の場所から現れた。
こうした日々が続き、村の中が、じわじわと疲弊していく。見かねた村長は村人達を集め緊急の寄り合いを開いた。人間族、森風精族……そして数少ない獣人族までもが一堂に会している。
普段は人里に近寄らない魔物が、森の縁まで溢れ出してきたのだ。そこへ小鬼の村内出没が追い打ちをかけた。広場に村人達が集まり、口々に被害を訴える。
「こんなこと、今まで一度もなかった……」
白髪交じりの髭を震わせながら、村長のモナハンは言った。
その皺深い顔に、困惑と恐怖が入り混じっていた。広場のあちこちで、村人達が顔を見合わせていた。何かを言いかけて、口を閉じる者がいた。子供の手を引き寄せ、身を縮める母親がいた。
誰もが薄々感じていた。この異変が、ただの魔物の気紛れではないと。しかし、それを口にする勇気を持つ者は、まだ誰もいなかった。
しかし、その傍らで息子のジョアンの目には、怨嗟の光が宿っていた。
広場の視線は、マックス達へ向かっていた。村長へ向かっていた。戦乙女軍団へ向かっていた。
ところが誰一人、ジョアンを見ていない。
――俺は、村長の後継者として村から感謝されたいんだ。
ただ、それだけだ!
なのに……
彼は、椅子を蹴って立ち上がった。
「お前達が来てから、この村はおかしくなったんだ!」
考えるより先に、声が出ていた。
それでも誰も応えようとはしない。困惑した視線を向けるだけだ。
それがまた、堪えた。そしてジョアンはとうとう込み上げる感情を『余所者の排斥』という形に変えていた。
「だから責任もって一匹残らず殲滅しろ! 俺達がどれだけ苦労してると思ってんだ!」
吐き捨てるような言葉に、広場の空気がわずかに軋んだ。
「毎晩眠れやしねぇ、畑も荒らされる。俺達がどれだけ我慢してると思ってんだ! この村を守ってきたのは俺達村人だぞ! 代々な! お前達みたいな流れ者とは、そもそも立場が違う!」
誰かが小さく息を吐いた。老人の一人が、静かに目を伏せた。それでもジョアンは続けた。止まれなかった。老人達は視線を落とし、子供達の笑い声もいつの間にか消えている。広場の片隅で、幼い子が母の裾をぎゅっと握った。母はその手を握り返しながら、ただ俯いた。
マックスは動かなかった。
ゲルハルトの顎に力が入り、拳が膝の上でわずかに白くなった。ナディアの目が細くなる。それでも誰も口を開かない。
ジョアンにはそれが、自分への賛同に見えたかもしれない。彼はさらに声を張り上げた。
「この村に住まわせてやってるんだ! 飯も食わせてやってる! それが当然だと思ってるなら大間違いだぞ! 少しは役に立って見せろ!」
「何だと……?」
マックスの仲間であるゲルハルトが怒気を孕んで身を乗り出した。その威圧に押されながらもジョアンは言い放った。
「俺達の村に勝手に住んでいるんだろう? 働かない奴等に食わせる飯はねぇ!」
「今も魔物退治してるのは俺達だろ?」
「はぁ? テメーらが勝手にやってる事だろう! 誰も頼んでねぇし!」
自分が数秒前に「殲滅しろ」と怒鳴ったことを、ジョアンはもう忘れていた。
腹が立てば怒鳴り、怒鳴れば気が済む。それが当然だと思って育ってきた。村長の息子として何不自由なく育ったこの若者には、自分の言葉が誰かの胸に刺さるという想像が、そもそも備わっていなかった。
しかし、その言葉が落ちた瞬間、マックスの目が初めてジョアンに向いた。
何も言わなかった。怒鳴りもしなかった。ただ、静かに見ていた。
その静けさが、怒号よりも重かった。
「貴様っ……」
その時、いきり立つゲルハルトの前に腕が伸びた。
マックスの腕だ。その腕は静かに仲間を制していた。
彼は、何も言わなかった。
確かに言い返すことは出来た。簡単だ。それにジョアン程度の男なら、力で屈服させることも出来ただろう。だが、それをした瞬間に、この村の均衡が崩れることを、直感的に理解していた。
マックスの視線は、ジョアンではなく広場の村人達へ向いていた。
怯えた顔、俯いた顔、それでも何かを訴えるような目。この村はまだ、壊れていない。壊してはならなかった。
ナディアが一歩、マックスの隣に寄る。その仕草は小さいが、確かに彼を支えていた。
やがて村長モナハンが、重い溜息と共に口を開く。
「やめんか。ここで言い争っても何も解決しない」
「だが、親父っ! ここでの立場ははっきりさせておいた方が良い! これは次期村長としての意見だ!」
その時だった。
広場の端から、一人の村人が若者の首根っこを抑えながら進み出た。
引き摺られている若者は、ジョアンの取り巻きの一人だった男だ。
しかし今、その顔には血の気がなく、膝が震えており、二人は広場の真ん中で、揃って地に膝をついた。
「村長!……申し訳ありません!」
震える声で、若者を力ずくで平伏させ、男が声を上げた。手に持っていた小さな鏡板を、地面に置く。
魔導具だった。映像を記録できる代物だ。沈黙が広場を覆った。
「何事だ?」
モナハンが立ち上がり、鏡板を拾い上げた。老いた指が操作すると、映像が浮かび上がる。夜の北の外れ。青白く光る精霊石。そしてジョアンが拳を振り下ろし、石が割れ、仲間が歓声を上げる……その一部始終が、音付きで映し出された。
広場の全員が、それを見ていた。
誰も、声を出さなかった。
「ジョアン……これは何だ?」
「し、知らねぇ……知らねぇぞ、こんなもん!」
「……お前の仕業だったのか?」
モナハンの声は、静かだった。静かすぎた。
「こんなの偽映像だ、こいつが勝手にでっち上げた……」
次の瞬間、拳が飛んだ。
ジョアンの顔面に、父の拳が叩き込まれた。乾いた音が響き、ジョアンはそのまま横へ崩れ、石畳に膝と手をついてようやく止まった。
広場が、一瞬にして凍りついた。
ジョアンはゆっくりと顔を上げた。口の端から血が滲んでいる。その目に、最初に浮かんだのは驚きだった。しかし次の瞬間、それは怒りに変わった。
「……親父、てめぇ!」
立ち上がって突進し、モナハンの胸倉に手を伸ばすと、拳を振り上げた。
だが、その腕は、宙で止まった。驚愕したジョアンの目に飛び込んできたのは、屈強な男の姿……ゲルハルトだ。
ジョアンの伸ばした腕を掴み、一切の容赦なく投げた。受身も取れずに背中から地面に叩きつけられたジョアンは、今度はすぐには起き上がれなかった。石畳の上で咳き込み、膝をつく。
「……っ!」
ゲルハルトは何も言わなかった。ただ、腕を組んで立っていた。
モナハンが、ゆっくりと息を吐いた。長い沈黙の後……彼は口を開いた。
父親ではなく村長として。




