26.消えゆく村……④
その夜、ジョアンは仲間を集めて酒を飲んでいた。
カレンのこと、マックスのこと、戦乙女軍団のこと——言葉にすれば陳腐になるそれらを、酒で押し流そうとしていた。しかし飲めば飲むほど、澱は底に溜まるばかりで消えなかった。
「ジョアン様、今日も冴えない顔してますね」
仲間の一人が軽口を叩いた。
「うっせー!」
「あの余所者のせいですか?」
「……ああ」
正直に答えていた。隠す気力も、もうなかった。
「ウィンディアとかいう戦乙女、あの女、俺達のことは見向きもしないくせに、余所者の娘にはえらく熱心に指図してましたね」
「見た」
「ありゃ、ムカつきますよねぇ」
仲間達が口々に言い始める。今日の鬱憤を、酒の勢いに乗せて吐き出していく。話が進むにつれ、言葉は少しずつ大きくなっていった。
「そもそもあいつらが来てから、この村おかしくなりましたよね」
「森の魔物だって、最近やたら縁まで出てきてるし」
「絶対あいつらのせいですって」
ジョアンは黙って杯を傾けていた。否定しなかった。
「なあ」
ふと、口を開いた。
「精霊石って実際のところ、どれくらい効果があると思う?」
仲間達が顔を見合わせた。それからニヤリとした者がいた。
「あれですか、北の外れにある光る石」
「迷信じゃね? どうせ。ただの岩っしょ」
「ジョアン様のパワーなら素手で割れるんじゃないですか?」
「そりゃヤバイですって、割ったら村長に怒られますよ〜」
笑い声が上がった。ジョアンは立ち上がった。
「行くぞ、お前達」
彼等が向かった先……ウーラニアー村の北の外れに、一抱えほどの石が鎮座している。
表面には古い文字が刻まれており、常に薄っすらと青白い光を放っていた。村の長老達は『精霊ユーミルとの契約の証』と呼び、代々大切に扱ってきた。
この石がある限り、森の魔物は一定の境界線を越えて村に入ってこない……そう言い伝えられてきた。
精霊石の前に立ったジョアンは、腕を組んでそれを眺めた。
「……たかが石じゃねぇか」
「やっちゃいます?」
「これはアツい展開ッスね!」
「やっちまえ! ジョアン様!」
仲間が囃し立てる。
――見てろよ
ジョアンは拳を握り、精霊石へ振り下ろした。
石は、思ったより脆かった。一撃で亀裂が入り、二撃目で大きく欠け、三撃目で真っ二つに割れた。青白い光がじわりと滲み、やがて消えた。
仲間達が口笛を鳴らし歓声を上げた。背中を叩かれ、囃し立てられる。仲間の一人が魔導具の鏡板を取り出し、割れた石の前で拳を突き上げるジョアンを映し始めた。
「最高じゃないですか、ジョアン様!」
「これ広めましょうよ、村中に!」
ジョアンは少しだけ、違和感を覚えた。しかし仲間達の熱気の中で、その感覚はすぐに押し流されていった。
◆◆◆◆
翌朝、アイドリアンは森の縁に立っていた。
日課だった。夜明けの空気を吸いながら、森の声を聞く。
鳥の鳴き声、葉擦れの音、獣の気配……森風精族として生まれた彼には、それが自然の挨拶のようなものだった。
しかし今朝は、静かすぎた。
鳥がいない。正確には、いないわけではない。しかし声が、いつもより遠い。森の奥の方へ、退いている。まるで何かを避けるように。
アイドリアンは耳を澄ました。風は普通だ。雨の気配もない。季節のせいでもない。
――何かが、ずれている……
言葉にはできなかった。論理でもなかった。ただ、長老達が『森の機嫌』と呼んでいたものが、今朝は明らかに違った。
彼は村の方へ振り返った。まだ朝靄の中で眠っているような集落を眺め、それからもう一度、森を見た。
何も起きていない。何も見えない。
それでも、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚が、一日中抜けなかった。
その夕方、レイモンドは往診の帰り道に足を止めた。
エクスムーア家の裏手にある家畜小屋の前だった。特に用があったわけではない。ただ、犬の声が気になった。
吠えているのではない。唸っている。低く、一定の方角に向かって。
小屋の中を覗くと、牛が落ち着かない様子で体を揺らしていた。餌は残っている。水もある。病の兆候は見当たらない。
――では何だ?
医師としての頭が、静かに答えを探す。感染症ではない。外傷もない。季節の変わり目でもある。しかし犬があの方角を向いている限り、原因は小屋の中にはない。
犬の視線の先は、北だった。森の縁の方角だった。
レイモンドは少しの間、そちらを眺めた。夕暮れの光の中で、木々の輪郭がゆっくりと暗くなっていく。何も見えない。何も聞こえない。
しかし何かが、引っかかった。
往診鞄を持ち直し、歩き出しながら、彼はその感覚を静かに胸の奥に仕舞った。今はまだ、『役割』として動くべき案件かどうか、測りかねていた。
翌々日の朝。
最初に気づいたのは、朝一番に畑へ出た老人だった。
作物が、荒らされていた。丁寧に育てた野菜が根こそぎ引き抜かれ、あちこちに散らばっている。土が掘り返され、小さな——人のものではない足跡が残っていた。
「小鬼だ……!」
小鬼は普段、深い森の中にしか現れない。しかし今回は違った。村の外れに現れ、食料を漁り、物を壊し、家畜小屋を覗き込んでいた。追い払っても、しばらくするとまた戻ってくる。人の集落に迷い込んだ獣のように、好奇心と食欲の赴くままに動き回り、群れで行動するためにマックス達が駆除するが、すぐ別の場所から現れた。
村の中が、じわじわと疲弊していった。
緊急の寄り合いが開かれた。
普段は人里に近寄らない魔物が、森の縁まで溢れ出してきたのだ。そこへ小鬼の村内出没が追い打ちをかけた。広場に村人達が集まり、口々に被害を訴える。
「こんなこと、今まで一度もなかった……」
白髪交じりの髭を震わせながら、村長のモナハンは言った。その皺深い顔に、困惑と恐怖が入り混じっていた。
しかし、その傍らで息子のジョアンの目には、怨嗟の光が宿っていた。
広場の視線は、マックス達へ向かっていた。村長へ向かっていた。戦乙女軍団へ向かっていた。
ところが誰一人、ジョアンを見ていない。
――俺は、村長の後継者として村から感謝されたいんだ。
ただ、それだけだ!
なのに……
彼は、椅子を蹴って立ち上がった。
「お前達が来てから、この村はおかしくなったんだ!」
考えるより先に、声が出ていた。
憎しみを隠しもしない視線が、マックスを、広場に居並ぶ戦乙女軍団の面々を、順番に射貫いていく。
それでも誰も応えようとはしない。困惑した視線を向けるだけだ。
それがまた、堪えた。




