25.消えゆく村……③
「よう、カレン。ちょっと良いか?」
振り返ると、村長モナハンの息子、ジョアンが立っていた。何時も自信満々で村人を見下している。それは幼い時から全く変わっていない。四歳年下の鼻持ちならない存在にしかカレンには見えていない。
レイモンドが月なら、ジョアンは鼈の方だ。
自分が村の指導者の息子である事を鼻に掛けてくる。そんな孺子が自分にちょっかいを出すようになったのは何年前だっただろうか?
――よりによって今……
カレンは息を一つ吐いた。表情を整えようとして、うまくいかなかった。
「……何?」
自分でも分かるほど、冷たい声が出た。
「いや、この間スカボローに行った時、お前に似合いそうな髪飾り見つけたんだ。くれてやるから着けてみろ」
「はっ? 何で?」
「何でって……それは俺がお前を気に入っているから……」
カレンの目が、すっと細くなった。
――何、言ってんのコイツ……?
今この瞬間に、その言葉を聞かされる理不尽さに、カレンは静かに頭が痛くなった。
レイモンドがミシェルと笑いながら歩いていくのを見た直後に……よりによって、今。
「……気に入ってる?」
「あ、ああ。俺はお前のことを——」
「ちょっと待って」
カレンが手を上げた。制止というより、自分の中を整理するような仕草だった。
「ジョアン、あんた今、私がレイモンド先生のこと見てたの分かってて声掛けてきた?」
図星だった。しかしジョアンには図星だとは言えなかった。
「そ、そういう訳じゃ……」
「じゃあ何で今なの?」
静かな声だった。怒鳴らない。嘲らない。ただ、真っ直ぐに問う。それがかえって、ジョアンの言葉を詰まらせた。
「髪飾りはだな、お前に似合うと思ってわざわざ行商人を、宿まで呼び寄せてまで……」
「要らない」
間髪入れなかった。
「ちょ、待てよ、俺はお前に喜んでもら……」
「先生のこと見てた私に、その隙に声掛けて、髪飾り渡せば振り向くと思った?」
カレンは静かにジョアンを見ていた。怒りではなかった。もっと冷たい、呆れと諦めが混ざったような目だった。
今日一番傷ついた気持ちを、一番見当違いな相手にぶつけているという自覚が、うっすらとあった。それでも止まらなかった。
「あんたって、いっつもそう。自分の都合で動いて、上手くいかなかったら周りのせいにする」
「俺がいつそんな……」
「シェリル」
いきなりカレンから投げつけらた名前に、ジョアンの喉が詰まった。
「忘れたの?」
それは非難だ。親愛の情も敬意もない。あるのは蔑みと怒りだ。
「あの子が村にいた頃、あんたがあの子に何をしてたか、私はちゃんと見てた……いくらあんたが村長の息子で偉くても、そんな残虐な人間からのプレゼントなんて要らない。見縊らないで」
それだけ言って、カレンは踵を返した。
ジョアンは、一瞬だけ言い返しそうになった。
――見てた? お前が?
そうだ。カレンは見ていた。ずっと見ていた。そして、『魔女狩り』をする自分を一度も止めなかった。声一つ上げなかった。それなのに今更、あの『魔女』を理由に自分を拒む。
言い返せなかった。言い返せば、自分がしてきたことを認めることになる。それだけは……それだけは、できなかった。
取り残されたジョアンは、しばらくその場に立っていた。周囲の娘達が、微妙な顔で視線を逸らしていた。誰も何も言わなかった。それが一番きつかった。
カレンが足早に去っていくのを、ジョアンはただ見送るしかなかった。
その時、村の入り口の方から声が響いてきた。
「ヨゼフィーネ。さっきの判断、何が間違っていたか分かる?」
凛とした、しかし決して怒鳴らない声だった。
魔物討伐から帰還したマックス一行が、村の広場に戻ってきたところだった。全員に疲労の色はあるが、怪我らしい怪我はない。しかしその中で、ヨゼフィーネだけが肩を落として歩いていた。
彼女達に帯同していた戦乙女軍団の祭司、ウィンディア・オーディシャスが隣を歩きながら問いかけていた。半風精族特有の長い耳が、僅かに傾いている。怒っているのではない。ただ、待っている。答えを。
「……後衛の位置取りが、甘かったと思います」
ヨゼフィーネが絞り出すように言った。
「それだけ?」
「……前衛が崩れた時の、退避経路を確保していなかった」
「そう」
ウィンディアは頷いた。否定しなかった。しかし肯定もしなかった。
「治癒師が倒れたら、パーティー全員が死ぬ。あなたが死ぬのはあなただけの問題じゃない。分かってる?」
「……はい」
「声が小さい」
「はい!」
「よろしい」
ウィンディアはそれだけ言って、前を向いた。叱責は終わった。しかし歩きながら、ぽつりと付け加えた。
「でも回復魔術の精度は悪くなかった。それに咄嗟の判断で三人同時に展開したのは、評価に値する。よくやった」
落ち込んでいたヨゼフィーネの瞳に光が宿った。
「……本当ですか」
「あなたに嘘を吐いても、私には何の得にもならない」
コンラートが小声でゲルハルトに囁いた。
「あの人……結構、褒め方が独特だな……」
「黙れ、小童」
ウィンディアは振り返りもせず言った。地獄耳だった。コンラートがギョッとして口を噤む。
マックスはその様子を見ながら、静かに笑っていた。ウィンディアの指導は厳しいが、芯に確かな敬意がある。それはこの数週間で分かっていた。
その光景を、カレンは少し離れた場所から眺めていた。
ウィンディアがヨゼフィーネに何事かを言い、ヨゼフィーネが真剣な顔で頷いている。マックスが笑っている。コンラートが何か言って、ウィンディアに一言で黙らされている。
――ちゃんと、育てようとしてる……
カレンにはそう見えた。余所者だとか、邪魔だとか、そういう話ではなかった。この人達はただ、自分達のやるべきことをやっている。
さっきジョアンに言いすぎた、という後味の悪さが、まだ胸の隅に残っていた。しかしこの光景を見ると、何かが少し整理された気がして、カレンは再び水桶を持ち直して歩き出した。
一方、同じ光景を物置小屋の影から眺めていたジョアンの顔は、険しくなっていた。
あの戦乙女は余所者の女に指図している。余所者が余所者を育てている。その輪の中に、自分が入る余地はどこにもない。
マックスが笑っている。コンラートが笑っている。村娘達がその様子を遠巻きに眺めて、また何事かをひそひそと話している。
――俺には誰も、そんな顔をしない!
奥歯を噛んだ。腹の底で何かが燻った。行き場のない怒りが、じわじわと澱のように溜まっていくのを感じていた。




