24.消えゆく村……②
シェリルにホーリーウェル魔導学院の『特別生』入学の許可が下り、迎えに来た聖騎士ユーリアに連れられて村を去ってからもう五年になる。
シェリルが旅立ったウーラニアー村は、再び静かな何もない寒村へと戻っていた。
レイモンドもまた、風の大精霊のユーフェミアの言葉に従い、フィルツブルク聖皇国からの干渉を警戒しながらも、持ち前の聖魔術を用いて、村医者としての生活を送っていた。
戦略的にも交易的にも何の価値もない寒村だったが、それでも穏やかな時が流れ、人間族も森風精族も互いに助け合って生活している。
「それにしても先生、そろそろ王都に戻らなくても良いのかね?」
腰の痛みを訴えた村長モナハン・レスター・エクスムーアの身体に聖魔術で治療を施していたレイモンドは、困ったように笑って見せた。
「居心地が良いんですよ。ウーラニアー村は……」
「何とまぁ、奇特な方だねぇ」
口は悪く聞こえるが、モナハンは嬉しそうに笑っていた。温かみのある皺が目尻に集まった。
「でも先生が居て、ジェームス司祭が居る……何て恵まれた村なんだろうね。有難いことだ」
日々訪れる平穏な毎日。そのゆっくりと流れる感覚に囚われてしまう中で、レイモンドは常に警戒していた。
五年前に起きた魔術暴発……それを引き起こしたのはシェリルではなく、自分が原因であることを周囲に知らしめようと偽の情報を発信し続けていた。
それは教え子の魔術を秘匿するためでもあったが、それだけではない。
――ただ、あの子が背負うべきではないものを
自分が引き取っておくだけのことだ
そう自分に言い聞かせながら。
もう一つの『役割』も果たすために……
『先生でも失敗する事あるんだな』
ジョアン達跳ね返り若者グループを除き、森風精族達の魔術をも凌ぐ『恐るべき魔女』の存在も、いつしか人々の口からも出なくなっていた。
そればかりか、むしろ彼女が焼き払った野原は、灰が土を肥えさせ、豊かな実りを生み出す畑となっていた。村人達はそれを「天の恵み」と呼んで、秋には収穫祭で神へ感謝を捧げる。シェリルの名は、すでに誰も口にしない。
レイモンドはそれを、良い事だと思うことにしていた。
しかし、四年前に、『ユーミルの森』の調査と称して、戦乙女軍団がやって来てからは状況が幾分変わってきた。
翌朝のことだった。
レイモンドが往診の帰り道を歩いていると、村の外れの道で戦乙女軍団の団長であるミシェルとばったり鉢合わせた。
定例となっている『ユーミルの森』の調査から戻ってきたところらしく、鎧の肩に木の葉が一枚張り付いていた。
「や、やぁ……ミシェル」
レイモンドの声が、心なしか上擦った。
「あらレイじゃない。お散歩?」
「いや、モナハンさんの往診の帰りだよ」
「そう? お疲れさまです」
ミシェルは金色の髪を揺らしながら涼しい顔で言い、肩の葉を払った。それだけだった。旧知の同僚に挨拶するような、何でもない声音だった。
――何でもない
それが堪えた。
レイモンドの胸の奥で、消えたと思っていた炭火がじわりと息を吹き返す。
賢者シルヴィの弟子として迎えられ、初めて顔を合わせた時から、ずっとそうだ。共に修行し、共に任務をこなし、気づけば誰よりも長い時間を過ごしてきた相手だ。
なのにミシェルは変わらず美しく、変わらず涼しく、そして変わらずレイモンドを『信頼できる同門の友人』としか見ていない。
デートのつもりで誘った食事も。
特別なつもりで贈った土産も。
全部、ただの「いつものこと」として受け取られてきた。
「森の様子は……?」
「思わしくないわね。魔物の動きが前より活発になっているわ」
「それって……」
「じゃあ少し歩きながら話さない?」
「もちろんだミシェル」
二人が連れ立って村の中を歩き始めた、その瞬間だった。
井戸端にいた娘達の間で、声にならない悲鳴が走った。
「ちょっとちょっとちょっと!」
「近い近い近い近いっ!」
「し、静かにして! 気づかれる!」
「何で、あの二人一緒に歩いてんの!? 何で!?
「落ち着いて。落ち着いて。まだ並んで歩いてるだけだから」
「あの距離感は何なのよ!? 近くない!? 近くない!?
「近くないよ。たぶん……嘘、近いかも」
「あの人、先生のこと好きなの!?」
「違う違う違う、絶対違うし。でも……でも何で笑ってんの、先生?」
「先生が笑ってる……先生がミシェルさんに笑いかけてる……」
「見ちゃいけないものを見てしまった……」
水桶を持ったまま固まっている娘、石畳の陰から首だけ出して覗いている娘、口元を両手で押さえて天を仰いでいる娘。井戸端は静かな混乱に包まれていた。
当の二人は気にしていなかった。正確には、ミシェルは一切気にしておらず、レイモンドは背後の視線に薄々気づきながらも、それどころではなかった。
「……ところで、魔物の動きが活発というのは、具体的にどのあたりで?」
努めて平静を装った声が、わずかに低くなっていた。歩幅は、心なしか広くなっていた。
ミシェルは何も気にしていなかった。
『いつものこと』だったから。
レイモンドの隣を歩くのも、レイモンドが少し様子のおかしい声を出すのも、後ろで村娘達が何かざわめいているのも——全部、『いつものこと』だった。
それが、レイモンドには一番堪えた。
しかし、騒ぎの輪の外側の場所に、一人だけ違う顔をしている娘がいた。
人間族の娘カレンだった。
淡い茶色の目を細め、二人の後ろ姿をじっと追っている。
その表情は娘達のような騒めきとは程遠い。
嫉妬というより、大切なものを横から持っていかれるような、もっと静かで、深いところが痛むような顔だった。
――何よアレ……?
レイモンドが笑っている。あんな風に笑うのを、カレンは初めて見た気がした。いつもは穏やかで、どこか遠いところを見ているような人なのに。ミシェルの隣だと、何かが違う。
歩き方が、声の出し方が、表情が……全部、少しだけ違う。
――知ってたわよ。知ってたけど……
分かっていた。レイモンドにとって自分は村人の一人であり。それ以上でも以下でもない。それは最初から分かっていた。
――でも、あんな顔、私には一度も……
思考がそこで止まった。止めた。続けても、良いことは何もない。
水桶の取っ手を握り直した。冷たい金属の感触が、少しだけ現実に引き戻してくれた。
その時だった。彼女を呼び止める声が背後から耳に届いた。




