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ノイルフェールの伝説~天空の聖女(セインテス)~  作者: 朝霧 巡
第5章 妖精の庭に降る凶兆 

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23.消えゆく村……①

 辺りは目を覆うような惨状だった。

 質素ながらも丁寧に整備され、美しい佇まいを見せていた石造りの建物は無残に崩壊し、内側から紅蓮の炎を噴き上げている。人間だったのか小鬼(ゴブリン)だったか判らない炭化した死体が転がっており、雄大な自然の中にあり、素朴ながらも満ち足りた生活をしていた、愛すべき人々は(ことごと)く死に至った。


 この時、一つの村が姿を消した。


 マクシミリアン・メッサーシュミットは、燃え落ちる村の入り口に立ち尽くしていた。

 炎の爆ぜる音が絶え間なく響く。梁が落ちる轟音。焦げた空気が喉を刺す。それでも彼の足は動かなかった。地に根を張ったように。あるいは、動く資格などないと、身体の奥深くが告げているかのように。


 これは自分自身が起こした惨劇だったのかもしれない。

 自分がここを活動拠点にさえしなければ……嫉妬に駆られたあの男だって、魔物を呼び寄せなかったろう。そこまでジョアンの精神は蝕まれていたのだ。

 しかし彼をそこまで追い込んでしまったのは、誰でもなく自分の責任だ……そう思えてならなかった。


 確かに、名誉心と功名心を自分が存在したが故に勝手に屈託してしまったジョアンの器量の小ささでしかない。しかし、力ある者の心一つで、村の未来は容易く変わる。

 もっとあの男の意見や主張に耳を傾けさえすれば、ともに何かを守れたかもしれないのに。

 今はただ、これまでの自分の行動だけを憎むことしか出来なかった。


――もっと早く、この村を去るべきだった……

  いや、そもそもここに腰を落ち着けるべきではなかった

  居心地が良くて、安寧の地を求めた自分が愚かだった


 自分を慕っていた老婆の亡骸が、無造作に転がされている。

 刺繍が大好きで、いつもナディアにやり方を教えてくれた婦人だ。

 皺だらけの指先が今も針を持つように曲がっているのを、マックスは直視できなかった。その隣には孫が二人。花をよく摘んでは、パートナーのナディアの長い髪に挿してくれていた。

 笑いながら背伸びをして、届かないと不満そうに唇を尖らせていた、あの顔が思い浮かぶ。


 向こうに転がっているのは、自分に弟子入りを志願していた若い料理人だ。いつかは都会で料理長を任されたいと、夢を語ってくれた。その言葉に含まれていた照れくさそうな笑みを、マックスはまだ覚えていた。


 それが今、物を言わぬ(むくろ)となっている。

 刹那、炎が揺れ、その光の中に、マックスは別の景色を見た。


――これではブークホーフ村と一緒ではないか!


 ジール王国の東端、海沿いの小さな村。地図にも載らない、本当にちっぽけな村……マックスの故郷ブークホーフ……しかしそこには確かに、人の営みがあった。

 幼い自分が走り回った石畳。顔を覚えている老人達。春になれば花が咲き、秋になれば収穫を祝った。煮込み料理の匂い、誰かの歌声、夕暮れに橙色に染まった空……それらが、炎の向こうにうっすらと重なって見えた。

 それが一夜にして消えた。


――あの時も旗が来た……今と同じ……貴族の旗が……


 土地を召し上げる。従わぬ者は賊だ。それだけ言い残して、騎士達は剣を抜いた。逃げ惑う人々の背中が、炎の中に溶けていく。子供の泣き声が、遠くなる。助けを求める声が聞こえた気がした。しかしどれだけ手を伸ばしても、届かなかった。幼かった自分には、何も出来なかった。

 そして……何も、残らなかった。


「……マックス」


 ナディアの声が、現実に引き戻してくれた。

 精人魚族(ローレライ)の彼女は、マックスの隣にいつの間にか立っていた。その細い手が、静かに彼の腕に触れる。言葉はなかった。ただ、そこにいた。

 それで充分だった。今この瞬間、言葉など必要なかった。沈黙だけが、この場に相応しかった。

 マックスは目を閉じ、深く息を吸った。煙の匂いが、胸の底まで沁みた。


「……また、同じだ」


 掠れた声だった。


「惨劇は、何度でも……繰り返される」


 ナディアは答えなかった。答えの代わりに、その手に少しだけ力を込めた。

 その時だった。

 周囲の空気が、変わった。

 気づけば、二人を取り囲むように、フィルツブルグ聖皇国の騎士達が列を作っていた。炎の光を受けた鎧が、じりじりと輝いている。整然と並んだ槍の穂先が、揺れもせず空を刺している。まるで最初からここに配置されていたかのような、不気味な整列だった。


 翻る旗には、教皇派の紋章。アレクサンドル十三世の御名のもとに征く十万の軍勢……の筈だった。

 馬蹄の音が、ゆっくりと近づいてくる。一歩、また一歩。炎の爆ぜる音とは違う、冷たいリズムで。

 先頭の馬に跨った男が、二人を見下ろした。肥えた体躯に、権威を誇示する重厚な鎧。その顔には、余裕と侮蔑が同居していた。目の奥には、感情の温度というものがまるで感じられなかった。


「これはこれは」


 フィルツブルク聖皇国で教皇派に属する大貴族の一人……ジュガシヴィリ伯爵……は、口の端を持ち上げてマックスを一瞥した。値踏みするような視線が、頭の天辺から爪先まで這い回る。それは敵を測る目つきではなかった。排除すべき障害を、どう処理するかを品定めする目だった。


「聖勇者様ともあろう御方が、このような場所にお出ましとは……恐悦至極」


 嫌味は、炎の熱よりも粘ついていた。言葉の一つ一つに、油が塗り込められているかのようだった。

 本来であれば、この男とマックスは同じ側に立つ存在だ。

 教皇アレクサンドル十三世の命を受け、異教の地に神の光をもたらす……その名目では、二人は目的を同じくする者同士だ。


 しかし現実には、マックスはその教皇直々の密命を帯びてここに立ち、ジュガシヴィリは教皇派内での己の地位を磐石にせんがために軍勢を率いてやって来た。

 同じ旗を掲げながら、見ているものがまるで違う。そしてそれは今、異教徒の焼け野原で、互いの刃を向け合うという形で露わになろうとしていた。

 マックスは内心で苦く笑った。滑稽だとは思わなかった。

 ただ……「またか」と思った。


「アニマの聖勇者たる貴殿が、神の御業を妨げる……解せませんな」


 神の御業。その言葉を、この男は平然と口にした。

 燃え落ちた家々を、炭になった亡骸を、それが正しき裁きだと言わんばかりに。ジュガシヴィリにとって、教皇の御意志などというものは、己の野心を包む上等な布に過ぎないのだろう。

 教皇アレクサンドル十三世が何を望み、何を憂えているか? そんなことは、この男の眼中にはない。あるのは、功績だ。この地を制した者として名を刻むことだ。

 マックスの奥歯が、かすかに軋んだ。


「しかとお聞かせ願えますかな?」


 ジュガシヴィリの声と共に、包囲が、静かに締まっていく。

 馬の歩みが止まり、騎士達が一斉に武器へ手を添えた。金属が擦れる乾いた音が、方々から重なる。炎の爆ぜる音とは違う、意志を持った冷たい音だった。


「マックス!」

「これはどういう事だ?」


 マックスとナディアの周りに、コンラートとゲルハルト、そしてヨゼフィーネが駆け寄ってきて、それぞれの武器を構え、騎士達と対峙した。

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