久子からの手紙
この長いお手紙を、お兄様やお父様ではなく、お母様に向けて書いたのは、同じ女であるお母様ならばきっと、私の出奔の理由をわかってくださるのではないかと思ったからです。
淳之介はけっきょく、山狩りまでしたのですが、行方はようとして知れません。逃げ場を失い、海へ沈んだのではないかというのが島民たちの意見ではありましたが、兄が獲物を逃がしたことにひどく腹を立てて地団太を踏んでいたことを覚えています。
ご存知の通り、あの後で兄に家に連れ戻された私は、これも兄の策略によって堕胎手術を受けさせられました。あの時、何日も死人のようになって寝こんでしまった私を心配してくれたのも、兄の不人情を一緒に恨んでくださったのもお母様でしたね。
ですから私は、自分の身に起こったことのすべてを、お母様にさえ知らせずに家を出るのは、あまりに親不孝なのではないかと考えたのです。
子供のことはいまだに兄を恨んでいます。あきらめようと思ってあきらめられるものでもありません。でも、これで淳之介の望んだとおり、呪いが終わるのだと思うと、これも時代に紛れて消えてゆく白鬼家の宿命なのかとも思わぬではありません。
あれからさらに月日が流れ、淳之介が完全に獣になる年を迎えた今年の一月、私は夢を見ました。とても寂しい夢でした。
あの、淳之介と二人で行った岩礁の上に一匹の獣がたたずんでいる、ただそれだけの夢です。
仮に夢が予知夢だったとしても、あの頃の優しい淳之介はそこにはいないのです。それはただの理性のない獣で、いくら思慮深く海を眺めていても、そこにはおよそ私の理解できぬ獣の思考があるだけなのだと、よくよく心得ているのです。
それでも、あの獣は私を待っている。それだけは間違いのないことです。きっと私が行くまで、いつまででも海を眺め、寂しそうに肩を落として佇み続けるのでしょう。
私は、これのそばへ行こうと思います。先はどうなるかわかりませんが、一生を獣の嫁として添い遂げようと決めた約束を、自分のために果たそうと思っております。
ですから、たとえどんなことがあってもここへは戻ってまいりません。
たとえば、そう、あの日の彼が望んだように、人のいない土地を探して大きく広がる海原に船をこぎだすのも良いのではないかと思っています。
少女の夢想のようだとお笑いになるでしょうか。それでも私は、自分の心に、そして彼が注いでくれた愛に捧げられるものなどこれきり持ち合わせてはいないのです。
ですから、私は行きます。どうか、悲しんだりすることのありませぬよう。
ただ、わたくしのいなくなった後、幸助さんとお義母さまのことは何かと気にかけて下されればありがたく思います。あの方たちは運命に弄ばれただけの、本当に善良な方たちです。どうぞご留意ください。
お母様も、お体には十分注意して、時にはどうか、「あの子は今頃、太平洋のどのあたりを進んでいるのかしら」などと気楽に思って下されれば幸いでございます。
だって、淳之介様と一緒にいられる、それだけで、これ以上の楽園など私にはないのですから。
では、ごきげんよう。
かしこ




