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3話 搾取されるヒーラー

「――綾乃、お前また魔力切れか?」

 苛立った声に、私はびくりと肩を震わせた。

「も、申し訳ありません……」

 頭を下げながら、私は荒い呼吸を必死に押し隠す。

 視界が揺れる。

 気持ち悪い。

 頭がぼうっとする。

 魔力切れ特有の酩酊感だった。

 ダンジョン探索者にとって、魔力は体力と精神力を兼ねたようなものだ。

 それを使い果たせば、強烈な吐き気や頭痛、判断力の低下を引き起こす。

 酷い時はまともに立つことすらできない。

 だけど。

「謝る暇あるなら回復しなさい! 真琴が怪我してるでしょ!」

 怒鳴ったのは、《銀星騎士団》所属パーティー《ヴァルキュリア》のリーダー、篠崎エマだった。

 二十代後半。

 炎系スキル持ちのタンクで、中級探索者。

 そして、私たち女性探索者パーティーのリーダー。

「は、はい……!」

 私は慌てて杖を握り直す。

 震える指先。

 意識がぼやける。

 それでも魔力を絞り出した。

「――治癒光(ヒールライト)……!」

 淡い光が前衛に立つ真琴の傷を塞いでいく。

 だが、同時に頭が割れそうになる。

 ぐらり、と身体が揺れた。

「……っ」

 倒れそうになる私を見て、エマが睨みつける。

「倒れないで。すぐに魔力を回復しなさい」

 その言葉に胸が痛んだ。

 でも反論なんてできない。

 私はヒーラーだから。

 回復役はパーティーの生命線。

 だから壊れるまで使われる。

     ◆

 私――白峰綾乃は、《銀星騎士団》に所属する探索者だ。

 年齢は二十五歳。

 スキルは《聖癒》。

 回復特化のスキルで、怪我や状態異常を治療できる。

 探索者としてはかなり貴重な能力らしい。

 でも。

 それだけだった。

 攻撃手段は、光属性の初級魔法ライトアローのみ。

 威力も低い。

 中級階層じゃ牽制にすらならない。

 だから私は、“回復役としてしか価値がない”。

 《銀星騎士団》は国内最大級クランだ。

 表向きは、探索者の理想郷みたいに扱われている。

 高待遇。

 充実したサポート。

 最前線攻略。

 テレビでもよく特集されている。

 でも実際は違った。

 数字。

 成果。

 利益。

 それだけだ。

 探索者は駒。

 使い潰される道具。

 特に女性探索者は軽く扱われる。

『女は愛想振りまいてりゃいい』

『戦闘は男の仕事』

『回復役なんて代わりが利く』

 そんな言葉を、何度聞いたか分からない。

     ◆

「本日の探索終了! 撤収するぞ!」

 エマの声が響く。

 私はふらつきながら後を追った。

 今日は二十七階層まで潜った。

 普通なら十分な成果だ。

 だけど、私たちの表情は暗い。

「……足りないね」

 前衛の真琴が呟く。

「今週のノルマ」

 重苦しい空気が流れる。

 《銀星騎士団》にはノルマ制度がある。

 毎週一定額以上の魔石と素材を納品しなければならない。

 未達成なら減給。

 査定悪化。

 公開謝罪。

 酷い場合は降格。

 そして今月。

 私たちはノルマに届かなかった。

     ◆

 翌日。

 ギルド併設ホール。

 同部署の大勢の探索者たちの前に、私たちは並ばされていた。

 視線が痛い。

 笑い声。

 ひそひそ話。

 逃げ出したかった。

「《ヴァルキュリア》、前へ」

 低い声。

 現れたのは、銀星騎士団幹部、クラン管理部長の剣城剛士だった。

 百キロ近い巨体。

 スキンヘッド。

 威圧感の塊みたいな男。

 探索者ではない。

 だが《銀星騎士団》内では絶対的権力を持つ人間だった。

「今週の納品額、基準未達」

 冷たい声が響く。

「理由を言え」

 エマが歯を食いしばる。

「……想定以上に敵の強度が」

「言い訳だな」

 剣城が切り捨てる。

「ノルマ未達成。これで何回目だ? 成果が出ないのは努力不足だ」

 周囲の探索者たちが苦笑する。

 でも誰も反論しない。

 できない。

「最近の女探索者は甘えてる」

 剣城は鼻で笑った。

「少し顔が良いからってチヤホヤされる。根性も覚悟も足りん」

 悔しかった。

 でも、声が出ない。

「男の探索者は命削って働いてるんだぞ?」

 剣城が続ける。

「お前らは何だ? ぬるい環境でキャーキャー騒いでるだけじゃないか」

 違う。

 私たちだって命懸けだ。

 毎日怖い。

 死にたくない。

 それでも必死に戦ってる。

 だけど。

 誰もそんなこと聞いてくれない。

「今月はノルマ未達成の週が二回。給与はないものと思え」

 その言葉に、空気が凍る。

「それと公開謝罪だ」

 剣城が顎をしゃくる。

「土下座しろ」

 胸が締め付けられた。

 周囲の視線。

 嘲笑。

 スマホを向ける奴までいる。

「……っ」

 エマが震えていた。

 真琴も俯いている。

 だけど逆らえない。

 ここで拒否すれば、もっと酷い目に遭う。

 私はゆっくり膝をついた。

 床が冷たい。

 額を地面につける。

「申し訳、ありませんでした……」

 屈辱だった。

 涙が滲む。

 でも耐えるしかない。

「声が小さい!!」

 剣城の怒声が響く。

「そんな甘ったれた謝罪で許されると思ってるのか!?」

 笑い声が広がる。

 私は唇を噛んだ。

 悔しい。

 苦しい。

 でも、どうしようもない。

     ◆

 解散後。

 控室の空気は最悪だった。

「……最悪」

 真琴が吐き捨てる。

「なんで私たちがあんなこと……」

「黙って」

 エマの声は荒れていた。

 彼女だって限界なんだ。

「火力不足なのよ」

 その言葉に空気が止まる。

 視線が、私に向く。

「……え」

「綾乃」

 エマが疲れ切った顔で言った。

「一体倒すのに時間がかかりすぎてる」

 胸が痛む。

「前衛の負担が大きすぎるの」

「でも、私は……」

「貴方が、まともな攻撃技さえ持っていれば!」

 鋭い声だった。

 真琴も目を逸らす。

 ぐらり、と視界が揺れた。

 分かっていた。

 そんなこと。

 私には火力がない。

 回復しかできない。

 だから足を引っ張ってる。

「ごめん、なさい……」

 それしか言えなかった。

     ◆

「今月こそは絶対に毎週のノルマを達成する」

 探索前のブリーフィングルームで、エマが低い声で言った。

 彼女の目の下には濃い隈ができていた。

 公開謝罪以来、ずっとこんな調子だ。

 焦っている。

 誰の目から見ても分かるほどに。

「分かってるの? 死ぬ気でやりなさい。今月失敗したら次は降格よ」

 誰も反論しなかった。

 できなかった。

 《銀星騎士団》における降格は死刑宣告に近い。

 装備支援の打ち切り。

 契約の見直し。

 危険な仕事への優先配置。

 実質的な追放予備軍になる。

「今日から攻略階層を上げる」

 その言葉に、私は嫌な予感がした。

「二十八階層じゃ足りない」

 エマが地図を広げる。

 そして指差した。

「三十二階層まで行く」

 空気が凍った。

「は……?」

 真琴さんが顔を上げる。

「三十二階層?」

「そう」

「無茶だよ!」

 真琴さんが即座に否定した。

「私たちの実力じゃ危険すぎる!」

 三十二階層。

 それは中級探索者でも上位層の領域だ。

 二十台後半とは難易度が違う。

 出現モンスターも強い。

 事故率も跳ね上がる。

 普通なら複数パーティーで挑むような階層だった。

「だったらどうするの?」

 エマが睨みつける。

「もう私たちに後はないの」

 真琴さんが黙る。

 誰も何も言えなかった。

 エマだって好きで言っているわけじゃない。

 追い詰められているんだ。

 私にはそれが分かった。

 だけど。

「それでも危険です」

 気付けば口を開いていた。

 エマがこちらを見る。

「綾乃」

「三十二階層は危険です。今の私たちじゃ――」

「だから?」

 冷たい声だった。

「今の私たちじゃ無理だから諦めろって?」

「そういう意味じゃ……」

「だったら黙って」

 その一言で会話は終わった。

 私は俯いた。

 何も言えなくなった。

     ◆

 探索開始から六時間。

 二十九階層。

 三十階層。

 三十一階層。

 進むたびに空気が重くなっていく。

 敵が強い。

 とにかく強い。

「くっ……!」

 真琴さんが剣を振るう。

 オークジェネラルの腕を斬る。

 だが浅い。

 返しの一撃で吹き飛ばされた。

「真琴さん!」

 私は慌てて駆け寄る。

「《聖癒》!」

 光が傷を塞ぐ。

 同時に視界が揺れた。

 頭痛。

 吐き気。

 魔力切れが近い。

 でも止まれない。

「綾乃!」

「はい!」

「次!」

 また回復。

 また回復。

 また回復。

 気付けば私はまともに歩けなくなっていた。

 それでも休憩は短い。

 ノルマ。

 ノルマ。

 ノルマ。

 誰もその言葉から逃げられない。

     ◆

 三十二階層。

 到達した瞬間、全員が息を呑んだ。

 空気が違う。

 重い。

 肌が粟立つ。

 この階層だけ別世界みたいだった。

「今日はここで稼ぐ」

 エマが言う。

「リーダー、本当にやるの?」

 真琴さんが苦い顔をする。

「当然」

「帰った方がいい」

「帰らない」

「危険だって!」

「危険じゃなきゃ稼げないのよ!」

 怒鳴り声が響く。

 真琴さんが口を閉じた。

 エマの目はもう正常じゃなかった。

 焦燥。

 不安。

 恐怖。

 色んな感情が混ざっている。

 それでも前へ進むしかない。

 そう思い込んでいる。

     ◆

 それから一時間後。

 私たちは完全に限界だった。

 アタッカーの真琴さんは肩を負傷。

 タンクのエマは疲労困憊。

 ヒーラーの私は何度も回復を使い続けている。

 頭が痛い。

 吐きそう。

 足がふらつく。

 それでも歩く。

 歩かなきゃいけない。

 その時だった。

 ぞわり、と全身が震えた。

「……え?」

 嫌な気配。

 全員が立ち止まる。

 静かすぎる。

 モンスターの気配もない。

 不自然だった。

「待って」

 真琴さんが言う。

「何かいる」

 その瞬間。

 轟音。

 壁が爆発した。

「きゃあっ!?」

 土煙が舞う。

 衝撃で吹き飛ばされる。

 そして。

 それは現れた。

 巨大な異形。

 黒い外殻。

 無数の腕。

 真紅の単眼。

 見るだけで本能が警鐘を鳴らす。

「嘘……」

 誰かが呟いた。

 私も同じ気持ちだった。

 こんなの。

 勝てるわけがない。

「デスアラクネ……」

 真琴さんの顔が青ざめる。

 上級探索者案件。

 本来なら私たちが遭遇していい相手じゃない。

「逃げるわよ!」

 エマが叫んだ。

 でも遅かった。

 巨大な腕が振り下ろされる。

 轟音。

 地面が砕ける。

 真琴さんが吹き飛ばされた。

「真琴!」

 エマが叫ぶ。

 私は駆け出した。

「《聖癒》!」

 傷を治す。

 でも追いつかない。

 怪我人が増える。

 魔力が足りない。

 足りない。

 足りない。

 デスアラクネが迫る。

 逃げ場はない。

 戦力も足りない。

 私たちはここで死ぬ。

 本気でそう思った。

 エマも理解したのだろう。

 絶望した顔をしていた。

 公開謝罪。

 ノルマ。

 降格。

 全部どうでもよかった。

 死んだら終わりなんだから。

「綾乃、逃げて!」

 真琴さんが叫ぶ。

 でも逃げられない。

 足が動かない。

 巨大な腕が私へ向く。

 ゆっくり。

 確実に。

 死が近付いてくる。

 怖い。

 嫌だ。

 死にたくない。

 まだ生きたい。

 その瞬間だった。

 ――斬。

 何かが閃いた。

 一瞬だった。

 本当に一瞬。

 次の瞬間。

 デスアラクネの腕が宙を舞っていた。

「……え?」

 何が起きたのか分からない。

 巨大な腕が地面に落ちる。

 怪物が悲鳴を上げる。

 そして。

 私たちの前に、一人の男が立っていた。

 黒い戦闘服。

 無駄のない動き。

 血一つ付いていない剣。

 その背中は不思議なくらい落ち着いて見えた。

 男は振り返らない。

 ただ怪物を見据えている。

 そして。

 静かな声だった。

「下がっててください」

 男の姿が消えた。

 いや。

 速すぎて見えなかっただけだ。

 次の瞬間には。

 デスアラクネの身体から、鮮血が噴き出していた。

 私は呆然とその光景を見つめることしかできなかった。






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