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11話 静かな歪み

 ギルドを出たのは、思っていたより遅い時間だった。

 空はすでに薄く色を落としている。

 人の流れの中に混ざって歩いていると、さっきまでの空気が遠く感じる。

 だが完全には切れていない。

 “入口を握っている”という感覚だけが残っていた。

 

 その帰り道、彼女たちの姿を見つけたのは偶然だった。

 

 エマ、綾乃、真琴。

 三人で並んで歩いている。

 いつも通りの装備、いつも通りの距離感。

 それでも、どこか違う。

 

「……黒崎?」

 

 先に気づいたのは綾乃だった。

 エマと真琴がこちらを見る。

 

 エマは一瞬だけ動きを止めてから、小さく息を吐いた。

 

「久しぶり、ってほどでもないか」

 

 落ち着いた声だったが、どこか探るような響きがある。

 

 真琴が少し前に出る。

 

「最近、忙しそうだったね」

 

 その言葉に、俺はすぐには答えない。

 一拍置いてから視線を戻す。

 

「はい。まあ、少し、立て込んでいただけです」

 

 それだけで、空気がわずかに揺れる。

 

 エマが一歩だけ前に出る。

 

「また、何かあったの?」

 

 鋭さはない。

 逃げ道を塞がない問い方だった。

 

 俺は少しだけ沈黙してから、言葉を変える。

 

「罪は裁かれます」

 

 説明ではない。

 断定だけが残る言葉だった。

 

 エマの目がわずかに細くなる。

 

「……そっか」

 

 少しだけ笑う。

 張り詰めたものを緩めるような笑いだった。

 

 そのとき、真琴が軽く腹を押さえた。

 

 腹の音が鳴った。


「私、お腹空いたかも」

 

 空気が少しだけ軽くなる。

 

 俺はその流れを拾うように言った。

 

「まだ時間はありますか」

 

 エマが一瞬だけ目を瞬かせる。

 

「え?」

 

 俺は続ける。

 

「奢ります。食事でもいかがですか」

 

 綾乃の表情がぱっと変わる。

 

「本当ですか? 助かります!」

 

 真琴も小さく頷いた。


「食費が浮くね」

 

 エマだけが一瞬だけ迷う。

 

 だがすぐに息を吐く。

 

「……じゃあ、少しだけ」


 適当な店に入る。

 探索者向けの、騒がしい食堂だった。

 

 注文を終えたあと、しばらく沈黙が落ちる。

 

 その沈黙を最初に破ったのは綾乃だった。

 

「黒崎さん」

 

 一拍置く。

 

「何か、動きがあったんですか?」

 

 俺はすぐには答えない。

 

 答えられることは少ない。

 

 だが、完全に黙るわけでもない。

 

「今は、詳しくは言えません」

 

 綾乃の視線が少しだけ強くなる。

 

 だが、そこで止める。

 

 俺は続ける。

 

「ただ、任せてください」

 

 その言葉を、綾乃の顔を見て真っ直ぐ言った。

 直後、綾乃の頬が少し赤みを帯びた。


「……分かりました。ありがとう、ございます」


「さ、皆さん遠慮せずに食べてください。色々と大変なんでしょう?」


 真琴が発言した。 


「……できればエマにたくさん食べさせて上げてほしい」


「エマさんに?」


「うん。先月、給与没収されたのは話したでしょ?」


「はい」


「今月の私たちの生活費、エマが立て替えてくれたの」

 

 エマがバツの悪そうな顔をした。

 

「リーダーとして責任を取っただけよ」 


 俺はその横顔を見て言う。

 

「それでも、簡単なことではないと思います」

 

 食事が運ばれてくる。

 

 騒がしい店の中で、四人の席だけが少しだけ静かだった。

 

 だが、その静けさは悪くないものだった。

 

 何も知らないままでも、壊れない距離がある。

 

 それを確かめるように、俺はゆっくりと箸を取った。

 

 まだ何も終わっていない。

 それでも。

 

 今だけは、確かに日常の側にあった。



 三日後。


 ギルドの朝は、いつもと同じ顔をしていた。


 人の出入りも掲示板の更新も、昨日と変わらない。


 だがその中に一つだけ、確かな違和が混じっている。


 空気のわずかな遅れだった。

 

 久世の部屋では、すでに複数の職員が動いていた。

 

 書類を抱えた職員が黙々と行き来し、机の上には報告書が積み上がっている。

 

 会話はほとんどない。


 必要な情報だけが、必要な速度で処理されていた。

 

 久世は資料から視線を外さないまま言った。

 

「秩序局への要請は通した」

 

 一拍。

 

「ただし即時動員ではない。待機要請だ」

 

 指先が机を軽く叩く。

 

「銀星騎士団の件は、まだ疑惑の域を出ていない」

 

 だがそこで、言葉が変わる。

 

「ただし四十五層の隠し通路が再現性を持つ構造だと仮定するなら話は別だ」

 

 そこで初めて視線が上がる。

 

「偶然ではなく繰り返し成立するなら、それは利用可能な構造になる」

 

 久世は一枚の資料を机に置いた。

 

「こちらで人員を一人つける」

 

 短く続ける。

 

「ギルドの現場担当だ。彼と一緒に、もう一度四十五層へ行ってほしい」

 

 目的は明確だった。

 

「隠し通路の再確認。再現性の証明だ」

 

 

 その日の昼前、俺は再び四十五層へ降りていた。

 

 単独ではない。

 

 隣にはギルドから派遣された現場担当がいる。

 

 無駄な会話をしない男だった。

 

 

 俺は歩きながら、自分の目的を整理する。

 

 今回の目的は発見ではない。

 

 隠し通路はすでに見つけている。

 

 問題はそれが偶然の異常なのか、それとも再現可能な構造なのかだ。

 

 もし後者なら、それは人為的に利用できる。

 

 つまり銀星騎士団の行動にも説明がつく。

 

 

 四十五層に降りると、空気は前回と同じだった。

 

 だが今回は違う。

 

 隣に“観測者”がいることで、感覚ではなく記録としての視点が加わっている。

 

 探索者の動き、モンスターの分布、戦闘の発生位置。

 

 それらが改めて整理されていく。

 

 

 やはり一点だけが空いている。

 

 そこだけが明確に戦闘の流れから外れている。

 

 自然な空白ではない。

 

 意図された抜けだ。

 

 

 そのまま進み、問題の地点に到達する。

 

 音がわずかに遠のく。

 

 空気の密度が変わる。

 

 そして視界の奥に、前回と同じ継ぎ目が現れる。

 

 隠し通路。

 

 今回は揺らぎではない。

 

 再現可能な構造として、そこに存在していた。

 

 

 現場担当が小さく息を呑む。

 

 だが何も言わない。

 

 ただ記録するように視線だけを動かしていた。

 

 

 俺は確信する。

 

 これは偶然ではない。

 

 作られた空白だ。

 

 そして作られている以上、必ず誰かが使っている。

 

 ギルドへ戻る頃には、空は暗くなり始めていた。

 

 久世はすでに次の報告を待っている。

 

 その先にあるのは準備ではない。

 

 動く側の世界だった。





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