第三十四話 ア・ピースオブケイク分の判決と、未発売本の話はどこまでしていいのかと言う問題
十一月十日。
土曜日。
休日である。
会社へは行かない。
社長室にも行かない。
エレベーターにも乗らない。
もちろん階段にも近づかない。
足首固定。
仕事の紙は禁止。
見本誌は会社。
冷蔵庫には復帰条件票。
俺は布団ではなく、ソファに座っていた。
進歩である。
かなり進歩である。
人間、布団からソファへ移動するだけで社会復帰感が出る。
ただし、メモ帳は机の端。
ペンは航の管理下。
俺はまだ、筆記用具に対して保護観察処分中だった。
「さっちゃん」
台所から航の声がした。
「はい」
「今日は何する日?」
「休む日です」
「会社は?」
「行きません」
「階段は?」
「使いません」
「紙は?」
「開きません」
「少しだけ?」
「禁止です」
「よし」
完全に朝の点呼である。
だが、昨日の職場復帰を合格で終えたので、俺の返事には少し余裕があった。
十時出社。
午前勤務。
昼食。
十三時退社。
ただいま。
全部できた。
エレベーターで上がって、エレベーターで下りた。
階段は見なかった。
いや、見そうになったが、見ないことに成功した。
昼食も食べた。
見本誌にも触った。
社長に三分で合格と言われた。
紙の中へは消えなかった。
これは、かなり偉い。
自分で自分を褒めるのは危険だが、今日くらいは少しだけ許したい。
少しだけ。
いや、少しだけ禁止だった。
褒めるのも禁止なのか。
難しい。
「顔」
航が味噌汁を持って戻ってきた。
「何の顔ですか」
「少しだけって考えた顔」
「なぜ分かるのですか」
「もう分かる」
読まれすぎである。
秘書としてどうなのか。
いや、相手は年下彼氏兼水面担当兼階段監視担当なので仕方ない。
肩書きが強い。
朝食はご飯と味噌汁と卵焼きだった。
固形物。
完全に固形物。
粥、雑炊、うどんの時代は終わりつつある。
文明開化である。
明治ではない。
平成十三年である。
「今日、美咲が来る」
航が言った。
俺の箸が止まった。
「美咲さんが」
「うん。昼過ぎ」
「なぜ」
「ケーキ一口没収の判決」
来た。
義妹予定者様による、ケーキ一口没収審理。
俺はついに裁かれるらしい。
「それは必要な手続きですか」
「美咲の中では」
「航の中では」
「俺も気になる」
「共犯ですか」
「被害者側」
「はい」
反論不能。
休日出勤で約束を壊し、階段から落ち、病院で探させ、水底の夢まで共有された。
航は完全に被害者側である。
俺は卵焼きを食べた。
甘い。
少し救われる味だった。
*
昼過ぎ。
美咲が来た。
手には小さな箱。
ケーキ屋の箱である。
判決に証拠品を持参するスタイル。
恐ろしい。
「さっちゃん、生きてる?」
玄関で第一声がそれだった。
「生きています」
「階段使ってない?」
「使っていません」
「水底は?」
「昨夜は行っていません」
「わた兄を探させてない?」
「昨日は探させていません」
「よし」
美咲は頷いた。
完全に妹ではなく監査人である。
いや、義妹予定者様だった。
予定者様は強い。
「お邪魔しまーす」
美咲は靴を脱ぎ、部屋に入った。
冷蔵庫に貼られた復帰条件票を見つける。
「うわ、ほんとに貼ってある」
「貼ってあります」
「これ、小早川さんの字?」
「はい」
「こわ。きれいすぎてこわ」
「分かります」
「十番、最高じゃん」
美咲は読んだ。
「本人が『少しだけ』と言った場合、周囲は止める」
「最高ではありません」
「最高だよ。お兄ちゃん、これスマホの待ち受けにしたら?」
「携帯です」
「そうだった。携帯」
二〇〇一年。
スマホはまだない。
俺の中の未来語が、たまに美咲の未来語っぽい軽口で混ざる。
危険である。
美咲はケーキの箱をテーブルに置いた。
「今日は判決です」
「はい」
「被告人、篠宮怜子さん」
「はい」
「文化の日に休日出勤し、兄との約束を破り、連絡せず、さらに月曜に階段から落ちて兄を病院へ走らせ、水の底まで行きかけた件について」
「水の底は夢です」
「夢でも怖いから加点」
「加点」
刑が重くなっている。
「何か申し開きは?」
美咲が真面目な顔で聞く。
航は横で黙っている。
いや、少し笑っている。
笑うな。
被害者側ではなかったのか。
「申し開きはありません」
俺は言った。
「休日出勤の判断、連絡不備、昼食抜き、階段使用、すべて私の不注意と判断の甘さです。航を怖がらせたことについて、深く反省しています」
「かたい」
「はい」
「でも、反省してる?」
「しています」
「次は?」
「出社、退社、移動、体調について、事前に連絡します。少しだけを禁止語として扱います。階段は医師と小早川さんと航の許可が出るまで使いません」
「わた兄」
美咲が航を見る。
「どう?」
航は少し考えた。
「昨日、ちゃんと帰ってきた」
「ただいま言った?」
「言った」
「仕事の紙は?」
「開かなかった」
「階段は?」
「使ってない」
「じゃあ、ケーキ没収は」
美咲は箱を開けた。
小さなショートケーキ。
チョコケーキ。
チーズケーキ。
そして、モンブラン。
四つ。
人数は三人。
何かがおかしい。
「一口没収は、執行猶予」
美咲が宣言した。
「執行猶予」
「次にわた兄に探させたら、その時点で一口どころか半分」
「半分」
「重いよ。ケーキ半分は重罪だから」
「理解しました」
「今日は、合格祝いも兼ねて普通に食べてよし」
俺は少しだけ息を吐いた。
ケーキ一口没収は回避された。
いや、執行猶予である。
前科がついた気分だ。
だが、ケーキは食べられる。
重要である。
「ちなみにわた兄は甘いもの好きなので、余った一個はお兄にあげる!」
「⋯⋯美咲」
「事実じゃん?」
航が少し照れた。
美咲はにやにやしている。
俺はその顔を見て、少し笑った。
「では、航が二個ですね」
「さっちゃんまで」
「事実ですので」
「二人して」
航は困った顔をしたが、嬉しそうでもあった。
ケーキはケーキとして食べるべきである。
人間の価値をケーキに例えるべきではない。
だが、合格祝いのケーキは、かなり正しい。
*
ケーキを食べながら、美咲が聞いた。
「で、見本誌ってどんなだったの?」
来た。
来ると思っていた。
航も、少しこちらを見た。
昨日、航には三分だけ話した。
少年陰陽師の仮見本。
十三歳の主人公。
物の怪の相棒。
守りたいもの。
それは仕事の話であり、未発売本の話でもある。
家でどこまで話していいのか。
美咲は読者だ。
女子高生だ。
義妹予定者様だ。
でも、会社の内部情報を渡していい相手ではない。
見本誌は会社のもの。
未発売本は、まだ読者のものではない。
どれだけ嬉しくても、どれだけ話したくても、線がある。
俺はフォークを置いた。
「美咲さん」
「何?」
「見本誌の詳しい内容は、まだ話せません」
美咲が瞬きした。
「え、だめなんだ」
「はい」
「表紙とかも?」
「公式に出ている範囲なら話せます。ただ、社内で見た仮見本の印象や、帯案、書店向けの文言、発売前の調整内容は話せません」
「へえ」
美咲は意外そうに、しかし嫌そうではなく頷いた。
「なんか、ちゃんとしてる」
「仕事ですので」
「今のは悪い仕事の顔?」
航が聞いた。
俺は少し困った。
「どうでしょう」
航は俺の顔を見て、少し考えた。
「悪くない方」
「判定ありがとうございます」
「紙の中へ消えてない。こっちに説明してる」
なるほど。
仕事の線引きも、生活に戻って説明できれば悪い顔ではないらしい。
難しい。
「でもさ」
美咲が言った。
「読者的には気になるよね。発売前の本」
「気になりますね」
「見本誌とか言われたら、見たいじゃん」
「はい」
「でも、だめなんだ」
「だめです」
「なんで?」
なぜ。
良い質問だ。
単純に機密だから。
未発売だから。
社外秘だから。
それでも説明としては足りない。
美咲は読者だ。
ここで「会社の決まりです」とだけ言うと、届かない。
俺は少し考えた。
「未発売の本は、まだ途中の姿だからです」
「途中」
「はい。見本誌と言っても、完成品ではない場合があります。表紙、帯、文言、紙、校正、書店向け資料。まだ調整中のものが含まれます」
「うん」
「それを外に出すと、読者が途中の姿を完成品だと思ってしまうかもしれません」
「あー」
「作家さんや編集部が、まだ直したいものを、勝手に読者へ渡してしまうことにもなります」
美咲はケーキを食べる手を止めた。
「なるほど」
「だから、話したくても話せません」
「さっちゃんは話したいの?」
痛いところを突く。
義妹予定者様は遠慮がない。
「話したいです」
俺は正直に言った。
「かなり」
「そんなに?」
「はい」
「じゃあ我慢してるんだ」
「はい」
「えらいじゃん」
えらい。
また小学生のように褒められた。
しかし、少し嬉しい。
なぜだ。
「美咲さん」
「何?」
「未発売本の話を読者にしたくなる気持ちは、宣伝部や営業にもあります」
「うん」
「期待してほしい。楽しみにしてほしい。発売前から熱を作りたい」
「うん」
「でも、出していいものと、まだ出してはいけないものがあります」
「会社が使っていい声、使っちゃだめな声、みたいな?」
美咲が言った。
俺は驚いた。
「覚えていたのですか」
「兄から聞いた」
航が目を逸らした。
また共有されている。
まあ、今回は問題ない範囲だ。
「近いです」
俺は言った。
「未発売の話にも、会社が使っていい情報と、まだ出してはいけない情報があります」
「ふーん」
「読者を焦らせるために、途中のものを見せすぎるのは危険です」
「クリスマスケーキの広告みたい?」
「かなり違いますが、少し似ています」
一回買わせる言葉と、また買ってもらう言葉は違う。
焦らせるのではなく、選ばせる。
未発売本も同じだ。
煽ればいいわけではない。
期待させればいいわけでもない。
読者の楽しみを壊さない出し方がある。
「じゃあ、私に言える範囲で言うと?」
美咲が聞いた。
読者である。
これは、読者の正しい欲望だ。
気になる。
知りたい。
でも、ネタバレはされたくない。
途中の姿でがっかりもしたくない。
俺は少し考えた。
「十二月に、平安で、陰陽師で、まだ小さい少年が踏み出す話が出ます」
「うん」
「難しすぎる方向ではなく、入り口はちゃんとあります」
「物の怪とか?」
「そこは、公式に出たら確認してください」
「ずるい」
「はい」
「でも、ちょっと気になる」
「それくらいで止めます」
美咲はフォークをくわえたまま、少し考えた。
「それくらいが一番気になるかも」
強い。
読者の反応として強い。
メモしたい。
非常にメモしたい。
未発売本の期待値は、言い過ぎるより、入口だけ示した方が――
「さっちゃん」
航が言った。
「今、メモしたい顔」
「していません」
「してる」
「フォークしか持っていません」
「ペン持ってなくてよかった」
本当にそうである。
ペンがあったら危なかった。
美咲が笑う。
「私、資料じゃないからね」
刺さった。
軽く言われたのに、深く刺さった。
「はい」
俺は真面目に頷いた。
「分かっています」
「でも、気づきにはしていいよ」
「いいのですか」
「だって、読者的に気になるって話でしょ?」
「はい」
「それを、さっちゃんがちゃんと線引きして使うならいいんじゃない?」
美咲はチーズケーキを少し食べた。
「名前出さない。勝手に私の話にしない。兄を怖がらせない。階段使わない」
「最後は関係ありますか」
「ある」
「ありますか」
「ある」
断定された。
「未発売本の話も、階段も、さっちゃんは“少しだけ”で行きすぎるから」
ぐうの音も出ない。
「分かりました」
俺は言った。
「今日の話は、仕事の紙にはしません」
「え、しないの?」
「しません」
「気づきは?」
「月曜以降、必要があれば一般化して考えます。ただ、今日の会話をそのまま社内資料にはしません」
「ふーん」
美咲は満足したような、少し物足りないような顔をした。
「じゃあ、私の感想は私の感想のまま?」
「はい」
「それならいいや」
それならいい。
この軽さが大事なのだ。
読者の言葉を、会社が奪わない。
感想は感想のまま。
生活は生活のまま。
そこから気づくことはあっても、材料にしない。
前に航に言われた。
美咲は読者だけど、さっちゃんの資料じゃないよ。
今日、美咲本人にも言われた。
私は資料じゃないからね。
はい。
肝に銘じます。
*
ケーキの四個目は、予定通り航が食べた。
チョコケーキだった。
航は少し遠慮したが、美咲が押し切った。
「兄、好きでしょ」
「好きだけど」
「さっちゃん、見て。兄、甘いもの好きだから」
「見ています」
「見るな」
航が照れた。
俺は見る。
かなり見る。
甘いものを食べる年下彼氏は、非常に情報量が多い。
いや、仕事の資料ではない。
生活の観測である。
観測も危険語かもしれない。
見ているだけ。
そういうことにする。
「さっちゃん」
美咲が言った。
「わた兄のことも資料にしちゃだめだよ」
「していません」
「してそう」
「していません」
「お兄が甘いもの好き、ってメモしてない?」
「していません」
「頭の中には?」
「あります」
「あるんだ」
また誘導された。
女子高生、強い。
航が笑う。
「それくらいはいいよ」
「いいのですか」
「うん。俺が甘いもの好きなの、知っててもいい」
言い方。
その言い方は少しずるい。
「では、覚えておきます」
「うん」
「仕事ではなく」
「生活で」
「はい」
美咲がにやにやしている。
「なにこの会話」
「美咲」
「いや、いいけど。牛歩だなーって」
牛歩。
言われてしまった。
正しい。
かなり正しい。
だが、今の俺には牛歩でいい。
足首固定なので、物理的にも牛歩である。
悲しい一致。
*
美咲が帰る前、俺は玄関まで見送ろうとした。
航が即座に止めた。
「座ってて」
「玄関までなら」
「足首」
「はい」
美咲が靴を履きながら振り返る。
「さっちゃん、座ってていいよ」
「ですが」
「またお兄に探させたら半分没収だから」
「座ります」
ケーキ半分没収は重い。
俺はソファに戻った。
美咲は玄関で手を振った。
「じゃあね。ちゃんと休んで。未発売本の話は、発売したら教えて」
「発売したら?」
「うん。読んでいい時になったら」
読んでいい時。
その言葉が、妙に良かった。
未発売本は、読んでいい時を待つ本だ。
会社の中で形を整え、書店へ渡り、棚に並び、読者が手に取る。
その時までは、こちらが勝手に楽しみを奪ってはいけない。
「はい」
俺は言った。
「読んでいい時になったら、話しましょう」
「約束」
「はい」
「仕事の約束じゃなくて」
「生活の約束ですね」
「そう」
美咲は満足そうに頷いた。
「じゃ、わた兄をよろしく」
「美咲」
「さっちゃんもお兄ちゃんによろしくされて」
「日本語が」
「気持ちで」
美咲は帰っていった。
強い風のようだった。
*
部屋に戻ると、急に静かになった。
航がケーキの箱を片づける。
テーブルには皿。
フォーク。
紅茶のカップ。
冷蔵庫には復帰条件票。
机にはメモ帳。
ペンは、航のポケット。
「疲れた?」
航が聞いた。
「少し」
「寝る?」
「その前に」
「メモ?」
「一行だけ」
航が少し考えた。
「仕事の分析?」
「生活の記録です」
「判定するから、言ってから書いて」
検閲である。
だが、仕方ない。
「未発売本の話は、読んでいい時まで待つ」
航は少しだけ頷いた。
「それならいい」
ペンが渡された。
俺はメモ帳を開いた。
今日の一行。
未発売本の話は、読者が読んでいい時まで、こちらの手元で静かに待たせる。
書く。
航が読む。
「ちょっと仕事っぽい」
「やはり」
「でも、今日の話だから合格」
「ありがとうございます」
「あと一行」
「増えました?」
「美咲の判決も」
なるほど。
俺はもう一行書いた。
ケーキ一口没収は執行猶予。次に航を探させたら半分。
書いて、自分で少し笑った。
航も笑った。
「半分は重いね」
「かなり」
「探させないで」
「はい」
ペンを返す。
ちゃんと返す。
今日は、自分で止められた。
少し進歩。
*
夕方、少し眠った。
水底の夢は見なかった。
階段も出なかった。
ただ、なぜか巨大なショートケーキの上を歩く夢を見た。
足元が柔らかく、クリームで滑りそうだった。
階段より危険である。
目が覚めて、それを航に言ったら、彼はしばらく黙ってから笑った。
「ケーキの上も歩行禁止」
「禁止対象が増えました」
「夢の中でも」
「はい」
夢の行動制限が厳しすぎる。
*
夜。
美咲からメールが来た。
今日は合格。
ケーキ一口没収は執行猶予。
未発売の本、発売したら教えてね。
あとうちの兄がチョコケーキ食べてる顔、ちゃんと覚えてていいよ。 美咲
最後。
最後が余計だ。
だが、俺は少し笑った。
返信する。
ありがとうございます。
発売後、読んでよい時に話しましょう。
航のチョコケーキの件は、生活の記憶として扱います。 怜子
返事はすぐ。いつもと同じだ。
かーたーいっw
でもよし。
生活の記憶、大事。 美咲
生活の記憶。
俺はその文字をしばらく見ていた。
生活の記憶。
篠宮怜子の記憶。
俺の記憶。
航の甘いもの好き。
美咲の学祭の焼きそば。
冷蔵庫の復帰条件票。
ケーキ一口没収の執行猶予。
未発売本を待つ読者。
全部、会社の紙には載らない。
載せてはいけないものもある。
だが、俺をこの世界に引っかけている。
紙の帝国ではない場所へ。
*
寝る前。
航が復帰条件票を見た。
「明日は?」
「日曜日です」
「会社は?」
「行きません」
「紙は?」
「開きません」
「階段は?」
「使いません」
「未発売本の話は?」
「読んでいい時まで待ちます」
「ケーキは?」
「ケーキとして食べます」
「没収は?」
「執行猶予です」
「よし」
点呼に項目が増えている。
人生は複雑だ。
布団に入る。
航はソファ。
今日は手を握らない。
ただ、部屋にいる。
それで十分。
俺は目を閉じた。
未発売の本は、読者が読んでいい時を待つ。
見本誌は逃げない。
読者も、期待も、生活も、こちらが雑に先回りしてはいけない。
読者には、読者の待つ時間がある。
会社には、会社の整える時間がある。
その間に、社長室秘書ができることは、焦って紙を広げることではない。
出していいものと、まだ出してはいけないものを分けること。
嬉しいからといって、勝手に喋らないこと。
読者を煽るのではなく、読んでいい時にちゃんと入口を用意すること。
そして、休日は休むこと。
最後がいちばん難しい。
十一月十日。
ケーキ一口没収は執行猶予。
未発売本の話は、読者が読んでいい時まで保留。
航のチョコケーキの顔は、生活の記憶として保存。
仕事の資料ではない。
たぶん。
いや、絶対に。
そういうことにしておく。
水底は遠い。
階段も遠い。
ケーキの上は少し滑る。
だが、今夜の夢くらいは、甘くてもいい。
没収されていないので。




