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2001年、未来への旅 角川書店の社長秘書に転生した2026の転売厨、無慈悲なる改革の断行を進言してしまう  作者: 1stペンギン
――この物語はフィクションです――

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22/33

第二十二話 風神雷神よりも恐いもの

 十月二日。


 火曜日。


 角川ビーンズ文庫創刊の翌日。


 社長室の机の上には、まだ新しい緑色の背表紙が残っていた。


 見本誌。


 帯見本。


 書店初日所感。


 初動七日表、創刊版。


 そして、社長への一枚報告。


 昨日の俺は、帰った。


 ちゃんと帰った。


 小早川の検問を通過し、航にメールで報告し、紙を増やさず、寝た。


 快挙である。


 いや、社会人としては普通なのかもしれない。


 だが、最近の俺にとっては十分に偉業だった。


「篠宮君」


 社長が言った。


「はい」


「顔が少し戻ったな」


「通常運転です」


「その言葉はまだ禁止ではなかったか」


「……控えます」


 社長は少し笑い、机の上の初動七日表をめくった。


 創刊初日。


 池袋。


 横浜。


 名古屋。


 大阪。


 まるマ一巻二巻併売。


 アンジェリーク既存ファン導線。


 ローゼンクロイツ表紙反応。


 カーマイン・レッド説明補助必要。


 相変らずの救世主、タイトル反応あり。


 数字はまだ薄い。


 初日に何かを判断するには早すぎる。


 だが、入口は見えた。


 それだけで、昨日の社長室は少し明るかった。


 九月十一日以降、社内の空気はずっと重かった。


 世界が傷ついた日。


 差し替え。


 安否確認。


 読者の傷口に紙を押し当てないこと。


 その後に来た十月一日。


 新しい文庫の創刊。


 世界が変わっても、本は出る。


 棚は作られる。


 言葉は選ばれる。


 それを見た翌朝だった。


 少しだけ、紙の帝国に呼吸が戻っていた。


「篠宮君」


「はい」


「今日は、創刊初動だけではない」


「はい」


「次が来る」


 嫌な予感がした。


 次。


 出版における次。


 それは、終わらない紙の別名である。


「文庫編集部から、一月分刊行予定の企画確認が来る。実際には元旦から十二月下旬に前倒しだがね」


「十二月」


 年末。


 年末進行。


 クリスマス。


 仕事。


 航。


 そこまで頭の中でつながった瞬間、俺は一瞬だけ固まった。


 社長の目が細くなる。


「何か思い当たった顔だな」


「年末進行は重いと聞いております」


「それだけか」


「はい」


 嘘ではない。


 嘘ではないが、全部でもない。


 十二月末。


 ビーンズ文庫。


 俺の未来知識が、棚の奥から一冊を引っ張り出してくる。


 少年陰陽師。


 結城光流。


 あさぎ桜。


 安倍晴明の孫。


 物の怪の相棒。


 和風ファンタジー。


 長く続くシリーズ。


 そして、読者をかなり長く棚に戻らせる作品。


 来る。


 たぶん、来る。


 いや、もう社内のどこかには紙がある。


 そう思った瞬間、背筋が少し冷えた。


 未来を知っている。


 だが、俺は編集者ではない。


 昨日、社長室の机に置く紙の意味を少し学んだばかりだ。


 ここで未来の成功を叫んではいけない。


 俺の仕事は、社長の机に置くべき危険と可能性を整理すること。


 それ以上ではない。


 それ以上に踏み込めば、また現場を踏む。


 そして小早川に座らされる。


 たぶん航にも怒られる。


 美咲にも怒られる。


 監視網が広すぎる。


     *


 午前十時。


 佐伯が社長室へ来た。


 手には紙束。


 厚くはない。


 だが、重そうだった。


 紙の厚みではなく、内容の重さだ。


 佐伯はいつものように赤ペンを持っていた。


 創刊翌日だというのに、もう次の紙を抱えている。


 編集者という生き物は、昨日生まれた棚を見ながら、明日置く本のことを考えている。


 恐ろしい。


「篠宮さん」


「はい」


「社長への一月刊行予定の概要です」


「承知――はい」


 言い直した。


 小早川が部屋の隅でこちらを見ていたからだ。


 返事まで管理されている。


「篠宮さん、今のは」


「節約です」


「なるほど」


 佐伯は紙を机に置いた。


 社長が受け取り、俺は横から社長用の控えを整える。


 直接判断しない。


 直接動かさない。


 秘書として、紙を読む。


 最初のページ。


 十二月刊行予定。


 その中に、あった。


 少年陰陽師 異邦の影を探しだせ


 文字を見た瞬間、胸の奥で何かが鳴った。


 来た。


 やはり来た。


 まだ見本誌ではない。


 まだ棚にはない。


 まだ読者の手にもない。


 だが、紙の上にある。


 未来で長く続く物語の入口が、まだ薄い企画紙として、社長室の机に置かれている。


 俺は呼吸を整えた。


 秘書。


 社長秘書。


 叫ぶな。


 未来を語るな。


 紙を見る。


 社長に必要な形に直す。


 それだけだ。


「篠宮君」


 社長が言った。


「はい」


「顔が仕事だ」


「仕事ですので」


「違う。少し未来だ」


 また見抜かれた。


 この人は危険すぎる。


 俺は姿勢を正した。


「社長への報告用に、要点を整理いたします」


「よろしい」


 社長は紙をめくった。


「佐伯君、説明を」


「はい」


 佐伯は赤ペンを置き、少しだけ背筋を伸ばした。


「十二月の柱候補の一つです。平安もの。陰陽師。安倍晴明の末の孫を主人公にした和風ファンタジーです」


「主人公は?」


「十三歳です」


 社長の眉が少し動いた。


 三浦も、資料を覗き込んでいた。


「十三歳」


「はい」


「少女向け文庫で十三歳主人公か」


 真鍋がいつの間にか来ていた。


 文庫編集部から一緒に来たらしい。


 彼は腕を組み、渋い顔をしている。


「そこが難しい」


 佐伯は言った。


「幼く見える危険があります」


 俺はメモを取る。


 幼く見える危険。


 強い。


 これは大事だ。


 風神雷神より恐いもの。


 妖怪ではない。


 呪詛ではない。


 読者が棚の前で「これは自分の本ではない」と判断する一秒である。


「ただし」


 佐伯は続ける。


「十三歳であることは、弱点だけではありません」


「理由は」


 社長が聞いた。


「成長物語にできます。血筋の重さと、まだ未熟な身体の差が出る。安倍晴明の孫という大きな看板に対して、本人はまだ小さい。そのずれが入口になります」


 俺はペンを止めた。


 良い。


 かなり良い。


 編集者の言葉だ。


 未来を知っている俺が、売れると叫ぶよりずっと良い。


 物語の入口を、今の紙の上でちゃんと見ている。


「相棒は?」


 社長が紙を見る。


「物の怪です」


 佐伯が言った。


「主人公だけだと、少し硬い。陰陽師、安倍晴明、平安、血筋。これだけだと棚前で重く見える可能性があります。物の怪の相棒を前に出すことで、会話と軽さを作れます」


 三浦が小さく頷いた。


「棚で説明しやすいですね」


「はい」


 佐伯がそちらを見る。


「十三歳の少年陰陽師と、物の怪の相棒」


「一言で言えます」


 三浦が言った。


「ただ、男の子主人公ですよね」


「はい」


「女性向けの棚で、どう見えるか」


 営業の問いだ。


 正しい。


 主人公が十三歳の少年。


 少女向け文庫の棚。


 陰陽師。


 平安。


 和風。


 相棒。


 血筋。


 成長。


 要素は強い。


 だが、見せ方を間違えると、児童向けにも、硬い歴史ものにも、少年向けにも見えてしまう。


 危険だ。


 かなり危険だ。


 だから、強い。


「篠宮さん」


 佐伯が言った。


「はい」


「社長報告用に、どうまとめますか」


 俺に聞くのか。


 いや、これは編集判断ではない。


 社長室の紙のまとめ方を聞かれている。


 秘書の範囲だ。


 俺は少し考えた。


「可能性と危険を分けます」


「はい」


「可能性は、平安・陰陽師・安倍晴明の認知度、少年主人公の成長、物の怪相棒による軽さ、和風ファンタジーとしての差別化」


 紙に書く。


「危険は、十三歳主人公が幼く見えること、陰陽師要素が硬く見えること、少女向け棚で男児向けに見えること、説明を誤ると読者が入口で帰ること」


「入口で帰る」


 三浦が繰り返した。


「はい」


 俺は言った。


「風神雷神より恐いものは、棚前の第一印象です」


 会議室が少し止まった。


 社長が笑った。


「風神雷神より恐いか」


「はい」


 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。


 だが、悪くない。


 タイトルにできそうだ。


 いや、誰のタイトルだ。


 今は考えるな。


「陰陽師ものですので、神仏や妖の強いイメージがあります。ですが、社長報告で見るべきは、そこではありません」


「では、何だ」


「読者が棚前で、自分の本だと思うかどうかです」


 俺は紙を押さえた。


「怖いのは、妖怪ではありません。子ども向けだと思われること。硬いと思われること。男の子向けだと思われること。つまり、入口の誤認です」


 真鍋が少しだけ目を細めた。


「篠宮さん」


「はい」


「今日のあなたは、秘書の範囲にいます」


「ありがとうございます」


「褒めています」


「珍しいですね」


「昨日創刊したので、縁起物です」


 縁起物扱いが続いている。


 ありがたいのかどうか分からない。


     *


 社長は資料を読みながら言った。


「今週末、映画の『陰陽師』も始まるな」


「はい」


 俺は頷いた。


 そう。


 これも大きい。


 十月の空気には、陰陽師が入ってくる。


 映画。


 ポスター。


 テレビ。


 雑誌記事。


 野村萬斎。


 安倍晴明。


 平安の闇。


 十二月の少年陰陽師とは直接関係ない。


 だが、読者の頭の中ではつながる。


 世の中の空気は、出版社の部門表どおりには分かれてくれない。


 映画館の暗闇。


 書店の棚。


 雑誌記事。


 テレビ番組。


 友人との会話。


 その全部が、読者の中で同じ季節に存在する。


「映画に乗るのか」


 久我営業局長が言った。


 いつの間にか会議に入っていた。


 怖い。


 営業局長は気配が重い。


「乗る、という表現は危険です」


 佐伯が先に答えた。


「映画とは別物です。ただ、陰陽師という言葉への入口が広がる時期ではあります」


「つまり、棚で説明しやすくなる」


 三浦が言う。


「はい」


 俺はメモに加えた。


 十月映画公開により、陰陽師語の認知上昇可能性。


 ただし、便乗ではなく、入口共有。


「便乗ではなく、入口共有」


 真鍋がその言葉を見た。


「篠宮さんらしい硬さですね」


「削りますか」


「残しましょう。社長報告なら硬くていい」


 珍しい。


 硬さが許された。


「書店向けには別の言葉が必要です」


 三浦が言った。


「十三歳の少年陰陽師と物の怪相棒、ですか」


「それは強いですが、もう少し感情が欲しいですね」


 佐伯が言った。


「感情」


「才能はある。でもまだ小さい。守られるだけではなく、守りたい。そういう入口」


 俺は黙った。


 来た。


 編集者の芯。


 陰陽師。


 晴明。


 平安。


 物の怪。


 それは設定だ。


 だが、読者が戻ってくるのは設定だけではない。


 感情だ。


 守りたい。


 認められたい。


 強くなりたい。


 大切なものを助けたい。


 十三歳主人公の弱さは、そこへつながる。


「十三歳は、弱点ではなく、感情の入口」


 俺は書いた。


 佐伯がこちらを見る。


「それ、良いです」


「使いますか」


「使います」


「社長報告にも」


「入れましょう」


 三浦が横から言う。


「棚向けには柔らかくします」


「どうしますか」


「“まだ小さいけれど、守りたいものがある。”」


 会議室が静かになった。


 佐伯が赤ペンを止めた。


 真鍋が少しだけ眉を上げた。


 強い。


 かなり強い。


 三浦、お前、本当に営業か。


「三浦さん」


「はい」


「あなたは本当に営業ですか」


「篠宮さんに言われたくありません」


「失礼しました」


「でも、棚ではそれくらいの方が」


「分かります」


 設定ではなく、感情。


 十三歳の少年陰陽師。


 物の怪の相棒。


 まだ小さいけれど、守りたいものがある。


 それは、読者に届く。


 少なくとも、届く可能性がある。


「採用します」


 佐伯が言った。


 三浦が少し照れた。


「仮でお願いします」


「仮です」


「仮って言って採用するやつですね」


「判断を保留します」


 感染している。


 社内がどんどん感染している。


     *


 昼前。


 社長室に戻り、俺は報告用の一枚を作った。


 直接の編集判断ではない。


 社長が見るための紙。


 そこに必要なのは、作品の詳細な説明ではなく、なぜ今この企画が社長室に上がる価値があるのか。


 俺は項目を絞った。



 一、十二月刊行予定。和風ファンタジー、陰陽師もの。


 二、安倍晴明の認知度、十月映画公開による陰陽師語の入口共有。


 三、十三歳主人公は幼く見える危険がある一方、成長と感情の入口になる。


 四、物の怪相棒により、硬さを和らげる。


 五、棚前の第一印象が最大の地雷。子ども向け・硬い・男児向けの誤認に注意。


 六、書店向け仮文言案「まだ小さいけれど、守りたいものがある。」



 最後に、少し迷ってから一行。



 風神雷神より恐いものは、棚前の一秒。



 書いた。


 書いてしまった。


 社長報告としては、少し強い。


 だが、残した。


 社長はこういう比喩を面白がる。


 そして、面白がるだけでは終わらせない人だ。


「怜子さん」


 小早川が後ろから言った。


「はい」


「紙が増えています」


「一枚です」


「本当に一枚ですね」


「はい」


「ただし、濃いです」


「削ります」


「削らなくていいです」


 珍しい。


 俺は振り返った。


 小早川は紙を見ていた。


「これは、社長に必要な濃さです」


「そうですか」


「はい。ただし、あなたは昼食を取ってください」


「まだ」


「昼食です」


「はい」


 秘書課は、紙の濃さと人間の血糖値を同時に見る。


 恐ろしい部署である。


     *


 昼食は、小早川に監視されながら食べた。


 社食の定食。


 味噌汁。


 ご飯。


 魚。


 小鉢。


 普通の昼食。


 最近、普通が少し貴重だ。


 九月十一日以降、世界は普通ではなくなった。


 俺自身も普通ではない。


 そもそも、二〇二六年の転売厨が二〇〇一年の社長秘書の身体にいる時点で、普通ではない。


 だが、ご飯は温かい。


 味噌汁は味噌汁だ。


 普通は、完全には消えない。


「怜子さん」


 小早川が言った。


「はい」


「十二月のことを考えていましたね」


「顔に出ていますか」


「出ています」


 顔面管理、完全に破綻している。


「クリスマスですか」


 箸が止まった。


「なぜ」


「今、分かりやすく止まりました」


「……一月分のビーンズ文庫の刊行予定のことです」


「それだけではありませんね」


 鋭い。


 秘書課、怖い。


「航さんとは、何か予定を?」


「まだありません」


「作ってください」


「はい?」


 小早川は味噌汁を飲みながら、静かに言った。


「年末進行に飲まれる前に、私用の予定を先に置いてください」


「私用を先に」


「そうです」


「仕事ではなく?」


「倒れた人は、私用を予定表に入れてから仕事を入れるべきです」


「新しい理論ですね」


「経験則です」


 重い。


 小早川の経験則は、たぶん多くの屍の上に立っている。


「十二月下旬は危険です」


「はい」


「創刊後の初動、年末進行、雑誌、書店、取次、全部重なります」


「はい」


「そこに私生活を後回しにすると、また倒れます」


「はい」


「航さんに迷惑をかけます」


「はい」


「予定を作ってください」


 秘書課に恋愛予定まで管理され始めた。


 これは人権の危機ではないだろうか。


 いや、倒れた人間に人権を主張する資格は薄い。


「検討します」


「検討ではなく」


「……連絡します」


「よろしい」


 小早川は満足そうに頷いた。


 俺はご飯を食べながら、十二月二十五日を考えた。


 クリスマス。


 航。


 美咲。


 ビーンズ一月刊。


 少年陰陽師。


 その発売の前日。


 フラゲもあり得そうなタイミング。


 仕事の顔をするなと言われる未来が見える。


 かなり見える。


     *


 午後。


 社長に報告用の一枚を上げた。


 社長は黙って読んだ。


「風神雷神より恐いものは、棚前の一秒、か」


「はい」


「君らしい」


「褒めていますか」


「判断を保留する」


 返された。


 社長は紙を机に置いた。


「十三歳主人公は危険だな」


「はい」


「幼く見える」


「はい」


「だが、入口にもなる」


「はい」


「物の怪相棒で軽さを作る」


「はい」


「十月の陰陽師映画で、言葉の入口が広がる」


「はい」


「便乗ではなく、入口共有」


「はい」


「悪くない」


「ありがとうございます」


 社長は少し考えた。


「これを、現場に戻す時は気をつけろ」


「はい」


「社長室が売れると煽る紙ではない」


「はい」


「編集部が作品を作る。営業が棚に落とす。社長室は、社長が見るべき危険を見せる」


「はい」


「君は秘書だ」


「承知しております」


「最近はな」


 刺さった。


「はい」


 認めるしかない。


「ただし」


 社長は続けた。


「秘書が見るからこそ、部署をまたいだ地雷が見えることもある」


「部署をまたいだ地雷」


「編集は作品を見る。営業は棚を見る。宣伝は言葉を見る。制作は日付を見る。社長室は、それが社長の机に来た時、全部が同じ紙の上に見える」


 俺は黙った。


「それが君の仕事だ」


「はい」


「全部を動かそうとするな。だが、全部が一枚に乗った時の歪みは見ろ」


 重い。


 非常に重い。


 だが、今の俺には必要な言葉だった。


 パッチワーク。


 別々の布。


 編集の布。


 営業の布。


 宣伝の布。


 制作の布。


 社長室の布。


 それを無理に縫い合わせるのではなく、縫い目が破れそうなところを見る。


 秘書は、そういう位置なのかもしれない。


     *


 夕方、航からメールが来た。



 今日、顔白くない?

 小早川さんから昼食確認済みって来た。

 どういう連絡網? 航



 俺は携帯を見て固まった。


 小早川。


 何をしている。


 いや、助かっている。


 助かっているが、怖い。


 返信する。



 昼食は取りました。

 本日は一月刊行予定の確認がありました。

 陰陽師ものとか。 怜子




 すぐ返ってきた。



 陰陽師?

 今週映画やるやつ?

 さっちゃん好きそう。

 仕事の顔してそう。



 正しい。


 かなり正しい。


 俺は少し迷ってから返信した。



 風神雷神より恐いものは、棚前の第一印象です。 怜子



 返事は数秒で来た。



 何言ってるのか分かるようで分からないよ。

 でも仕事の顔なのは分かった。



 読まれている。


 さらに一通。



 クリスマスらへんって忙しい?



 心臓が跳ねた。


 小早川の言葉が頭に残っている。


 私用の予定を先に置いてください。


 俺は携帯を握り、しばらく画面を見た。


 十二月。


 年末進行。


 少年陰陽師。


 ビーンズの初動。


 書店。


 取次。


 社長室。


 だが、航もいる。


 美咲もいる。


 俺と、私の身体もある。


 まず人。


 その中に、自分も入れる。


 そしてたぶん、航との時間も入れる。


 俺は返信した。



 忙しいと思います。

 ですが、その週末の晩は空けるよう努力します。怜子



 送信。


 すぐに後悔した。


 努力します、は弱い。


 航から返ってくる。



 努力じゃなくて空けて。

 クリスマスくらい、仕事の紙より先に予定入れて。



 小早川と同じことを言っている。


 怖い。


 この二人、どこかで情報共有していないか。


 いや、している。


 昼食確認済みが来ている時点で、している。


 俺は少しだけ笑って、返信した。



 空けます。

 ただし、二十六日に発売予定の本の顔をしたら止めてください。 怜子



 返事。



 止める。

 仕事の顔したらシャンパンとケーキ没収。

 あと、美咲も来るかも。

 兄妹で監視する。



 ケーキ没収。


 ポップコーン没収の次はケーキ没収。


 この男は、俺から食べ物を没収することで仕事を止めようとしている。


 効く。


 たぶん効く。


 俺は携帯を閉じた。


 十二月二十四日から二十五日にかけて。


 予定ができた。


 小さい。


 だが、かなり大きい。


 俺はそれを、社長室の予定表には書かない。


 私用だからだ。


 だが、心の中の予定表には、赤い丸をつけた。


     *


 夜。


 部屋に帰ると、机の上にメモ帳を開いた。


 今日は紙を増やさない。


 そう決めていた。


 だが、一行だけ。


 一行だけなら許される。


 たぶん。



 風神雷神より恐いもの。

 妖でも、呪詛でも、平安の闇でもない。

 読者が棚前で「これは自分の本ではない」と判断する一秒。



 もう一行。



 十三歳は弱点ではない。感情の入口。ただし、説明を誤れば幼さに見える。


 さらに、少し迷ってから書いた。



 十二月二十五日。

 航と予定。

 仕事の紙より先に入れる。



 書いた瞬間、顔が熱くなった。


 これは業務メモではない。


 完全に私用だ。


 だが、最近の俺のメモ帳は、もう業務だけではなくなっている。


 航。


 美咲。


 小早川。


 佐伯。


 三浦。


 社長。


 篠宮怜子。


 俺。


 私。


 仕事。


 生活。


 全部が同じ紙に乗っている。


 パッチワークは、また一枚布を増やした。


 少年陰陽師。


 まだ棚にはない。


 まだ読者の手にもない。


 だが、社長室の机には、危険と可能性が置かれた。


 風神雷神より恐いものは、きっと妖ではない。


 読者の一秒。


 そして、十二月の俺にとって恐いものは、年末進行だけでもない。


 クリスマスに仕事の顔をして、航にケーキを没収されること。


 これは、かなり恐い。


 平成十三年十月。


 紙の帝国では、新しい扉が開いたばかりだった。


 そしてその奥で、次の物語の影が、静かに動き始めていた。

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